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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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リネン日記
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2012年05月18日
織機というのは非常に長持ちするもので、レピア織機にしましても消耗品を除いては30年以上ほとんど本体には問題がなく使えているのが今となっては不思議です。今の機械というのは10年も使うと磨り減ってしまうのが当たり前なのに、昔の機械のほうが丈夫な素材で作られている。電気回路なんかにしましても一つ一つの部品が何十年も持つように作られているのに今の部品と交換すると1年くらいで同じ場所が悪くなります。

今日は昼から織機の電気部品の交換に機械屋さんがきてくれました。しかしながら、これってどうなるのかなあと思います。国内の織機メーカーが今も昔の織機の保守ができるのかというと、見た目のスペックは上がっていくものの、一番大事な耐久性や保守の面など見えない部分は今の電気製品と同じで5年とか7年の消耗品に近い扱いで、機械メーカーの人と同じくらいの機械語との専門知識を持った人がいなければ、機屋というものの存続雄難しいなあと思います。

電気部品の交換は30分ほどで完了し問題が直りました。故障箇所が、機械の使い方などの問題と絡んで最初からおおよそ推測ができていたので、修理としては簡単なのですが、その部品を手に入れるということができなければ、機械そのものがゴミとなってしまうので、保守ができなくなってくると工場自体の存続ができなくなります。

私が想像するのが、新興国で立ち上がる織物業にしましても、国が栄えるようになれば、より貧しい国に生産がシフトしていくので、織機を買い換えるのではなく織機をメンテナンスしていかねばならないときがくると思うのです。そのときに、日本のように続けていくのか、あるいは、やめて違う仕事に移り変わるのか、という問題に遭遇するのではないかと思います。日本も織機のメンテナンスの面では不安要素が多いですが、新興国の産業のほうがその問題に直面するのは早いかもしれません。
2012年05月14日
5月14日は、誕生日で、フェイスブックつながりでいろいろな方からおめでとうと声をかけていただきました。林与は40歳を過ぎても時間いっぱいにフルで動いていますので、織物に関しては40を過ぎてからの経験値の増加のほうが多い気もしています。

また、人の人生というのはいろいろですので、型にはまる必要などないと思います。昔は田舎がすごかったのは型にはまっていなかったからだと思うのです。田舎だから許されたことも多く、そういう中でのものづくりというのは半端ではなかったのです。

今は田舎というのは競争が少なく、都市部と比べて普通の型にはめようとする力が強いので、田舎では特別なものは生まれにくくなってしまって、産業にしても昔は田舎にあったようなパワーが無くなってしまったような気がします。

日本でも田舎らしい田舎ほどものづくりのパワーが残っているような気がするのです。林与のある滋賀というのは、昔から農業が盛んで非常に恵まれている場所なのですが、そういうところに大手の企業が進出してくると、田舎らしさがなくなって同時にものづくりのパワーもなくなってしまうものです。
2012年05月11日
プレミアムテキスタイルジャパンの会場が、昨年の盛況だったテピアから今年の東京国際フォーラムに変わって、どうなるものかと心配をしておりましたが、林与のブースは、最後の1時間くらいを除いてはずっとお客様続きでしたので、昨年以上ににぎやかでした。

ブースの場所は会場を入って真ん中の列の一番右側の奥のコーナーで、前にスペースがあって窮屈さが無く、偶然にも林与のロゴ看板が良く見える感じの場所で、一度、おにぎりを食べるためにビジネスラウンジのほうから林与のブースを眺めましたところ、それなりに存在感のあるブースで自己満足な世界が広がっていて安心しました。
2012年05月10日
2日目もお客様の流れは途絶えませんでしたが、初日よりも落ち着いていた気しました。プレミアムテキスタイルの会場の会期中の雰囲気は、http://www.ptjapan.com/index2.html です。中央の写真の一番手前の林与ロゴのブースが、林与のブースで、ビッグリネンとシャトル織りのポスターが写真では目立っているように思います。プレミアムテキスタイルジャパンはプロ向けの商談会的な展示会でファンシーなものというよりは実務的な会場の雰囲気です。

今回の展示会でも前日に用意した林与の冊子が、初日の午後3時くらいにはなくなってしまって、素材そのものよりも、みなさんが作り手の情報を求めてくださっているのを感じます。シャトルの写真に関心をもたれた方も多く、ポスターを観て、こんな織機をよく動かしているなあという印象をもってくださったと思います。展示してあるストールなどがこんな織機で織られるのをみられるとストール自身の価値よりも、ストールを作る背景に価値を感じてくださるのではないかと思います。

ビッグリネンのポスターも、自作なので林与の頭の中にあるリネンのイメージのひとつがこんな感じです。一部、アイリッシュリネンに興味を持ってくださった皆様には、ビンテージアイリッシュリネンを使いましたハンカチをご覧いただきました。今回、イタリアの細番手リネンをジャガード織りしたものも見せていただきましたが、両者はまったく違うものに見えてしまいます。リネンというものは様々な表情があるものだなあと感じます。

お客様から、フランスのアンティークリネンということで見せていただいたワンピースも、前回のプレミアムテキスタイルジャパンでお客様から見せていただいたタイプのものと非常に似ていて、一度、フランスのアンティークリネンの細番手に関しての調査が必要な気もいたしました。目で見た感じ綿の200番単くらいのイメージなので、インドで見た綿シーチングにシルケットを掛けた感じにすごく似ています。あと、手紡績のずっしりと重い40番手クラスのハンカチも今のものとは違った雰囲気がありました。

今回のプレミアムテキスタイルも林与にとっては多くのお客様とお会いすることができまして、もしかすると一番たくさんのお客様とお話できた展示会のひとつになりました。また、いつもお世話になっている主催の皆さんやジェトロの皆さん、インドにご一緒いただいた皆さんやほかの展示会でお会いした皆さんと出会えるチャンスということで、林与にとっても商談以外の部分でも楽しいイベントでした。
2012年05月09日
今日は、小雨の振る中、プレミアムテキスタイルジャパンの初日で、9時前に会場について1時間で準備を終えました。成田典子さんご夫妻にも弊社のブースを手伝ってもらいながらテキスタイル用語辞典のPRをブースの一角で行ってくださりテキスタイル業界の皆さんが見て納得の充実した内容で、テキスタイル業界の皆さんからはお褒めの言葉が多かったのが印象です。また、すでに買い求められた読者の方が著者である成田さんにお会いでき、驚かれていました。

ばたばたと会場準備をしていると、滋賀県から出展されている近江織物さんや滋賀麻織物やJFWの主催のみなさんが声を掛けにきてくださり、近くのブース皆さんや、他、インドに行ったときに同行させていただいた皆さんなども顔を見に来てくださり、林与が元気にやっているところを観ていただきました。(前日は寝てないので疲れていましたが…)

今日は印象としまして、一般のアパレルさんや問屋さん以外で、百貨店の企画やバイヤーさんが弊社のものづくりに興味をもってくださるケースが増えてきて複数来ていただき、お話を聞いていただきました。メディア関係の方も、今は麻が注目ということで、林与のブースに情報を探しに来られるケースが多い感じです。

林与のロゴ看板も、小さな商談ブース形式では十分にインパクトがあって、不思議そうに眺めて下さるケースが多く、4年ほど前に、展示会前日一昼夜、数人掛かりで作り上げたものなのに永く使えているので、林与自身も、ロゴ看板自体に愛着がわいてきてしまっています。林与ロゴの四角い枠の上が少し開いているのは、意図的なものであるそうです。上が少し開いていることで上に広がっていくという意味があるというのをさる方からお聞きしました。近江上布を生産していたおじいさんの頃から使っているロゴが、50年以上もたった今蘇り、みなさんにいいねえといってもらえるのはうれしいです。
2012年05月08日
 今日はプレミアムテキスタイルへの出発準備をいたしました。プレミアムテキスタイルのために準備したい気持ちは一杯ながらも、留守にする現場の作業の段取りなどを心配です。準備できたのはポスター印刷と冊子印刷くらいで、冊子も100部くらいは印刷したかったのですが時間切れで60部くらいです。名刺はパリの展示会の時に200枚くらい残っていますので助かりました。すべてが自作なのです。

 ハンガーも、今回は黒のタイプに格好良く統一したかったので、黒いハンガーを手配したのに残念な結果です。こういう必要は母な状態の時にやらないといつまでたっても同じ状態が続きます。

 これは仕事全般に関しても同じで、ゆったりとした気分の時には仕事は進まないものです。
2012年05月05日
今日は、お天気が非常によく外は最高な感じですね。私自身は、仕事のもろもろの案件が詰まってしまっていて外でくつろぐことができませんで、あまりできていないメール対応や事務仕事などを行っておりました。

お昼前には2台お借りしておりましたミシンを近くの縫製工場さんに届けに行きました。昔のミシンというのは頭が外れるので、運ぶのが簡単なのに、今のミシンというのは3人がかりで持ち運ぶのも大変な重量です。工業用のミシンと家庭用のミシンではできることは工業用のミシンのほうが少ないのに、価格に関しては家庭用ミシンの何十倍もします。

林与のお客様というのも縫製を得意にされている方が多いかと思いますが、工業用ミシンというのは憧れの世界ですよね。しっかりとしていて安定していてミシンそのものが堅物な職人を見るかのようです。工業用汎用ミシンの世界も、日本のブラザーとジューキに対する信頼というものは絶大なものがあります。

近くの川の上には鯉のぼりが吊るされています。実はこの鯉のぼりは各家にあった要らなくなった鯉のぼりを村が集めて保管し管理しているのです。眺めるたびに5月だなあと思えるのは季節感があって良い事です。実際は、鯉のぼりをみて、子供よりも大人のほうが楽しんでいる気がします。
2012年05月04日
倉庫に行ったときに羽定規の束を見ました。段ボール紙を束ねた感じのものでその側面に模様が書いてあり、その一枚が一本の糸に対応をしているのがわかります。これは、いつのものなのでしょうか?その後の羽巻捺染の道具と比べて素朴な感じがし曾おじいさんの頃のもののような気がします。林与に羽定規があったのは驚きです。

日本麻織物工業組合の資料も出てきました、こういう全国規模の組合に入っていたのも、生産調整と絡んだ話であったのではないかと思います。いわば、麻織物に関しても、お酒や米の販売業者のような許認可制がアバウトな状態で生きていた時代です。

倉庫にあるハギレなどを観ていても、林与の昔の近江上布の絣の着物地というのはどれもがしっかりとしています。「きぬあさ」と呼ばれるクラスの細い糸を使用しながらもしっかりとしているのは高密度に織り込んであるからです。しっかりと織って細い細い糸で織ってあるのに透け感というものはあまり感じません。緻密に織ることの手間隙というのはまさに職人の魂が感じられ人の力を超えた神業を思わせます。糸からしても昔の人だからできたものづくりだと思います。

不思議なのは今の時代の強撚の麻織物がちりめんライクになるのに、昔の本麻の糸というのは、フィラメントのようなハリのある強さがしっかりと出ていることです。これは同じ強撚の糸でもまったく違う糸質です。日本人が本麻らしいという感触の定義というものが何なのかはそれぞれに違うかと思いますが、林与にとっては、本麻らしいひとつの顔が昔の近江上布に見られ、また、別の本麻らしい顔が、甚平生地にみられ、また、別の顔が、今のアパレル向けの手もみの100番手にみられるのです。

私が子供のころの飯台に掛けてあるのも絣織りの麻布でした、こちらは少し太目の糸で荒めに織って雑貨っぽい透けたガーゼ調の麻布の表情をしていました。それはそれで味はありますが、着物用の絣の上布とはまったく違う世界です。麻襦袢生地などは肌着感覚で薄くスムースなタッチです。一重に麻のものといっても用途に応じていろいろな織り方ができるもので、洋装の時代になってアパレル向けのものというのは、本麻にしましても100番手以上のクラスの細い番手を縦横に少し軽めに織りやわらかく仕上げることで、新たな時代を作り上げました。甚平などは着物の世界の流れで番手を落としてしっかりと織り上げるのが基本です。本麻なので、しっかりと織ってあってもTシャツとは比べることができないほど涼しいものです。
2012年05月03日
プレミアムテキスタイルジャパンも近づいてきておりまして、バイヤーならびに招待者限定ですので、林与のブースにお越しくださいます皆様は、招待状を無料でお送りいたしますのでお問い合わせからご連絡くださいませ。会場は東京国際フォーラム、5月9日、10日の両日午前10時からになります。

展示会中の林与の予定ですが9件ほどの皆様とのお話やお会いする話などが決まっておりましていつもよりもタイトな感じになりそうです。昨年はいろいろな企業さんとのビジネスマッチングの機会をいただきましてブースに待機できませんでした。
2012年05月02日
今日は、京都新聞に4月30日に掲載いただきました朝刊が届きました。赤いシャツをカラー写真で記事にしていただいたので見栄えしています。株式会社SQOの小林氏が、リネンシャツに熱い思いをもって弊社に来られてから2年ほど掛かって完成したシャツです。5月19日、20日には表参道で長浜のDENさんと展示会も行われますので、東京方面の方はぜひ、そちらの展示会にも脚をお運びくださいませ。

今日は、レピアでは、ビームに巻いた縦糸が緩む問題が起こり、シャトルでは運転時にソウコウ枠が全部下がる問題がありました。シャトルの問題は、調整の問題だとすぐにわかったのですが、レピアの問題は原因を考えてみないとなりません。納期のあるものだけに、どう対処できるか考えないとなりません。

午後からは、別件で、麻のシャツについての企画のご相談がありました。この夏に必要ということで急いで対応をしないとならないので、林与だけでなく縫製の部分もできるできないのポイントになってしまいそうです。最終、お話のほうがうまく進んで結果がよくなればよいかと願っています。

夜は、出荷などに追われてしまいバタバタでした。海外の数社とのお話も広がっていて、ものをつくる以外のものを流す対応の面でも国内向け以上に書類作成作業などが伴うので力が必要ですが海外のバイヤーさんというのは非常に前向きで楽しみです。
2012年05月01日
ゴールデンウィークの中休みの平日で、林与の場合は仕事なのですが、今はずーっと連休の人というのは少ないようで、この1日2日は仕事という人も多いようです。林与も今日は朝早くから急いでいる分の仕事に掛かり始めてそれが結局夕方いっぱいまで掛かってしまいました。
2012年04月30日
夜、車でクロネコのベースまで荷物を持っていこうとしましたら、高速道路が大渋滞、連休の中休みで移動が多いようで、世の中はゴールデンウィークなんだなあと実感します。他にも、仕事をしていて、染めたい色があったり、あの加工がどうなってるのかと何度も気になりましたが外の世界はお休み中で今日は自分の仕事に集中しようと思うばかりです。

今、数件海外との直接の取引が動いていますが、納期的なもので、作って出荷するところまで考えると、出荷する前に出荷サンプル確認などに5日、出荷と船積みで1週間で、そこに週末が絡むと2週間ほどの時間が消えてしまいます。色味の許容範囲の問題や確認事項が発生するとどんどんと遅れがでるので、経験上からしても海外のシッピングサンプルなどはスムーズにOKが出にくいものです。

海外との取引はこちらが判断できる状態でないと相手の判断に任せる部分があるとどんどんと遅れが生じてきてしまいます。通常は糸をつくるのにも1ヶ月以上の待ちがあったり、染めるにも1ヶ月以上、加工で1週間など、本来はじっくりと織らないと特殊なものはぎりぎりのところまで規格をあげたりするので品質的によくないのです。

通常のものなら簡単でも規格を通常の1.5倍以上に上げたりするといろいろな弊害が出てきます。普通だと織れないといわれる2倍近い規格の縦横インチ200本を超える60番手の平の織物なんかにしても楽しめる方に楽しんでいただければよいんじゃあないかと思います。
2012年04月29日
今日、上島佳代子先生からメールが届きまして、「美の壺」の放映日程をご連絡いただきました。今度の5/2日(水)にNHKの『美の壷』BSプレミアムの夜7時30分~、再放送は総合テレビ5/6(日)朝4時30分~とBSプレミアム5/8(火)昼11時~です。

コラボいただいたスズキタカユキさんのプルオーバーブラウスや上島佳代子先生の作品などを通じて林与のリネンの一部をご覧いただけるかもしれません。林与には、詳細がわかりませんので可能性というだけではありますが…。

上島先生は、今年はリトアニアのリネン散策に旅立たれるとのこと。リトアニアって、何語なのでしょうか、上島先生もリネンさえあればどこでもへっちゃらな方だなあと思います。2年前にドイツのアンティークリネンを送ってもらったのが林与の事務所にあり、それの再現も林与の課題になっているままなのも思い出しました。

今日、倉庫に行くと昭和29年の湖涼会に関する手紙が出てきました。山田、川口、前田、中村、野々捨、林与の名前が並んでおり、織物が日本の基幹産業であった良き時代の業界の名前が並んでいました。一方で、産地での麻織を残していくことの難しさを感じずにはえられません。
2012年04月28日
今日は、車で走っていても暑いなあという夏を感じさせる陽気でした。今年は、桜も遅く寒い冬だったので、ジンクスとしては冬が寒ければ夏は暑いという流れが当てはまりそうです。これが異常気象というよりも季節が正常化したように思うのは私だけでしょうか。

先日ですが、近くでスズメがいるのを見ました。スズメなんて子供のころは毎日見るのが当たり前だったのに、今は、見かけることが少なくなってしまって、久しぶりに見たので今年に関しては環境が戻り始めているのではないかと思います。

ゴールデンウィークが始まったということもあって田植えも始められているようですが、林与はもう田んぼをしていませんので、田植えとは無縁なので農業のことはえらそうなことは言えません。でも農業のように自然に対して労力を使う作業をして食べ物を作ることは仕事の基本だろうなあと思います。逆に言うと、自分が働かなければ食べるものが手に入らないというような厳しさがあるところが、やっておられる方々を偉大に思えるところです。

農業というのはやれば確実に取れるというのではないところも仕事の本質的な要素を兼ね備えている部分ではないかと思うのです。農作物に価値があるのは、そんな不安定なものなので誰もが手を出せるものでないところではないでしょうか。ビルの中で一本の木に1万個のトマトが栽培できる技術があったとして、ビタミン剤がトマトの形に進化しただけのような。

技術的に進化した形というものがものづくりの本質を欠いてしまっては、そのものに宿るものも変わり果て本質を持ったものが消え果るというような悲しい結果に終わることも多いものです。たとえば、農作物で品種改良が重ねられたものが安価な産地に持ち出されてその品種改良という地道な努力を奪い取ってしまうというようケースはよくあることです。

日本の繊維業界がかつてよいものを作れた背景には、全体がチームとしてものづくりを支えていたところがあったといえます。それは今の時代のジャストインタイムな方式とはまったく別の方式で、私自身はその方式が日本的な方式だとは思っていません。ジャストインタイムな方式というのは、戦後の高度成長期の利己主義的な経営というのが本質で、最終は海外生産に移行してしまうようなものづくりだったりしてしまいまうので、日本的なものづくりを守ることができず、技術流出につながり、頭を使っている他国に技術を奪われて次の世代というものは日本ではやっていくのが難しくなるだけです。

今日は午前中には、近くの裁断屋さんが弊社に来てくださいました。裁断というものは洋服などをつくる一工程に過ぎないと思われるかもしれませんが、その裁断工場自体が、消えつつあるというのも、ジャストインタイムの弊害であったりいたします。そろそろ経営の専門家の皆さんも気がついてもいいんじゃあないでしょうか。
2012年04月27日
私自身は、もちつもたれつのような関係が、三方善の理想的なスタイルだと思うのです。これは日本だけの精神でなく、GIVEANDTAKEということばや、WINWIN SITUATIONというような海外で使われる言葉と同義です。

長く続くため精神だと思うのですが、商売をしていても何かよい要素があればそれを相手から取りに行くだけのタイプの人というのが多くなっているといえます。人が生きていくうえでの支えとしている特別なものを取れば自分の生きていくうえでの支えとしている特別なものを差し出さなければ、関係というものは長続きしないのです。それは時に対価だったりするかもしれません。

日本の商売って海外と違うのは、お付き合いという部分を大事にすることだと思います。損得勘定ではなくてみたいなところがあって、たぶん業界でも高いかもしれないけど林与の生地を使ってくださるところも多いのです。そういうところで林与は生かされていますので、その分、コンビニなスタイルにならずまっすぐな感じの商売を続けることが、買っていただくものに価値がこもるかと思うのです。

物を企画するということは簡単だと何度か書きましたが、商売をしている人ほど一般の人以上に物を買うことができる人というのは本当に少ないのです。ものを作る力がなくなったときにそれは物を買うしかできなくなるということなのですが、今は外国でものを作ってくれるところを探すほうが簡単だったりするものです。

最終的にものが余ったときに買ってくれるような存在が一番ありがたくて、ものが足りないときに売ってくれるような存在こそが一番三方善の精神に繋がります。これはまさに問屋機能で、この機能が働くことこそが大事で、それがなくなってしまっているのが今の、ジャストインタイムな時代の流れではないでしょうか。仕事が少ないときにリスクを背負ってものづくりしたり、忙しいときに無理をしたりするようなもちつもたれつの精神も、三方善の精神そのものだということがお分かりいただけるかと思います。

今の時代、作り手側でも暇なときには仕事がほしいけど、忙しいときには仕事がしたくないというケースのタイプの人も多いものです。暇なときに遊んでいる人が忙しいときにがんばれるかというとなかなか難しいもので、暇なときに遊んでいたら暇なときに仕事をしている人との差が広がっているだけで忙しいときにも一人前の仕事ができるかです。暇なときほど大変だという本質が見えるか見えないかで、忙しいときに仕事のありがたみがわかりがんばれる人なのかどうかもわかります。
2012年04月26日
この1週間ほどアパレルさんの製品の修正に時間を使っていました。リネンを縦、レーヨンを横に織る織物なのですが、この組み合わせがあまりよくないようで、リネンの糸のフシが目立ちすぎてきれいに仕上がった製品に修正を掛けるのでなかなか難しいのです。ベストな選択をしながらも織キズではない部分でのリスクというものが増えており、特に先染のコントラストの高い部分はリスクが高いです。

先週には、あるお客様から高品位なものの生産のご依頼がありましたが、それを進めることができるかどうかは作り手側のリスクを十分に理解いただいているかどうかで変わってきます。珍しいものというのはリスクが高いとか手間隙かかるので珍しいのです。

リネン25番手のものを織っていますがコントラストの強いものはかなり今年のロットは問題も生じそうです。複数のルートからの糸の手配でベストな選択を考えていますが、織機も止まらずに動いているのに、5cmほどの白っぽい部分が見えるなど、同じコーンの中で糸の太さにムラが生じてしまっているのを何度も確認しているだけに、糸選びは慎重にしないといけないのを感じます。
2012年04月25日
今日は、夕方、ある観光地の観光客の集うおみやげ物屋さんに行きました。麻の暖簾が売っていたので、「中国麻」としっかりと書いてありました。観光客相手に中国産を表示してものを売るのはセンスがないなあと最初感じてしまうのですが、なぜ大きく中国麻と書いておられるのかを考えると、しっかりと誤解を招かないように正直に販売されているのが立派だなあと感じました。普通おみやげ物屋さんというのは、手ごろに買ってもらえるようにイメージだけが先行して安価な海外製品がほとんどだったりしてしまいます。

彦根に来て周辺の近江上布の話などを聞いたら麻のものがほしくなるはずで、彦根のお土産を扱う店で並んでいたらそれがその産地さんのものと思ってしまいます。同じようなお話は、別のところで地場産のものを販売されている方も危惧されています。自分が販売しているものが本当に地場で作られたものなのか。

海外の麻のものの欠点は昔から言われているのが染めの問題です。糸などを染めると中まで染まらないのです。堅牢度が悪く、色落ちをして洗濯すると他のものに色移りしてしまいます。量販で販売される安価な洋服でも、ドライクリーニング限定なのもこのような事情が影響をしているのではないかといわれます。特に濃い色の色落ちは悪いのです。逆に色落ちさえ気にしなければ家庭で洗えば使い古したようなユーズド感が得られる可能性があります。

色落ちの問題は、染料なども国内のメーカーが撤退して海外のメーカーの染料を取り扱うようになってからより顕著になってしまっているようです。糸の中まできれいに染める方法もあるのですが、「リネンの染めに命を掛けていた」とおっしゃられる業界においてはリネンの染めの神様的な存在だったところだけの秘密で、電話で私が中まで染まらない問題に関して相談をしたときに特別にその技を教えてはくださいましたが真似をすることは現実的には難しいものだと思います。

こだわり始めたときにその差に気がつく人がいるかいないかでだんだんと技術というものはなくなってしまっていくものです。日本で販売されている麻のものの9割以上が海外産の生地となってしまっているのが現実で、同じセルローズ繊維ということで、綿と同じ感覚で麻を染めてしまうがためにぼんやりとした色に染まっている麻生地が増えてきてしまって本来の麻のもつ光沢感がみられないケースが多いものです。

麻の産地に関するお問い合わせなんかも2番目くらいにたくさんいただく質問なのですが、現実はブラックボックスであることも多く、アパレルの方や百貨店のプロの方でも誤解されてPRされたりしていることが多いので最終の消費者の方にまで正しい情報が伝わっていることは少ないものです。一般の方のほうが業界で商売されている方よりもこだわって物を探されておられるケースが多いのも感じます。

安く買って高く売るのが商売だと豪語されたかたがありましたが、その本質は見抜かれてしまうので長く続かない形だと思います。長く続けていくからには損得を抜きにした部分で業界をどう担っていくかが大事で、損を承知でやらないといけない厳しいものづくりができないと他とは違う特別な世界というのはごまかしで作り上げることになってしまいます。それが産地にこだわったり、自分自身がものを作ることだったりするのです。
2012年04月24日
麻の生成というのは色のコントロールが難しいのです。生成の色だけでなく品質をコントロールしようとすると、いろいろな畑から取れた原料を混ぜるような工夫が必要だったりいたします。これは、あまり一般には知られていない品質を安定させるための技術なのですが、業界では当たり前に行われていることなのです。

昨年の作柄というのはここ何十年で最悪だったといわれていますが、過去の在庫の原料などを使ってその差を埋めることが行われます。お米と同じでリネンが高騰する年の作柄というのは悪いものです。

麻本来の生成がアパレル向けに使われることはほとんどありません、干草のような臭い匂いがしてしまうからで、精錬や軽い漂白が行われていることがほとんどです。それでも十分に麻本来の生成のイメージは保っていますので本来のものを求められたい場合には、生成も匂いがするものを探されるほうが良いのです。

リネンの色の生成が、亜麻色の髪といわれるように、本来は金髪を想像するようなゴールドなのがリネンの生成の美しさなのですが、リネンの生成の光沢感のあるゴールドな色の美しさを楽しむことは難しくなっています。
2012年04月23日
林与自身は、近江上布のルーツは一般には鎌倉室町時代といわれていますが、湖東地域でも古代に大国荘と呼ばれ江戸時代には豊国村とよばれた場所にあると思っています。私の住んでいる東円堂という地域が、かつて奈良の東寺や興福寺などのお寺の荘園だったことなどが当時の日本の最先端の織物に対する技術や需要がこの地にあったのではないかと思っているのです。

また、豊満神社にしましても旗神を奉るとされ、西暦200年くらいの神話っぽいのにも出てまいります。この辺りどこまでが真実なのかはわかりませんが、そういう言い伝えがあるのはこの地の織物の歴史というのが、一般にいわれる近江上布以前にあって、特に、豊国村では細番手の麻織物が盛んに織る業者が多く、能登川地域の座布団や寝装系や琵琶湖周辺の蚊帳などの麻織物とは違うものに特化していたように思います。私が徐福伝説を信じるのも、秦氏というのも秦から来た人を一般に指して、その子孫が日本に織物技術を波及したと考えるのです。

実際に、上布と呼ばれるクラスの細い糸を使った緻密な織物を織ろうとすれば糸ソウコウや竹ソウコウでは難しく、鉄を加工する技術が必要であるのです。稲作なども弥生時代に中国からの伝承であるとされますが、それも日本の織物の歴史とかぶるのではないかと思います。徐福のような一人の人間が稲作、鋳造、織物などに関して高度な文化を日本にもたらしたと考えるのが自然だと思うのです。アンギンのような編み物に関しては農業の一環として誰もが考えうる程度のものですが、麻の細い糸を績んで織るような技術というのは日本中同じですので逆に伝来したと考えるのが普通ではないかと思います。

地場産業なんてものも、今の自動車産業と同じで、実際には一族の産業である側面が歴史的には大きかったわけで、技術に長けたものがその開発を背負って地域を潤してきた形ではないでしょうか。近江の地でも、わずか車で30分ほどの範囲で、同じ麻でも、寝装系、蚊帳系、着物系など分かれているのも、どの一族から分かれたかで取り扱うものが異なっているというのが本質的なところではないかと思います。

近江上布の織物の歴史に関して大国荘のことが語られないのは不思議だなあと前々から思っておりましたので、林与の近江上布のルーツに関する持論というのも面白い話だとは思われないでしょうか。
2012年04月19日
今日は午後から、京都新聞の方が取材にお越しくださいました。株式会社SQOさんが弊社素材で取り組まれているリネンシャツのプロジェクトに関する取材で、株式会社SQOの小林社長も東京からお越しくださり、手がけておられるリネンシャツに関する熱い思いが記者の方に伝わったのでなかろうかと思います。

小林氏が、記者からの、どんなシャツをつくろうとされたのかという問いに、自分が着たいと思うシャツを作ろうと思いました、とストレートに答えられていたのが、今回のリネンシャツプロジェクトの本髄ではないかと思うのです。私自身、小林氏というのは、フェラリーに憧れる少年のような強い思いを、麻シャツに対してもっておられるような印象です。

弊社以上に、今回のプロジェクトで力を発揮していただいたのが、長浜の布工房DENさんで、小林氏の思いに応えるべく襟の形だけで20型以上新しく検討をされておられます。林与の素材というのは、林与が四代続いて無理をするタイプですので、麻のものづくりの世界では麻織物にこだわり続けた家系ということで日本でも珍しく、そのものづくりは特別に見ていただくケースが多いので恵まれているのです。

林与のものづくりのスタイル自身が林与らしいというか、結果として、日本の麻織物のモデルちっくな形でありたいと考えているところもありますので、麻織物の本場のものづくりにふさわしいものづくりというものを残して生きたいと願っているところです。
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