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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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2023年10月13日
パレスチナ情勢が緊迫しているがそういう人がお互いに殺し合い死ぬか生きるかみたいな状況ではもうサステイナブルとかエコとかエシカルとかは意味のない話。どちらが正しいとしても戦うだけで人が殺されてしまう結果になる。過去を忘れて、ノーサイドみたいにその後は関わり合わないというようなルールで、お互いが隣同士でも一切関与せず新しい復興に向けて動き出すとかしないと無理だろうが、そういう戦い合うのが当り前みたいな状況においては、片方の側の中でもそういうのを受け入れられる人と受け入れられない人との差というものは大きく、片方の側の中でもパワーゲームが繰り広げられていて味方として戦わなければお前は敵だみたいな風潮もあるだろう。

よく企業が莫大な利益を上げたりするけどもそれが本当に良い結果なのかというところもあって、その裏側をみることも必要で、その利益が多くの人の損で成り立っていたとしたら、そして力をもった企業が利益が上がる構造を固定するために法律を牛耳りだしたら、もう、貧富の差は広がり、結論として多くの人たちが食べていけなくなる。資本奴隷のような状況に陥り、国も成り立たなくなり、結局、生きているだけで税金が課せられるような、払えないものは犯罪者でということで利益を上げられないものは国から見れば犯罪者ということになってしまう。だから、経済成長とかそういうのを目指すのは良くなくて、国が浪費すればするほど税金を取らなければならず。立場の弱い者たちは常に不利なルールの下、抜け出すことは難しい状況が続く。

立場の強いものに有利なルールで、立場の弱いものに不利なルールというのも、よくありがちなルールで経済というのは平等なルールでは回ってはいない。例えば新電電という電力の再販システムがあるが、これらの業者が非常に胡散臭く、kwあたり1円程度の値引きをしながら、燃料調整費用で4円とか5円とかとってたりで、その部分が電力会社よりも高かったりして、逆転現象が起こったりもする。

新電電の電力会社の本社も、電気業金に関して説明ができるものは2人しかいないとおいう。えっ、契約者はその契約内容を理解しないといけないのに、新電電の会社の社員でも2人しか料金の詳しい説明が無理とか、それどうやって契約するの? 営業の人たちは電気料金が安くなるからといって契約させているのに、具体的な数字を聞いてもサービスを提供する側が自分の約定も理解せず、利用者である顧客がその約定をすべて理解して契約しないといけないというのもおかしな話だけど、実質新電電問題などは、燃料調整費のせいで電気料金が2倍に跳ね上がったとかいうようなところもあるようで、騙すのが目的だったのではないのかと思うような、社員ですらも約定すらも理解していない状態でのからくりのある約定で消費者に不利なものを押し付けて自分たちが間に入って中抜きするだけのビジネスというのが当初からありがちなスタイル。法改正もそのためにされたのではないかと思うようなところがあり、電力会社が面倒な個々の契約から解放されしかも燃料費の高騰を新電電に背負わせることが可能だったりで、結局それは消費者が損をする話。国がそのように法律を改正して誘導したようなもので騙された人も多い。

大手の保険契約というのも、生命保険にしろ最初の契約だとすごく有利なのに途中で新しいプランに変わったからそちらの方が有利だと解約させられて新しいプランに移行すると損をするというのがほとんどで、セールスマンすらも理解ができないほどの複雑な約定契約で、最初の契約よりもどんどんと不利な生命保険契約に変更させられて、日本の年金と同じような問題が民間の生命保険にもある。そういうのを国が許して誘導しているから駄目なんだけど。破綻した生命保険会社ほど儲けて逃げているという実体があって、何千億もの保険会社破綻に備えて積み立てられたお金が一つの保険会社の破綻でなくなるとかもあって、生命保険屋や損害保険というものは、保険会社の破綻こそが儲けのビジネスモデルというからくりがある。保険会社にしても天下った人も多いし、そういう人たちが甘い汁を吸いながら責任を取るつもりもなく運営されている。破綻した保険会社が集まったみたいなのが今問題を起こした損保ジャパンで、保険業界の会長の会社が再度えぐい損害保険ビジネスつづけてやって成長とか。

でも国からすればそういうところが優良企業で資金を積めて利益も上げて急成長で、成功モデルというのが日本の今のホワイト企業モデル。裏側はBMと同じく消費者騙しの手口が横行でそれで利益が上がっているだけのホワイトな優良企業。そういうところが、結局地道な昔からのものを儲からない駄目なことやっているように見せてしまい淘汰してしまって、まともなことをやっているところほど、よくて普通の利益程度しか取らないし親身に顧客を騙しもしないし押し売りもしない。
2023年10月13日
京都で学生時代に体育の授業で一人親しく友達になろうとしてくれた人がいて、今度遊びに行くということで来てもらったら、もう一人訳の分からない先輩みたいな人もいて、これから先生がこの近くにいるから会いに行きましょうという。私が、偉い先生かもしれないけども人を騙してそういうことやってたら、自分ら一番アカンやんと、私が説教するとその二人は何も言えない。

私の言っていることよりも先生の指示のほうが大事のように見えて、私を引っ張り出してそこへ連れて行かないとその人たちの使命が果たせないというような状況。マルチビジネスとか英会話勧誘とか似非宗教に耐性のない人だと、押しに負けてついていってしまってるだろう。騙されたことに対する怒りというのは大きすぎてその二人のやってることは許せない。

怖いのは、18くらいの優しそうに見える人がなぜか人を平気で騙してそいうことを企てる一味になってしまっていることで、家系がそういう家系で生まれながらにそれが普通になってしまっているのだろうか。嘘で騙すのがへっちゃらな宗教というのも、嘘をつくのがうまい奴ほど出世して幹部で、人を騙して階級社会に取り込んで食い物にするプロフェッショナル。政治も宗教も似たようなところがあって儲けるからくりが悪徳な青竹売りよりも一桁二桁さらにエグイ。力のない不幸な人ほどそういうのにすがるものでそれを食い物にして成り立つ組織というのもないほうが良いと思う。

不幸な子供をもった親が息子を救おうとそういう宗教に掛かると、息子の不幸は親が財産を大事にしているからとかでなぜか寄付させて、その家族をもっと不幸にする。それが実話の物語で、障碍者のお兄さんをもった弟が自殺して自分の保険金で兄が幸せに生きて行ければと願うほどに、日本の社会も世界で一番に悪徳が広がりすぎた政治的にも宗教的にも社会的に末路な状況。
2023年10月13日
手織り体験で、初めての子供たちが1本織る度に上手になる。最初に織りたいと興味を示したときにやってみることが大事で、その1回目が失敗に終わらないように誘導することは大事だと思っている。あと手織り体験のような経験は手織りを体験するというだけでなく、初めてのことでもやってみるという体験の場でもあるから、そういう初めてのことでもチャレンジするような経験を積んで、次の他のことのチャレンジにもつながる可能性がある。

織物の仕事をしていて、仕事の説明というのは最初の1分とか2分程度で長くても5分以内のことがほとんど、やってられるのを実際に見て真似てするしかないし、その時に次からは自分ができるようになっておくのが非常に大事で、やった仕事はすべて吸収してというのが基本、次からは自分でやるのだからまれに失敗なんかもあってすごく時間かけて復旧することもあるけども、そういうのが当り前だと、調子よい時だけでなく問題の起こったときに立て直す力も備わる。

アンダーモーションとかも全部バラバラにして、ジャガードの装置なども全部バラバラにして掃除をしたり悪いところを直したりも、根気よくやれば出来ないこともないし、若いころに最初から本番で自分でやって1日とかで完全にマスター出来たりもする。次にやるときには慣れて素早くする方法も見についているからスピードも速く、アンダーモーション何台分も1日に分解掃除が出来たりする。もうそれでアンダーモーションメンテのプロになれる。

林与は考え方が特殊で、工場で働いていたおじさんが織機のトラブルを直すために狭い織機の下に体をくねらせて潜ってアンダーモーションが外れたのを直すのを見て引くのではなく、昔から知っているおじさんでもやってるんだから織機の問題があったら自分が一番最初に直そうとしようと決めて、織機トラブルの時には率先して織機の下にも潜るようにしていた。

そういうのはどこで身についたのかというと、アメリカにいた時に自動車を自分でいろいろとメンテしていたことが練習にはなっていたと思う。自動車の構造も織機の構造もタイヤがついているかいないかの違いで機械的な動きは似ているところがある。また、20代のころに自作PCブームというのがあったので、PCをばらしては組み立て、今もレッツノートを何台も持っているが、部品が壊れれば、液晶でもキーボードでも自分で交換してみようとなる。それで普通に直るから、ノートパソコンなんかは修理に出すとハードディスクも初期化されてしまうというのが普通だったので、データを失わないためには自分で修理し、復旧するしかなかったというのがきっかけではあるが、最初の1回目を乗り切れば次のときにはやればできるの分かっているので。新しいノートパソコンよりもそういう古い分解でき修理が自分でできるノートパソコンのほうが良いと思っている。

10万円以上もするものを失敗したら終わりという覚悟で、いろいろと情報を調べるだけ調べてから、慎重には作業を進める。ほとんどの場合にはうまく行くが、10回に1回くらいは初めてやったときには失敗することもある。そういう失敗には授業料を払ったと思えば、他の10回に9回の成功で授業料も帰って来る。仕事も同じ考え方で、10回に1回くらいの失敗は他の9回の成功で取り戻せると思っているが、それ以外に、問題のあるときには自分の時間をフルに使って解決できるまでとことんやってみるというのが、自分が頭で考えた解決方法をすべて試してみるのにつながっていて、経験が長くなれば問題のほとんどと物事の限界みたいなことも普通以上に深いレベルで見えてきたりする。

手織り織機のラチェットギアを真鍮で自作した経験にしても、長年、手織り織機の構造は簡単だけども、ラチェットギアだけは自分では無理だろうとおもってたのを克服できた。一生のうちにそれができたことは部品や材料のほか、切断工具など10万円以上は使っているけども、会社の整経機を使って手織りの織機用の自作ビームに巻き取り、さおり式や東京手織織機に関してはビーム交換式が実現したことは、こんなことができたらよいのにと思うのを自分自身で解決ができて手織り織機の価値が増す。グリモクラのビームも交換は難しいのだが、同様に新たなビームを取り付けられるやり方を使えば機草を使わずに50mでも100mでも交換式で整経が取り付けられるだろう。

自分で手織り織機をつくることだけでなく、そのための金属加工までを考えるようになって、シャトル織機の部品なども最悪は自作する目途もたっては来たというのがもう一つの利点で、林与は今54歳だけども若いころにもっとこういうことを出来る環境があれば面白かっただろうなあと思う。先代は織る以外は外の専門の人に頼んでやってもらうのが主体で、私はまったく反対の考えだから今もやっていけているんだろうと思うが、この考え方というのは近江上布絣の数々の技法を生み出したヨジヨモン爺さんと与一爺さんの精神。モノが手に入りにくい時代に、近江上布絣柄というものを数千も生み出した。それは単なる技法と品質にはとどまらず、デザイン性においてもヨーロッパの高級ブランドに通じるようなモダンで絵画を身にまとうようなオシャレ。

笑える話だけども、20代の若いころに20枚ほどの近江上布のハギレがたまたま、家のどこかに置いてあって、私がそれをみて、すごすぎるこんな印象派の絵画のような布をどこの誰が作ったんだろう、日本の生地ってすごい世界があるんだなあと思ったのだが、あとで知ったがそれが門外不出的なものが家のなかで20枚ほど箱から出されて出てしまってた。その20枚にしても今の時代にはありえない世界だが、先代は、できないものは見せるなのタイプだったので私も封印しておいた。

それをプリントとしてデザイン面で再現しようとしたのが、林与の近江上布柄プリントプロジェクト、それはイタリアや中国の展示会で注目されるけども、布の世界の目の肥えている世界の高級ブランドの方々というのはオリジナルのアーカイブの絣のものほうが欲しいと言われるケースが多く、それを広幅で再現しようとしたのが広幅絣プロジェクト。近江上布の技法をさらに発展させ、一人ですべての工程を行い、アパレル用の広幅で再現するというプロジェクト。技法は確立できたものの、林与は常に目の前の現場の仕事に追われているので、世界最高峰的なものづくりとういうのは時間のできたときに趣味的に行えればと思う。

シャトル織機で一本一本何千本もミスなく柄を合わせながら織るのは肩が抜けるほど疲れるから、やっぱり広幅絣も手織りにしようかと思ってて、手織り体験にもつながったし広幅の手織り織機を自分でつくるところとかまで広がってしまっている。すべてが連動して相乗効果的なものを生んで、それは何十もの普通を超えたマジックの組み合わせ。布そのものがマジックのように人を惹き付ければよいと思うし、やぼな種明かしは必要ないだろうと思う。林与の思う力のある布とか力を感じる布の世界。布をみたときにそれを作った人の強さみたいなものが伝わってくるとか、人生観の儚さや無常さみたいなものが伝わって来るとか、そういうのに人々が共感するみたいなのが布が人々に語り掛ける世界なのだろうと思う。
2023年10月13日
問屋さん経由で仕事をしていたときに、あるブランドさんにいったときに、ブランドの人と問屋さんの若い人が仲良く話をしていて、問題が機屋の問題だみたいな結論が出来上がっているようなのが伝わってくる。その問屋さんの若い人も業界の大手で経験を持っておられ仕事の感覚がボケ過ぎててやはり2年ほどで去られていったのだけど、そのブランドの方も緊張感がないのは、私のほうが若かったのでまさか社長とは思っておられなかったのだろう、林与の麻生地がそのブランドの基準には満たないということですねとおっしゃられて、その問屋の人とそれで問題が解決すると思っておられる感じ。後で私が社長だったのに気が付かれたかで、神妙な電話をされてくるけども、あの軽い乗りでオリジナル生地が簡単にできると思っておられると高品位な糸というのは綺麗であるがゆえにわずかな糸のフシでも目立つ、光沢感などなくなるが安いボコボコの糸を使えばそういうの目立ちにくく、林与も成り立ちやすいが、それは安物をつくる世界で糸を下げて他を産地の一級のとかもったいない話で、4分の1とか5分の1の値段で手に入る綿麻の糸に置き換えればできないことはないけども、出来上がった布をみて、それを喜ぶ最終のお客さんがどれだけいるのかという話で、業者的にはそれに満足しても、目の肥えた高級ブランドのお客さんの目というのは普通のありきたりの生地ではシビアな結果になるだろう。

ほんとサラリーマンな世界が広がっていて、自分が生地のことを分かろうともしていないのが広がりすぎている空気でやってるんだろうなあと感じ、私はそうですか、そうですかと反論もしない。議論もしないと分かってもらえないというのは残念で、議論もしたくない。その問屋の人にも電話で噛み合わないので、一つの着分サンプルつくるのに10万くらいはコスト掛かってますよと普通の話をすると、20年やってて初めて知ったとかいわれて、それでも1円でももらったら仕事は仕事だとか、その人が偉そうに言ってるからこりゃあもう相手にしたら全く駄目な人。

でもそういう人がぐるぐると繊維業界を転々としているというのが普通で、自分が自分のお金を使う覚悟もなく、問屋だから機屋よりも偉いのが当り前みたいな感覚で、その問屋の大手商社との仕事も林与が大手に相談されてその問屋を間に挟みたくないからといわれるのを、その大手商社に口座が作れるように調整するのも、何代もいろんな商社が着物を扱っていた時からとかの付き合いのある機屋の役割だったりもする。

問屋さんにも間に入ってもらうのは人の情けみたいなところで成り立っていて、ブランドのものづくりを資金面で支えるのも問屋ではなく機屋の仕事。問屋さんが自分で生地を買えれば別だけども、何百億もの生地商社でも何年も買い取りもせずに、引き取らないのですかと尋ねると、ハイみたいな答えで、それじゃあ自分で売りますからと売ると今度は、その人が半年後位になんで売ったんですかとか、ボロボロのボロボロが年商何百億円の生地商社。それでそのあと林与がその会社との取引をしないことに決めてるのに、次は絶対に買取も約束しますからと言って100万円くらいの仕事だったけど、つくったら結局、担当も変わって引き取らない話に、2年経って、部長クラスが電話してきて海外のプロジェクトで特別なものをみせたいからみたいな話だけども、御社との取引は問題がありすぎるのでと断る話で、その100万円くらいの生地もその部長が自分の倉庫に入れる形で解決。田舎の機屋のほうが何百億円の生地商社よりもものづくりを背負っている話で、その生地にしても世界に日本のものづくりを発信する有名なブランドの注文なのだけども、裏は日本のものづくりをどこまでも苦しめてしまってそういう日本のこだわりのブランドが成り立っているだけのこと。ブランドの人も問屋と付き合う時には、そういうの分かってないと、問屋さんにお金のことも考えずに気軽に宿題出されると本当に迷惑で。

林与と関係のない問屋さんが、林与がそのブランドのものづくりに関係していることを知って、そのブランドから宿題をもらったのだがわからないから、ものづくりを教えてほしいと。えって、なる話で、自分が、できない、わからないなら受けたら駄目だよ。でも、問屋さんというのはその程度で、自分がサンプルを作る費用も考えずに受けてしまって来る。生地の世界は、ゼロからのものを作ろうとすれば100万くらいは試作や叩き直しに使うこともあるのが普通で、それを無料で機屋が頼めばやってくれるとか考えていたりが個人の消費者未満の感覚で商売したい問屋さん。

その方にも、林与の織物の世界じゃない話だけども、林与もそれなりにその世界も1度やってみようと業者とも話を煮詰めたこともあったので、そういう知識をその人に教えてあげるけども、何十万も試作に用意できるのかというあたり、宿題貰った問屋レベルではやはりブランドさんの求める答えを出すというのは、経験も資金面でも無理な話で、ブランドのものづくりは末端だと思われてる機屋とかが技術面資金面で支えないと無理な話が普通。

私にある方が、会社で決済が難しい案件で自分が20万とかのお金を建て替えてまでやってるんだよみたいな話されるけど、それ聞いてその会社だとすごいのかもしれないけど、自分で会社や仕事している者だったら普通にやってることだよという。スポンサーが逃げたら私もやめると言っておられた徐福をまったくご存じの無い研究家の方にも、もっととことんの覚悟しないと駄目じゃないんですかという。すごく気になったのが、徐福の名前を聞いたこともないというのが本当に不思議すぎて、ある大学の服飾の歴史の先生は徐福知ってますかと聞いたときに秦の始皇帝の時代の中国の人だともちろん知っておられた。

私が織物の歴史をたどったときにそれが日本人の歴史にたどり着いて、徐福が神武天皇で皇室の始まりだろうとする説を私は支持している。そうでないと日本の弥生時代や弥生文化がどこから来たのかとか説明がつきにくい。日本の神道にしてもなぜ大麻なのかも説明がつきにくく、そこにはインドに7年留学した徐福の存在があると考える。その時代はアショカ王の仏教がインドで広まった時代で、その影響を受けて後の平安時代の仏教とも非常に整合性のよい日本神道の形で、仏像や寺院の建立や皇族の出家など昔の皇族は仏教信仰の側面があり、仏教というのは家の代々の先祖を大事にし、神道では地域社会の先祖を地域が大事にする違い。土着の弥生時代以前の宗教や山の神さま、海の神様で、自然の木をご神木としたり、石を積んだものを社とするなど先祖崇拝的ではなかったろうと思われる。弥生時代にもちろん漢字はあっただろうがそのほとんどが記録として残っていないのも、秦の始皇帝の追手から逃れるために末代に徐姓を名乗るなと言い伝えただけでなく、痕跡を隠すために文字による記録を取らせなかったかあるいは焚書的なことを行ったのだろう。
動物化や化け物化した日本の昔話などもあれは人々を苦しめる支配的な存在に対して、庶民は善良で正しく生きていればいつか報われると諭したのだろうと思われる。
2023年10月12日
たとえば、縦横高さ58.5cmの箱に荷物を入れて60サイズだからといってクロネコに出しに行くのは、最初から60のサイズの荷物を作ることを心掛けて箱にも入れていたりする。一緒に若い人と行くと、80サイズだったと車に戻って来る。60サイズだからともう一回行って確かめてもらってというと、嫌そうになっている。そしてまた、80サイズだと帰って来る。私が行って、窓口の女性に60サイズだからちゃんと計ってみ、というと、正しく計りなおして60サイズになるとか。

これは残念な話だけど、窓口に向かわせたのが若い女の子だから受付の女性も緊張感がなく適当な計り方、たぶん、私が最初に持ち込んでいたら1回で指摘もするし測り直させるから正しい結果になったとおもう。いい加減に図るのではなく縦何センチ何ミリ横何センチ何ミリ高さ何センチ何ミリくらい、その一瞬でも認識しないような計り方だと正しい計り方なんで言うのはしようとも思っていない。どうせ若い女の子だからオーバーサイズに計ってもそのことは関係のない話だからと思って軽く考えて騙してしまうのだろうけども、そういうのが仕事の感覚になったらビッグモーターと同じでお客騙して金儲け、自分が顧客に守らせる約定すらも違反して利益は増収増益では駄目な話。

このくらいの簡単なことは思った通りの結果にならないと仕事とか難しいと思うが、そういうのも難しいような緩慢で別に監督が必要な話では。多分営業所のボスの指示でワンサイズ上にしろという命令があるのだろうとは思う。佐川もサイズを計ると62とか82とかが多くで、大阪から届くジャケット1枚を畳んで120サイズ以内の段ボール箱の着払いを142cmとして160サイズの着払い料金を請求しようとしてきたことがあって、そうすることで2倍の料金を請求可能だが、あまりにも汚い。うっかりじゃない、騙す気まんまんなのが日本の上場企業でも横行。

林与も生地を切るときには仕方なくキズが含まれそうになるとギリギリの時もあるけども1mなら1mを割ることはないように心がけている、一般的には5%セントくらい大目に1mなら105cmとかでカットすることがほとんど。林与自身、業者に対して厳しい目線で正しいことを追及するだけに、逆に自分自身はお客様に対しての余分的なアロウワンスを与えることが多い。

業者さんにしても用尺が2.3mなら1割くらいのアロウワンスを儲けて2.5mで計算してくれてたりとか、それが普通にロス計算をしていないと成り立たない話なのだけども、そういうロス計算が想定外と思うブランドさんは、一つのキズを直すために何往復もの洋服を機屋に送られるが、そういうのが奴隷的な生き地獄で、林与的には仕事したら一切駄目な相手。何千着もの洋服をつくれば、数パーの問題を想定はしていないと、天然繊維では難しい話で、直しても直しても駄目出しされて送り返される最終商品に往復の送料だけでも1万円以上は当たり前に使う話で、なにの意味があるのかもわからないタダ働きどころか地獄そのものが大企業的な日本の繊維のデフォだったりもして、一生懸命に仕事をしている気持ちも分からずにくみ取らずに駄目出しばかりのブランド運営では相手が駄目と思っていても、議論すらもしたくないから、その仕事だけはなるべく綺麗に片付けて解決したいと思って出来る限り。

私がそう思うのもなにか問題が起こると逆に脅しを掛けてくるような業者さんも多く、仕事をそういう業者さんとすると頼んだことで大事な仕事の首根っこを持たれてしまって、苦しむというのはいろいろと繊維業界で経験してきた昔ながらの繊維業界の体質そのもの。業者さんにも仕事がないから仕事あったらぜひといわれて良かれと思って仕事を出すけども、その前に念入りに色落ちの話もしているのに、結果、色が3分の1に落ちるような問題でも、それは加工で70度のお湯を通すことを想定していなかったとか、それは日本の伝統的な今の繊維業界のレベルの低さそのもので、海外の途上国の染でもそんなことはありえないのだけども、仕事の感覚の違いそのものでお金はお支払いして、展示会サンプルが没になる話を解決してゆく話で、一般の消費者だと服の色が3分の1に落ちるなんてありえないだろうけども、プロはピンキリだから、加工で70度になるのを言わなかった方が悪いという低いレベルの話では100度くらいを想定もする林与としては諦めるしかない話。今は加工工場さんも日本製の持ち込まれる生地の色落ちが激しくて100度を70度に落としてそれでも落ちるような染もあって、昔だとそういう海外で普通に問題になっていた生地の問題が日本製の生地で頻発しているような状況らしく、加工工場さんも地元の澤染工さんの染を色落ちなど安心な染の基準にされているお話でそういうのも分かるのが、日本で最高の麻織物の世界を求め続けて、今はなるべく染も加工も地場での思い。加工工場の会長さんとの話でも加工のことで迷惑を掛けることも多いけど、林与の本気は他にはないと小さな林与を大事に思ってくださっていて相談役さんでも林与の布は特別だからと配慮をいただくも苦言を呈するのもややこしい自分なんてどうでもよいからの林与だから産地での存在息も意義があると思ってる。金儲け主義が一番嫌いで成金的な感覚が一番嫌いで、大企業的な階級思想も感覚も嫌いで、つぶしたければつぶしてくれてもよいとも思うけども、日本の麻業界の重鎮と呼ばれる方たちの人間性すらも林与の個人のつながりとしてあんまり無茶苦茶でだらしない話ばかりやと70代の方々に怒る話も多く、それは本当に厳しい話で日本の麻業界の本気がつぶされ駄目ならいつでもつぶされてやめる覚悟すらあるけども、世界的な麻業界の布の世界のものづくりやと、日本の大手の資本力的なものづくりじゃなく、中国でもこだわりをもった2社くらいが中国の布づくりの麻の最高峰として最後残るだろうと思う。

林与というのはなぜか恵まれてそういう世界的にみた国家のレベルの頂点を目指したい人たちとの接点も商売じゃないところで同業者として持てるのも、林与の布の世界を見た時に布がそういう方々に失われた布の世界の感覚や求めたい布のせかいの感覚を伝えられるからだろうと思う。インターナショナルなブランドさんというのが、安いモノ探しばかりで適正な価格も難しいという現実もあって、ブランドさんの古参のひとは林与の布を見て若いものに見せさせたいとイタリアでも失われたテイストを林与の布からブランドの若い人たちに学ばせたいみたいなこともおっしゃってくださるが、来られた方が10ドル以下の布を探されてて、それは本当に一番今の世界で有名なブランドなのに金儲け主義で本質すらもうしなって、林与では一番安い綿麻のP下の1000円の生地をお勧めするような話は、残念過ぎる。でも、イタリアでも別の世界的には有名だけど日本では無名のブランドの年配の経営者クラスの方が林与の近江上布を見てくださって、さらにイタリアのトップの生地つくりレベルの会社の経営者レベルの方にも林与のブースを見てこいみたいな感じで、そのイタリアの麻の名門中の名門の生地の方が、ブースの外で他のお客様が終わるのをまって、最初に名刺を差し出して、まさに紳士淑女の世界で、いきさつも林与のブースにお越しになられたいきさつもお話されてイタリアの重鎮の方から一度見ておいた方がよいといわれて、林与の近江上布アーカイブやアイリッシュリネンプロジェクト並びにハンガーをどうぞご自由にご覧くださいとみていだだけるのはある意味光栄。

でも、日本の現実というのは最初に描いたクロネコさんとか佐川さんレベルでも金儲け的なだけの存在で、自分で作った約定も守れずバレないと悪用して消費者を騙してしまって莫大な利益を上げていたりとかはアカンちゃうの?なのが国内の大手企業の現実で、大手企業でもそれしか方法がないのかと思いきや、ある食品関係の物流まで自社構築されて1強ながらもの企業というのは、その企業で最高齢の開発者の方が林与の気持ちと同じで、展示会で東京に行った際にでも朝の5地とかなら時間ありますからというと普通に駅に5時過ぎに迎えに来てくださって会ってくださる。それが世界レベルの日本の食品業界を支えている方で、気持ちは同じで、日本の食品業界の同業者が苦しいのを助けながら一本化でそういう同業者の事業も継続できるように調整。同業者同士が競うでなく、日本のその食品業界の謳いの世界も買い支えて続けていけるようにしようとするのが、日本の繊維業界の大手の安い路線で日本のものづくりを高いから駄目だというのとはまったく違うところ。そういう日本の繊維にとっても林与というのは目障りな存在なんだろうけども、本当の日本の布のものづくりを考えるなら林与のスタイルと整合しなければ逆に日本の布のものづくりの世界はつぶれていくだけだろうし。林与は布の世界の人間じゃないのを自覚もしている、だから、見えてしまっていることも多い。ピカソのキュビズムが人間のもつ汚さを美しく見えるモデルたちを化け物化して表したという、現代のモデルの華やかで美しい世界に憧れる人たちの問題にも共通するようなピカソのキュビズム、ピカソもそういう人たちを抱えてしまって死にそうな気分だったんだろうなその中から生まれたのがキュビズムで、化け物に描かれたモデルたちに絵を見てそのことに気がつけというピカソの嘆きで、ゲルニカにしても、人間の愚かさそのものを、白黒の化け物のオンパレードでモザイクで表現しているだけに私には伝わる。アルルカンに扮するポールという作品が好きで、子供たちというのはそのまま描かれている。大人のどうしようもない内面の腐ったものを絵に表現したのがピカソのキュビズムとの林与の認識。ピカソの自我像にしてもキュビズムでは人生を残念がる裏面と表の顔が2重に描かれているとか。
2023年10月12日
ある方が、昔の職場でその工場が閉鎖になるときと従業員に通告したときに不良率が無茶苦茶あがったといわれていて、工場の経営陣を批判されていたのだが、その工場自体、そもそも成り立っていないのに気が付いていないというのが働いている人は分かっていなかったという問題があるだろう。私も3交代の半導体工場の中で働いたことがあるけども、一番楽なすたいるの優良な工場でこの工場がつぶれないのはおかしいと思っていたことがある。その数年後、その工場は閉鎖され、他の会社に売り払われた。

日本で一番とか世界で一番とかでも、そのなかの経営というのが緩慢になってしまっていては難しい。たとえば、その半導体工場で働いていた時に、昼休憩と呼ばれる45分の休憩とショート休憩15分の二つがあって、休憩を重ねずに機械を動かすために休憩もシフトしながら取る。普通なら15分休憩のタイミングで、45分休憩を取ることになった私ともう一人の同僚が休憩室で休憩していると、すぐにそのあと、昔のその部署の係長クラスの方が他の方と休憩に入ってこられた。

35分ほど休憩しているとその方から、自分ら30分以上休憩しているだろうと指摘されたが、部署が関係なくてもそうやって会社全体のことを見ておられる方が大事で、その指摘は勘違いなのだけども、その方というのはそういうしっかりした方というのを私も同僚もしっていたので、目合わせして反論もせずに休憩をやめて元に戻った。その人が一人だったら昼休憩ですという答えを返しただろうけども、もう一人は管理職の方のように見えたので正しい指摘として終わるほうが勇気をもって指摘されたその方の立場が崩れない。

人の待遇をぎりぎりまで良くして、負荷を減らして労働気分じゃない状態にもっていって、優良企業というのは無理だろう。私は当時3交代のシフトの作業員だったけど、正社員の人たちというのは働く時間はもっと短いし休みも多い。それでいてノルマみたいなものは課せられていて生産性を上げるとかは常に目標となっていた。

日本じゃなく、海外に持って行けば、こんな簡単なだれでもできる作業、やすい労働力で十分だろうし、この工場の敷地にしても無駄に大きくて世界的な競争の中で残るのは難しいだろうなあと思うのは普通のこと。すごく恵まれた優雅な工場なのだけども、砂の上の城みたいな状態。働く人もそういうのに憧れるのだろうけども、長続きすることはなく、働いていても作業内容にしても、素人が集まったものづくりで、マニュアル化して検査ばかり。それも無駄といえば無駄であるが、そういう検査作業というのは算数のドリルを解くようなものだが、それで失敗や責任の所在が誰にあるのかを見極めるような話。基本一つのスクラップも出さないというような高い目標があって、一つのスクラップが出れば改善書を書いて出さないといけないので、普通に地力的な作業姿勢と能力は必要で、田舎の繊維の現場に多い、仕事なんてどうでもよいのよーみたいなおっちゃんおばちゃんでは無理な世界ではあるが、そういう人を解雇するためにはそういうマニュアルプロセスが必要なんだろうとは思える。

多品種の計画生産において、無駄に材料を投入することもなく生産を進めるということはなかなか難しいことで、半導体のせかいだからできるのだろうけども、天然繊維の世界では、不良率は昔以上に糸の問題が増えて検査基準も上がって高まっている。経糸に関しては、3割くらいのさまざまなロスをみて生産することも多い。糸の番手が同じでも糸が均一でないと平坦な布が織れず、それだけで5%とか消費量は変わって来る。シャトル織機で織るのかレピアで織るのかでも糸の消費量は変わって来る。特に横糸は捨て耳の分レピアでの消費量は1割以上多くなる。経糸はシャトルのほうが緩くも織れるしきつくも織れる。高密度に織ろうとすれば、織前が下がるのを避けるために、経糸のテンションを上げないといけないのだけども、高密度に織れば、アップアンドダウンが激しくなり、糸の消費量は普通の織物の2割余分になるとかもよくある話。

薄く織るのは目ズレやヒマが開かないように一般的な織の技術を高めることで回避できるのだけども、高密度の織物というのは、織機に限界にあたるときには、また糸の限界にあたるときには、織幅の縮みが大きすぎて耳そばが切れて切れて織れないとかが起こり始める。それをどう回避するのかが課題になる。

半導体工場での生産においては、高度で特別なものづくりというよりは標準化という手順が取られ、下手過ぎるのは駄目だけども、上手すぎるのも駄目だという品質を一定に保つようなことが行われる。そういう工程においては分業というのは適しており、誰がやっても同じ程度にしかできない簡単な作業に落とし込まれる。1枚が何千万円もするエンジニアリングサンプルの基盤などもそれほど高い工程で行われるのではなく、1枚をつくるがためにすべての量産の工程をへないといけないというゆえに高価であるという部分が大きい。

普通の生産プロセスでももっと小型化なども可能なのだけども、小型化すればするほど多層化した基盤の上下の位置関係がぴったりと収まりにくくなる。そこに穴をあけたりもするので、その穴がさらにズレることにもつながり、小型化も無理のない範囲での小型化におわるから、機械の性能をフルに発揮しているというわけでもない。

織物の仕事においては、作業員の仕事のレベルの差というものは1と10くらいの差がある。初心者の人や年配の職人というのは2から3あたりということが多く、年配の職人の人でも昔は3倍仕事ができたと言われているのもそのあたりで、昔だったら6とか普通レベルの仕事ができていたんだろうと思うが、歳をとると仕事が難しくなるのは普通で、よく言われる何十年の経験というのは最初に戻ってしまっていることが多い。

林与が働き始めた時に整経の糸を割る仕事を伝統工芸士の勘一じいさんがやってくれていた、勘一爺さんも70くらいだったのだけども、生真面目な性格で、初心者の私に対しても絶対に服従で、昔戦争に行かれた方だけに組織というものをよく分かっておられ、何カウントで何本割ってほしいと頼むとそのとおりに糸を準備しておいてくれた。たとえば、先代とかに頼んでもそういうのは無理な世界で、徹夜してもすることが多く間に合わないので、のんきにテレビみているだけの先代に、糸を割るのを頼んでもワシが働くのかというような答え。小学校3年とかのときでも忙しいというので私が手伝ってたこともやる気がない当時50代というのも本当に厳しい話で、でもやってもらっても2ロットがごちゃまぜとか説明したとおりの仕事もまったく無理で、私がその2ロットの微妙な色の差を目視で判別して2ロットに分け戻すとか、この昔ながらの業界は偉そうにしている人が仕事に携わりながら、仕事をするきもなくて、できなくて厳しい。田舎の人の生きてゆく力のなさみたいなのを林与の家の中に感じる。結局、先代も自分が大バカ者だったというのを悟ったのだけど、嘆いていないで働いたらええやんと20代の林与の冷めた感覚。
2023年10月12日
商売としてものづくりにこだわる人たちでも布とお金とを比べるとお金のほうが当たり前に大事で布というのは残らないほうが良いと思う人は多い。ある布のお店の方の奥さんが、布はどんどん増えて行ってしまうと言っておられた。それを聞くと布に思い入れがあるのだろうなあと思う。作っておられる方でもないのに個人として好きでやっておられるからそうなるのだろう。お金よりも布のほうが大事な感覚だと布は増えていきお金は減ってゆく。

日本のブランドにしても世界的なブランドにしても洋服の在庫を残しておられるところというのは少なくて、その年に全部売り切って処分で売れ残っても処分品というのが多いケース。それって1年で駄目になるようなものでもないだろうに、最初の瞬間最大風速だけのためにあって、そういう最初の瞬間最大風速をいろんな形で続けていくようなコレクションと呼ばれるものでよいのか。人々の注目を集めるコレクション、その目的が儲けになってしまうと、安くできるものにラベルをつけて。

ハリスツイードにしても日本では非常に有名だけどもヨーロッパでは評価がそれほどでもなくヨーロッパで言うところの伝統工芸品的の流れを汲む位置づけ、ハリスツイードの場合にはルールがあることで、布の世界の価値感すらもがハリスツイードの布としての本質すらをも変えつつあるような気がするし、オーガニックにしてもルールがあることでそのルールを守れば、また、バレなければどうかなあというものでも大丈夫という儲け意識に落ちてしまっていて、昔ながらのものづくりを語るのになぜかハイテクノロジー。

昔に戻って価値を詰め込むために労力を注ぐというよりも、良いイメージを活用して、ラベル化して儲けるビジネスに落ちてしまっているような気がする。世界的に環境保護を打ち出しているブランドの話でも、ポリエステルの素材に日本の有名な染色技術の会社の新しい染色技法を適用したプリントを施して、結局、それを記念イベントで身に着けた人たちが皮膚に炎症を起こすような問題があったらしい。

長く続いてきた技法というのはそれなりに人間の耐性とマッチしていたようなところがあって、それをさらにハイテクで代用しようとすると人間にとって有害になる可能性もありうる。ナノ化してゆくと、遺伝子や免疫構造にすらも影響を与えてしまう恐れは多い。

マスク一つ見ても、布マスクというのは空気感染も今まで防いできたし、それなりにコロナにも有効でよくできている。一方で不織布のN95マスクというのは医療関係者用に開発されたもので、1時間2時間しか使い続けることができないものでコロナウィルスを99%除去しようが日常での実用性はない。当たり前のことと言えば当たり前のことで、N95マスクだと自分の吐く水蒸気を含んだ息すらも外に出られずに重すぎて呼吸が難しくなる。布マスクというのは水蒸気に対しても寛容というよりか受け付けるようなところがあって、それで網目がより細かくなり水蒸気が異物をマスク表面で捉え効力を発揮する性質が備わっている。結局程度問題なのだけども、それを0と100の議論で武装して、マスク不要論とかは愚かすぎる話だろう。

マスクの有効性を認めたとしても、まだマスク不要論をやってた人たちというのは気に入らずに、N95マスクでないと意味がないとかいうけども、人の命という問題を最優先にすれば、そういう議論が多くのマスクで防げる人の命をマスク不要マスク有害ルールで奪ってしまってきた。村社会的すぎるが、医学にしても西洋医学というのは東洋医学を化学的に再現しただけで、本来は自然の中に人類が生き延びてゆくような知恵みたいなのが東洋医学で、薬にしてもその文字からみても、草で楽になるという漢方のスタイルそのもの。漢方の薬を真似て特許取って独占して化学合成してやるのが西洋医学の基本。
2023年10月12日
スポーツは偶然の要素が多かったりもする。勝負の世界でもゲームの理論という要素も多かったり、将棋というのは必然で偶然がない要素、個と個の思考の戦いという要素で決まる。また、限られた時間なので、経験的に学んだことをもとに自分が考えたことが生きてくる。

すべての局面をコンピュータつかって再現をしつくせば、人間ができるのもその範囲でそれを選んで勝敗が決まっているだけなのだけども、500手未満の勝負のために枝葉的な何億手を記憶したとしても人間としては限界がある。AI対AIにおいて、千日手で差し直しがあろうとも、500手までも行くことがないのは、逆に将棋の奥の深さだろう。江戸時代に将棋を考案した人物というのはたぶんすべて分かって将棋のルールを作ったのかもしれない。

将棋の世界というのは実力主義的で逆に無情にも思うところがある。現実的な社会ではお互いに支え合う気持ちというのはすごく大事なのだけども思うところがあるのだけども、年配の方と話をしていても自分と考えの違う相手は裏からつぶしてみたいなことを考えている人が多いし、それを平気でいうのが大きく経営しているような人たちに多く、消費税問題も輸出型大企業に有利で、国民の生活が必然的に不利になっているのもそのあたりで、いびつなルールで利益誘導が行われていて、頑張って働いて消費税を国民の納めてもそれが大企業にルールとして食われている結果になるだけのこと。

政党政治にしても同じことで、国民の選ぶ国会議員ですらもが直接的に選べないようにどんどんとなってしまっている。比例代表ありゃなんじゃ。そういうのでしか当選できないようなゾンビ議員が党を牛耳るような立場の人間なのだが、政治資金の不透明なこともそういうへんな力構造を怖れたテロ的なちからで、大企業でも求められれば払わざるおえないような村社会日本要素。それはロシアの政治構造にも共通して、日本の柔道界も世界柔道をプーチン氏だよりにするほど日本の柔道の世界にしても闇は深い。

マラソンなんかも厚底バネシューズ一つで決まるみたいな話になってしまって、ルールを抜け穴的に競技の本質を変えてしまうようなやり方で、そういう精神構造が勝てばよいというドーピング構造と似ている。選手だけだと難しいようなドーピング問題、それは国家規模の問題なのだけども、フローレンスジョイナーのアメリカの健康食品企業の広告塔で、健康的にみえた彼女が40歳未満でなくなってしまうという悲劇、見るからに他の選手とは異なるボディービルダーのような脚の筋肉。当時のアメリカという国もベンジョンソンの記録に期待し舞っていて彼の薬物使用を疑うこともタブー視されていた。

才能のある人たちが才能で他の人よりも勝っているときというのは、普通の者でも普通にやっていけているのと同じ状態で、そういうのが難しくなったときに、努力するのか偽装に走るのかの問題はあるだろうと思う。大企業というのはそれなりに優秀な人の集まりではあるけども普通程度の仕事量なので、その恵まれた大人数を食べさせてゆくためにはからくりが必要だったりすることが多い。

消費税率を上げて大企業を救うようなからくりがないともはや日本の大企業も成り立たない状況ではあって、消費税や年金制度は新しい階級制度構築のための手段としての基本的な要素とも思う。極論100%にしたときに何が起こるのか、輸出大企業は国内でものを買って他国につくった商社窓口やディラーとかに輸出するだけで、国民から集めた消費税をごちそうさま出来る。経団連なども社会のために消費税を上げろというなら輸出消費税還付制度をなくすべきだろう、それをいうのはタブーなのか?
2023年10月11日
仕事をはじめたころ、整経の作業をされていた方が、特別器用で仕事熱心な仕事の正しい姿勢を貫いておられた。整経作業だけでなく仕事の下準備と織りあがった生地の後片付けなど他の人がやらない分までやっておられた。1日の仕事にしても、分野は違えど他の人とは仕事の質、量ともに何倍もの差があって、時間から時間で帰ってゆくのが当り前の人たちとは仕事ぶりは雲泥の差。

毎日他の人の何倍もの仕事をされているから特別な器用さもそういう作業の中から生まれてくる。整経なんかも1日に3本くらいされていた。林与も最初整経の作業をしていたのだけども、その方と同じような作業を若いころから普通にこなしていて、より難しい麻関係の整経が仕事を始めた時からの私の担当で、仕事を始めた最初の2年その方と一緒に会社の中のいろんな仕事を経験していた。

一日働いて疲れ切っていてもそこからまだ一仕事二仕事が普通みたいな仕事の姿勢を一緒にしてたのだが、先代の緩慢経営では会社はまったくどうしようもない状態。その方が仕事ができるのもなぜかというと、先代が育てた人じゃないから、私が仕事ができるのも同じで先代が教えた仕事という概念はどうしようもないもので、たとえばあいつらを食わしてやってるとか、整経ばっかりやってたら頭が腐るとかあほばっかりで、そういう感覚が仕事できない人を増産してしまってる。

私も子供のころから先代はまったくどうしようもない親だと感じて来て、剣道の先生方に育てられたようなもの。剣道の世界にしても先代が役で関わるとろくなことなくそのどうしようもない毒を広げようとする。どうしようもないアル中が若いものに酒飲ませて大物気取りとか、ほんとやめとけ時代が違う。子供のころから見ていてどうしようもないあほな親で、まわりもそういうアホがお金ばら撒いているからそれを頼りに生きてては、本当の働く力もなくそういうアホにすがっているような状況で、歳をとっていても食べさせてくれるのを待っているヒナのような人が多い。そういうヒナみたいな人は先代がいなくなってからも私に食べさせてもらうのを期待している人もいるけども、そういう感覚が先代がつくった田舎や繊維の世界のどうしようもない縮図で間違い。

そういう何十年の経験者でも一緒に先代を頼って生きてきた問題を片付けられるのかというと、1日の仕事でも絶対に無理だし、一つの作業でも絶対に無理。そういうのも分かっているから先代の何億もの問題から逃がしてあげているのに、取るばっかりで先代に近づいていた人というのはそういうのも分からずにまだ取ろうとして近づいてくるけども、そういう人に普通の話をするとそういう先代が面倒を見た人が敵対してくる人も多い。先代の問題をすべて背負ってるの分かっている人というものいてくださって、そういう人が親戚の中でも外の世界で強く生きておられ先代というよりもヨジヨモン、与一爺さんのころの精神で強い絆。

先代みたいなものが仕切り始めたころからそういう昔の近江上布の感覚が消えて、先々代ころの厳しさというのは他の産地には残っていたりして、地場でもそういう昔の時代の話をするとそういうものづくりをしないと駄目みたいな話になる昔の地場産業のものづくりを知っておられる方も残っているけども、もう引退も間際でそういう昔のなにもない田舎の働いて出来てなんぼで近江上布の世界をつくりあげたような感覚がなくなっては、できないことだらけになってしまって、できることも、しらんわからんできひんが昭和の時代から当たり前になってしまっていた。

地場産の本物志向を貫いている林与に、悪い気持ちもまったくなく林与さんも看板があるのだから自分みたいに他のところで作った生地を化かして売らはったら簡単にもうかるみたいなことを地場の伝統工芸士の方でも薦めてくださるけども、それしか儲けて残る方法が残っていないというのも地場産業の課題なのかと思って、産地でのモノづくりを残して消費者を騙さずに産地産を成り立たせていく方法はないのかと、昭和のころからの熊本のアサリ問題と同じ様な状況というのも昭和の時代からの麻織物の本場の産地が抱えている課題。麻織物というのは手間が掛かるだけに、昭和の時代でも林与の中の何十年の経験者でも、その手間を当たり前に耐えられる人というのは少なくなってしまっていた。今の時代の人がそれ以上に強くないと産地産の麻織物を残して行くというのは難しいことだろうが、本場の産地で織られる麻布の本物というのは出来る人も少なくなり、それでいて、麻織物が本場の産地で織るのが難しくなっていて、産地でも産地で織られた麻布を見つけるのが難しいような現実というのはまったく知られてもいないし、消費者にも伝わってもいないであろう。
2023年10月07日
昨日の夜は、丸亀製麺のかけうどん大をネギだくだくだくで、麺よりもネギと出汁のほうが楽しみだったりもする。少し天かすで若干の甘みを引き出し、ネギの辛みというか苦みというか刺激のある薬味が、体の中の鈍くなまったような感覚を中和する感じ。中和されて脳みそが満足感に浸りぼーっとできる感じ。

丸亀のうどんの麺は、運動した後に食べたりすると運動誘発性小麦アナキフィラシーが起こるので、食べる前も食べた後もあまり動きすぎないように。マクドナルドのパンズも同じく小麦アナキフィラシーの原因になる、袋に入ったパンも。コンビニのサンドイッチは小麦アナキフィラシーの要因にはならないのが不思議ではある。同じ小麦でも何が異なるのか?国産か国産でないかか、遺伝子組み換えか遺伝子組み換えでないかか?海外の浦東空港の出口のコンビニのサンドイッチは食べた後に動いたらアナキフィラシーが起こったので、日本のコンビニのサンドイッチだけが例外だろう。普通に販売している食パンはアナキフィラシーの原因になる。いちど、この辺りは、時間のある時に食べ比べして究明してみたい。

林与のアナキフィラシーショックには大きく2タイプあって、一つは、急激な運動をしてしまって、かゆみなどが起こる前に貧血症状で血圧の低下で立っていられなくなるパターンと、もう一つは、じわじわと蕁麻疹のようなかゆみを全身に感じて、赤い発疹が出て来てくるパターン、だんどんとひどくなって、ひどい時には呼吸困難や血圧低下がくるが、基本、横になって寝てると2時間くらいで収まる。

海外に行くと食事の後とかに歩く距離が長いので、それが問題で、アナキフィラシーが起こってしまうことが多いので、海外旅行時は要注意ではある。慌てて飛行機に乗ってパンとか食べてアナキフィラシーで発疹とか出たら、飛行機の中でシートベルトしてじっと座っていられないケースになるだろう。横になれるなら治るだろうけども座ったままだと激化する可能性は高い。車で移動するような国内の行事だとまだ安全だが、スーツケースを抱えていくような展示会は今は参加しにくい要因の一つにはなっている。イベントなどでも、一緒に準備してもらったりすると負荷が減るので大丈夫だったりするが、今は一人で参加することも多く特にそういう時は注意が必要。イベントの時は、その場で食べるもらいものも多いし。会場であった人と久しぶりだから一緒にちょっと食べに行きましょうで、お店探して何キロもうろうろと歩いてピザ食べたりパスタ食べたりするとかはよくありがちなパターン、そういうのが危ない。たくさんうろうろしたあとの食事はあまり食べないで飲み物主体にしていることが多い。
2023年10月07日
農協というのは郵便並みに大きな組織で、単に農業の農作物をつくる部分だけでなく、金融、政治力的な力も持っている組織。その組織がオーガニックに全面的に移行するような流れ、農薬や化学肥料を販売して成り立ってきた組織がある意味180度の方向転換ともいえる。化学肥料や農薬が減れば、川や水田にジャンボタニシばかりじゃなく、ヤゴや日本タニシ、どんじょうなども戻って来る可能性もあるだろう。

昆虫を殺してしまう成分が含まれる殺虫剤を田んぼに大量に撒いてしまっていては、トンボや蝶々も川の中の水生生物も元来種から消えて、耐性のある強力な輩だけが田んぼや川に残る。そしてそれが稲を食い荒らす悪循環。羽虫やブヨ、ぼうふら、蚊なども殺虫剤によってほとんど田舎でもいないほどになったけども、つぎには人類の番が来ているような気もする。アニキサスの問題があるけども、昔だったら普通にマイナス40度冷凍の技術なんてなかったし、それでも魚を食べていて普通だった、寄生虫にも耐性がある程度あった人類。どんどんとピュアにはなって来ていて、一方で耐性は下がってきている。

コロナ対策で不思議だったのがスウェーデンの初期対応。社会主義最先端の高福祉国家なのに人が亡くなるコロナで自然免疫の獲得を目指して、途中で挫折したが。医療制度も充実した高福祉国家スウェーデンならコロナ対策も一番くらいに徹底したものがなされるのかと思いきや放置政策。それは分からないでもない、高福祉医療国家ゆえにその現場すらもが崩壊してしまっては、医療従事者に休めとかも言えないし放置するしかないのだろう。公務員的な比率が何割もある国というのは、自分自身の成り立ちや制度を否定することは難しい現実があって、一人の学者の自然免疫説に乗っかって正当化するしかなかったのだろう。国連にしても同じで当初からワクチンに金集めして、コロナはたんなる風邪というフレーズを世界中にばら撒いてマスクするなというのを広めた。マスクで救える命も多く失っただろう、人の命を救うためにあるWHOでもその逆の愚策をばらまいて人を無防備にコロナに晒し死に追いやる結果。

本質を見抜く目が大事で、なぜ不可思議なマスクするなというのかなど。WHOが権力を増すために、コロナが広まるのを期待していたのではないだろうか。人々から自衛能力すらを失わせてどうするつもりなんだろう。国連のコロナ対策は、CDCの存在が大きかっただろう。事実かどうかは分からないが、グランドプリンセス号の乗客がアメリカに戻るまでほとんどコロナPCR検査をアメリカでは行っていないという報道があった。世界中がコロナで大騒ぎしていたのにアメリカの世界的権威のCDCがPCR検査をアメリカ国内で実施していないとか、これが国連が従っていたCDCの実情。たぶん、コロナがすでにアメリカで蔓延していたという事実があったんじゃないだろうか。武漢の3か月ほど前からかつてない異常な死亡者のインフルがアメリカが襲っていた。早い時点でコロナは単なる風邪と判断をして放置したというのが、方向転換も出来なくなった権威主義の末路ではないのか。

コロナワクチンがアメリカで接種されはじめたのが2020年12月、CDCがマスクがコロナに有効性があることを認めたのが2021年2月、CDCの関係者もコロナワクチンの開発と承認に関わっていただろうから、ワクチンが販売されるまでは、マスクの有効性を認めるわけにはいかなかったのではないだろうか。なぜ、マスクの有効性実験の実施と発表がこんなに遅く、マスク不要論を垂れ流していたのだろう。結果、アメリカのワクチン会社がコロナ蔓延で大儲けしたことにつながったけども。CDCとWHOのマスク不要論でコロナは世界パンデミックになり多くの人が死んで犠牲になりすぎた。徹底したマスク不要論、一方でフェイスシールドとか、ほんと古き先人の知恵が生きていない。専門家たちがレッドゾーンまで儲けて、隔離コロナ病棟とかやってるのに一方でマスク無しにソーシャルディスタンスで大丈夫とか。無茶苦茶のロジックで都合の良すぎた専門家たち。

神戸でも武漢の半年前に採取された血液からコロナウィルスが発見されたという記事や、イタリアで武漢の1年前からコロナがという記事などもあり、あの中国の一人の若くして亡くなった医者がいなかったら、かつてないインフルということで処理されて、コロナウイルスは永遠に問題視されず、歴史に記録として残らなかったのかもしれない。悪い風邪が流行っていますから気を付けましょうねの単なる自然死で終っていた可能性もある。

ワクチン開発などは悪いことではないのだけども、マスクで防げるようなものをマスクで防ごうとさせないような、疫病の専門家たちの存在というのもあまりにも現実ながら悲しい話で、それも一つのプロの仕事として、世界レベルでマスクするなのコロナ対策、なんの目的だったんだろうと邪推するしかない。
2023年10月07日
普通に生地を生地として使う場合には問題がないのだけども、林与の生地を使って製品をつくられると問題が起こってくることがある。単純なケースでは、製品の表面に、合成繊維のものと麻の生地を一緒に使って縫い合わせたりする場合。合成繊維の糸は均一でしかも糸目が碁盤の目に通っている、一方で麻生地でゆったりと仕上げたものは、糸目もゆらいでいて、また糸のフシも目立つ、糸のつなぎ目なんかも目立つ。

機能的な問題では、製品に林与の生地を他の何種類もの生地と一緒に使われて林与の生地に問題が現れて、その会社の方が林与の生地に問題があるとメールなのだけども、林与の生地で今までそういう問題は一度も現れたことがないし、たぶん他の生地が原因なんだろうけども、その会社さんにしても使われているいろんな生地のことを理解されずに使われていて、でも解決能力はその会社にはないだろうから、林与が製品を送ってもらってどの生地に問題があるのかの原因を見つけ出す作業。原因の生地がどの生地なのも特定し、その生地を作られたメーカーに溶け出すような糊剤や樹脂を使われていないか確認されたらどうかという返答をさせていただいたけども、新しいモノづくりにはトラブルはつきもので、そういうトラブルを解決する能力を持っていないと、製品を買われた一般の消費者の方が一番困る話。

林与の染色工場さんや加工工場さんは限定的でそれには理由があって、ありえない問題が起こることを防ぐためでもある。あたらしい薬剤や技法などはいろんな問題を含みがちで、安心のできるものを提供するためには実績のある定番の染、定番の加工方法が一番である。何十年にも及ぶ何十万メートルの過去の実績で問題がなく安全であることが証明もされている。

生成の麻生地を化学染料で染めて色が落ちるみたいなのは安全性の面で気を付けないと、草木染とかならまだ色素も天然系で良いのかもしれないけども、本来はしっかりと結合していることが前提の染料が色落ちするとかは良くないモノづくりだと林与は考える。硫化染料など色落ちを想定した染料なら別だけども、生成りを染めて色が落ちやすいという現象は途上国などの化学染料染めではよくある話でよくないものづくりの典型で、洗濯時の移染程度ですむならデメリット表示で単品洗いとすればよいだろうけども、着用時に皮膚への付着や吸着すらも心配される。不純物の多い生成りを精錬もせずにそのまま染めると安く染められるが色落ちはしやすい。色落ちをさせようとすると手軽に安く染められる直接染料を使えばもっと色落ちしやすくなるがそういうのは安い世界のものづくりにありがちな作り方。

京都で反応染料で染めた時にも加工で3分の1の色に落ちたことがあって、京都の染料店の方の紹介の京都の家庭規模の染工場では工業生産品としては厳しいのが明らかだったりで、染める前にも色落ちは大丈夫ですかと3回くらいは尋ねたけども、反応染料だからフィックスもなしでも色落ちはしないといっておられたが、技術力の差というものは麻専門の染工場とは歴然とした差があり、おみやげ物屋さん向けのアイテムと百貨店アパレル向けのアイテムの差だろうと思う。林与も家で、藍で染めたりもするけどもそれは堅牢度はよくなかったりする。作家的な、一点ものならそういう染でもよいのだろうとは思う。民芸系には工業的な基準は適用されないとかもあったりで、一般的な工業系の検査基準だけがすべてではなく、コスチューム的な着物など色落ちしても妥協できるような価格のものもあるだろうし。(京都にも高品位な染をされているところはたくさんあるのは知っていて、麻の染を得意としている染業者さんでないと林与的には合わないのだろうと思う。)

林与の家は近江上布の織元だったので、染も家の中でボイラーももって昔は本格的にやっていて、与一爺さんが京都の染料会社とやりとりして、近江上布の絣の中でも一生ものとして使える一番くらいに堅牢な染を目指していた。林与の麻の濃色というのは濃いのが特徴。湿摩擦堅牢度は若干悪くなっても色味を大切にするのが林与の特徴で実績で使っていただいていたりもする。そのあたりが林与の総合的な妥協点。

分業でのものづくりというのは、製品に想定できない問題があることが多いので、最後の商品をテストなどして叩いておく必要はあるだろうと思うが、そういうテスト環境みたいなものを持っておられないところも多いので、商品企画される方にお勧めするのは、自分が企画して開発されるなら自分でその商品を使って洗ってみたりして評価することが大事だということ。使ってみると自分の企画の問題点なども見えてきたりすることも多いだろうし。企画される方への大きなヒントで、改良へのポイントにもなる。

ある生地屋さんに行ったときにも若い店員がたくさんおられて、林与と話するのを楽しみに話しかけてきてくださる。林与さんキッチンクロス縫製できるところ紹介してくれませんがみたいな話で、私がいうのは、自分たちで縫製してみるのも良いんじゃないですかみたいな話。いろんな生地を持っておられて、それがキッチンクロスに店頭でなるみたいな自由度ってよいだろうし、店員さんがお客さん相手だけじゃなく、縫製のこともできればお客さんとも会話は広がるだろうし、自分自身が染めたり、加工したり、ミシンも踏んだりすることがあるので、他を探したりよりも自分でやるほうが簡単なこともある。そういう話すると想定外に思われるのだけども、そういうのが普通の感覚だから林与の仕事感覚は変だとか思われる。だから、他とは違うものづくりやこだわりの部分があったりして興味しめしてくださる方も多い。
2023年10月02日
もう15年ほど前になるだろうか、そのころというのが自分がやろうと思えば一番くらいに会社の中でいろんなことが出来たりもした。いわゆるデフレ不況の中で、世界で一番クラスのものを作ろうとアイリッシュリネンプロジェクトを立ち上げたのもそのころで、多くの方たちが手軽な安い生地を探しておられるときで、一番くらいに思い切った日本の麻織物の本場的なものづくりが出来たりもしやすかった。それはイコール世界でも最高峰レベルの麻織物の世界で、ながく業界でも疑問視されていたアイリッシュリネンの不透明な部分に関しても結論を導き出したようなプロジェクト。

イギリスのアパレル業界や生地関係の方とも接点を持つことができ、商売のことよりもアイリッシュリネンの糸が英国にて今も紡績されているのかどうかというのを質問するのが林与で、イギリスでも有名な生地を販売されている会社の方でもアイリッシュリネンなんて気にするなみたいなことを言われて、もう英国でもアイリッシュリネンというものを追い求めるようなことすらも難しい状況で、なぜか日本人の林与が北アイルランドの失われた世界を取り戻してもらいたいと思いつつだけども、それすらももう遠い過去の話。

一方で、林与の近江上布のアーカイブは世界のブランドを魅了し、すごくそういうのを再現してほしいという要望が多く、その後に広幅絣プロジェクトとして近江上布の織元だった林与が、アパレル向けに林与の数千柄に及ぶ近江上布のデザインを活かしてプリントで再現してそれがすごく好評ながらも、本当の絣のものが欲しいとリクエストも多かったので、広幅絣プロジェクトを林与発で打ち出して、世界のこだわりのブランドさんからすれば、ありえないほどのディープインパクトだったと思う。

その広幅絣プロジェクトに関してもすごく多くの方が支えてくださって、全然関係のない日本を代表する食品関係の開発の方も繊維業界にはありえない開発を支援するような気持で、林与をとことんなくらいに応援下さって、その方って全く日本の大企業のサラリーマン感覚がない世界で、その人がやることすべてが世界のトップクラスの話で、そういう方が世界規模の日本の上場企業でも支えておられるのを知って分かったり。その方の食品業界におけるリネン生地に対する探究心というのは、世界一クラスだったと思うし、会社の中でも自由に開発を任されるような無二の方だったと思うし、やっておられることが織物に関してももう失われたような特殊なベルトをつくる織機の技術とかを求めておられたり。

そういう情報をもらうと林与も世界のウェブの織物に関する情報を調べて、そういう技術が今残っているのかどうかというのを調べ、残っているとすればどこに残っているのかとか、あるいは、今の技術で代替するような現実的な方法はなんなのかとかとかを考え自分の考えを述べることがそれなりに、妥協案としては有効ではないのかと思う。継ぎ目のない織物のベルトをみた時に手品をみたような感覚に陥ったが、そういうのを昔の人は機械を作って量産してたというのが、現代にはありえないほどの器用さで、そういう器用さを現代に追い求めたい人というのは多いのかもしれない。

人生でそういう方に会えるのは5年10年に一度くらいだろうけども、そういう方の才能だけでなく人格のすばらしさみたいなものが超えすぎていて、そういう方に甘えてしまっては駄目で、しっかりと普通の仕事の感覚を持って、いつでも駄目だったら林与を切ってもらえるようにが仕事として大事だろうなあと思う。
2023年10月01日
高校生のころに、山口みえという女優がいて、テレビCMで、仕事バリバリしたあとに、「しば漬け食べたい」というしば漬けのCMのセリフがしば漬けのイメージで、しば漬けなんかほとんど食べたことのない高校生のころに、京都大原三千院に行くと周辺は日本で一番くらいのしば漬けの産地で、しば漬けの実物を見た時に、これがしば漬けかと感心したものである。たぶん、一切れか二切れ、旅館とかの小皿に乗ってる漬物で、食べてたことはあるけども、あれが働いて疲れたときに食べたいと思えるような感覚は林与には無理。

キューリのQちゃんみたいな味のもので、あの味の濃さのお漬物というのは苦手で、食べても一切れ二切れが限度。スーパーのひと袋200円くらいのしば漬けはたぶん一袋でも林与にとっては1年くらい冷蔵庫にあるままだろう。食べる前は、山口みえのCMを思い出すが、一切れ食べると、十分になる。キューリのQちゃんも有名だけども、あんなに味の濃いものをぼりぼりと食べられる感覚がすごいように思えて、林与は白いご飯で味を薄めながら3切れもあれば、茶碗一杯分のご飯が食べられる。

納豆も経済的な食べ物で、100円あれば2パック3パックが当り前。1パックあれば、ご飯一杯は食べられるので、卵ご飯と並ぶくらいに経済的で健康的で、そういうのに満足できる人というのが一番くらいに人生を幸せに送れるタイプの人なんだろうと思うし、逆に、仕事もすごくできそうな気がする。しば漬けで喜べるようなキャリアウーマンのCMイメージと整合するところもあって、キャリアウーマンが海外の高級リゾートを満喫するような普通のイメージとは違うミスマッチ的な庶民感覚が、庶民的な人々の共感を得られる大事な要素なのだろうけども、しば漬けのあの味の濃さはもっと薄くはしてもらえないものなのか。

増田明美さんの監督で、増田明美さんには試合前にお肉をたらふくたべろとふるまって、監督さんが塩ご飯というのを、増田明美さんが意味も理解して、自分がすごいんじゃなくて監督がすごいんだと。それが日本の親イメージ的な価値観で、自分のことよりも自分を捨てて次の若い子たちの活躍を期待してという手本だと思う。
2023年09月30日
今日は、納品の途中で満腹ハンバーグダブルというのを食べた。この1週間ほども仕事に追われまくってたので、昨日の夜も、朝も食べてなくみたいな状態で、昼前に思いっきり食べたいなあと思って、思いっきり食べられそうなまんぷくハンバーグにした。

ミンチ肉だけでもたぶん普通のハンバーグ2個分X2くらいで、500g以上は使ってると思う。たれに刻みニンニクを入れて、無茶苦茶おいしかった。でも、なぜか1個食べたくらいで満腹になってしまって、えっとおもった。今までこんなことはないのが林与なのに、年取ったんだなあと。それでも、2個目も食べきって、出発。食べる前と比べるとすごく元気になった。食べた肉とニンニクのエネルギーが注入されたのだろう。

ニンニクも2か月ぶりくらいじゃないかなあ、思いっきり食べたの。疲れていたのを忘れることができたので、インターを降りてから手ごろなの食べようかどうか迷ったりもしていたが、ほんと食べて良かった。ごはんもおかわり自由とあったけども、結局、最初の大もりでお腹いっぱいになりそれを食べ切るだけでも、縫製用に調子だしして好調に動いていた15年使っていたミシンが壊れるなどドッタンバッタンでなんとか、JUKIのポータブル職業用ミシンを引っ張り出してきて縫ったんだけども、やっぱり、新品だと60万円以上する本縫いミシンの安定性というのは、15万円くらいのポータブル職業ミシンではまったく敵わないなあと感じ、そこそこは綺麗に縫えているのにミシン目の美しさを欲がでて、3時間以上も上糸と下糸の調整とか。新品に近いポータブル職業ミシンなので普通以上に綺麗に縫えているのに、そういうところが、本当の本縫いミシンの何時間も掛けて調子だし済みの縫い目の綺麗さに慣れてしまうと満足が出来ずに駄目だなあと思う。

林与に本縫いミシンが2台とオーバーロックミシンが入ったのは15年前、そこから小物なども自社内で作るようになって、いろんな広がりができてきた。子供のころに剣道を教えてくださった剣道の先生がミシン屋さんで修理もされていて、壊れても面倒見るから思いっきり使えみたいなことを言ってくださって、一度も修理に出す必要もなく15年、そういう本当のとことんの人間関係というのは、私が子供の時からの剣道の先生のボランティアで、なぜかそういうのが本当に世のどこを探してもなかなかありえない世界が、生まれ育った愛知川町にあったのをすごいことだなあと思う。
2023年09月25日
定番の生成を織るためには糸の色味が安定した生成糸が必要なわけですが、今の現状は糸の色味の安定したロットの糸を探しているような状況で、L25番手の生成在庫が残っている以外は、L40番手クラス、L66番手クラス生成の生産の目途が立っていない。今年手に入れた、安定した品質の銘柄ということで定評のあるL25番手の生成にしても5mから10m織るごとにかなりはっきりとしたオーガニック糸にときおりみられるような1cm程度の白い帯のようなものが見受けられ、昨年度取れた原料というものが生成に関してはかなり不安定であることを心配している。

今年度の作柄に期待して来年の紡績が始まり3月くらいの初物を待つのが良いのではなかろうかと思ったり、L40はハニカム生産用に数年前に確保した分が120kgほどあるので、その半分を定番用に回すこともできるけども、そのロットの糸もまだ色ムラなどの問題があるかどうかのテストが出来ていない状況。生成主体のアパレルさんなどは、どうやって今の状況を乗り越えられておられるのだろうか、糸商さん関係は、生成と謳わないで、生成りに近い色に染めて生成りっぽい生地で代用をされているところもあるようである。

糸値が高騰している中で、生産しても危険がともなうような状況で、一番くらいにベーシックなリネンの生成の生産が糸の問題で難しいというのも非常に困った話。ベーシックであるとは言いながらも、20年くらい前は普通だった生成の色の安定性というものは、今手に入る糸ではもう保証はされておらず、箱から出した糸をそのまま整経してしまうと縦の色ムラで全没になることも多く、同じ糸の生産ロットでも箱ごとに1ロットと考えて、整経も散らしながら使っていたりする。シャトル織機で使う横糸もシャトル織機では管ごとに色ムラになりやすいので、その問題を避けるために糸の管理を注意していたりする。

糸というのは紡績できればそれでよいというのではなくて織物にしたときに問題がないことが大事で、糸商さんにしてもこういう問題を糸が抱えてしまっているときにお客さんとの対応というのは大変なことだろうと思える。紡績工場においては同じ番手でもオフ白より生成のほうがやや値段が高いというのが普通だったりして、紡績工場においても普段から色味のコントロールに関しては苦戦もされているのだろう。

生成と呼ばれるものは匂いだと気に藁のようなにおいのする生成があるがそれが無漂白の生成。一般に生成と呼ばれるものはややマイルドな色味をしていて、その理由は8分の1晒と呼ばれる漂白が掛かっていることが普通。アパレル向けなどはそういう糸でないと藁っぽい匂いで使えない。たまにウォーターレッティングの糸なども匂うことがある。色がゴールド味で、藁のようなにおいがするなら、まったく晒を掛けていない生成りだろう。

そういえは廃番になったエジプトのウォーターレッティングの生成もたしか在庫がどこかに300kgほどあったはず、その糸も強度が普通よりも弱く、あと糸の色ムラが強烈なので、使う時には非常に注意が必要で、注意していても縦にややすじばった感じがみられるけど、もうそれはその糸の味としてとらえていただくしかない。糸自体が非常にナチュラルな作り方で品質を安定させきれていないんだろうけども、そういうコンセプトというのもよいことだろうとは思うがアパレル向けに使うとかは非常に厳しかった糸。でも、アパレル向けにシャトルで織ってその味を楽しんでもらいたいと思って糸の国内在庫の残りを買った。昔、ネスカフェゴールドブレンドのTVCMに山本寛斎さんだかがでてて、子供ながらにインスタントコーヒーのすごさを植え付けられて、今もインスタントコーヒーで十分で、しいての好みは、ブラックで飲むキリマンジャロの酸っぱい系のテイストが一番好きなので、結局林与のコーヒーのテイストにしても、今は本当に希少になったキリマンジャロが自分の口になじんでたとかは、一般の高級テイストと整合するように出来上がってはいる。

もう10年以上前になるだろうか、リネンバードさんの10周年記念のトーションのグリンのストライプの生成部分はその特別な生成を使い、ネイビーストライプの生成りはグレーの通常のデゥーレッティングの生成を使わせていただいた。グリンのほうが織るの何倍も大変だった。でもそういう特別なシチュエーションに使っていただくようなものは他ではやらないような発想の特に苦労するような布が良いと思って、糸ももう残っているだけで次の予定はないということを聞き、残りの糸はとりあえず買っておいた。
2023年09月24日
10月からインボイス制度が始まるのと、1月から電子帳簿。

インボイス制度というのはやはり、大きな負担になるだろうと思う。一つ一つの消耗品にしても、相手先の番号などを意識しないといけないので、事務負担的なものが無茶苦茶複雑になってしまうと思う。なぜこんなのだけすぐに決まって数年で実施されてしまうのだろうか、林与は株式会社なので、消費税は納めているけども、仕入れ先が年商1000万円以下の個人事業者の場合にはインボイス番号がないから、仕入れ消費税を控除できないことで、今は減免措置もあるけども将来的には仕入れに対する消費税分を余分に納める形になってしまう。仕入れ先との話し合いをしないといけない問題と、うやむやな答えしか用意されていない問題がある。制度自体こんなうやむやな形でよいんだろうかと思うスタート。

インボイス制度で、申告を断念した人たちが仕事をやめたりもあるだろうし、相手から仕事を切られてしまうケースもあるだろうし、処理が面倒すぎるので商品の購入自体をやめることもあるだろう。10月以降、経済や消費が落ち込むんじゃないだろうか。多く増えた宅配業者や食べ物のデリバリー業者なども、消費税の計算などの申告が個人レベルでは難しく辞められる所は増えてくるだろう。大手の企業が消費税を肩代わりすることもなく、関係を切ってしまうだけのことだろう。大手宅配業者でも3万人とのメール便などの委託契約が終わるなどインボイス制度に絡む、サービス提供の終焉は多く起こるだろう。個人では絶対に難しい日本の税務申告、日本の内職さんレベルが支えてきた大手のサービスの末端の世界を崩壊させてしまうだろう。

電子帳簿というのも、データをUSBに保存とからしいけど、SSDに保存しても、USBに保存しても飛んでしまうことは多い。電子保存したところで、それに何の意味があるのかというと、電子保存も可くらいにしておいた方がよいのではないかと思う。全部電子保存にしてしまうリスクというのは無茶苦茶危険で、消えた年金記録みたいなことを国でもやらかす。USBが認識不能になるって普通にあり得ることだし。SSDにしてもハードディスクよりはクラッシュしにくいけども寿命はあるから。今はレッツノートでシステムが起動できなくなることはほとんどないけども、DELL使ってた時にはシステムが立ち上がらなくなり再インストールとか頻繁に必要だった。デスクトップパソコンが安心かというと実は、デスクトップパソコンは電源の寿命が案外短くて、電源がいってしまったときに、同時にデータも行ってしまうというようなこともありがちで。ノートパソコンはノートパソコンで衝撃が加わりやすいし、レッツノートでも不安。

紙媒体を使わないのでそれがエコにはつながる可能性はあるけども、一個一個ファイルを開いて中身を確認しないといけない手間というのは相当な苦労。紙媒体だとパラパラとめくって探しやすいのが利点。あと紙媒体は感熱紙でもなければ半永久的にデータは残る。
2023年09月24日
お客様のオリジナルの1枚のパネル柄のキッチンクロスがサンプル縫製まで完成した。途中、他の仕事と並行しながら長い道のりだった、まずは2色の色ビーカーから始まってそれが1か月ほど掛かって、糸は特別の良い糸を使ったが、その糸のサイズがばらばらで、一つ1kgに巻くのに何日も掛かってしまい、糸の染も染工場さんの予定を狂わせてしまい、8月終わりころに染まりあがって来て、糸をまくおじいさんも目の手術で糸は自分で巻いて、整経して織ったが、タイイングマシーンが不調で、油洗したりして、ハンドルの回転が軽くなって快調かとおもいきや、最後のほう300本くらいが結べてなかったりで、手で糸を拾って結ぶ作業を2日とか、織りあがって加工も投入予定が遅れてしまって、加工工場さんにも急いでもらうために迷惑かけて、昨日上がってきた反物、それを昨日縫製して、今日、先方に届いて、ごらんいただいて満足してもらえたので、若干の変更などはあるかもしれないけども、ひとまず安心。

一番心配していたのは、きっちりと大きさがデザインされたものなので、それの大きさと異ならずにつくれるか、うっかりの計算ミスとか、加工での縮率計算などがどこまで再現性があるのかなど、多分大丈夫だろうと思っていても最後の最後の確認で、違うところがあったりしたら大失敗ということになる。この仕事は、糸の染色と加工以外の、織物をつくる工程は、ほとんど私一人で作業しているので、途中で何度も何度も確認をする。ひと縦125m分の整経を2本織ったのだけども、115mくらいは織れるんじゃないかと思ったが、110mくらいしか織れなくて、大きな白のタイプが若干少なめになったくらいだろうか、失敗といえば失敗は。

一人で作業をしていたのでまだ途中での問題なども比較的に乗り越えやすかった。織ってくれる人がいたとしても、織ってくれるだけの部分なので、織物としての規格設計は私でパンチカードなども私がつくる、そして織る人が別だと織る人というのは与えられたまま用意されたままを織るだけなので、なにが正しいのかとか分からないままに作業が普通。そういうのって、ほんとうによくないのこと。普通の織物に見えても、縦にキッチンクロスをふたつ取りするようにデザインされた織物なので、内容的には非常に高度な織物の部類に入る。そういうのを一回勝負ですべての作業を自分でやって完成させることができる人というのは、手織りだとまだ織られても、工業的な生産で私以外では本当に珍しいだろうと思う。

ここまでできると大変は大変なのだけども、そういうのが全部できると織物の作業のことがすべてくらいに見えて、自分が間違いなく作業ができれば正しい織物が織りあがって来るという、すべての結果は自分次第という責任感というか覚悟も備わると思う。デザイナーさんの規格書をみて、それを織物に居りあげるまでの一連の作業を1度でも全部自分でやってみるというのはすごく大変だろうけどすごく良い経験だと思うのである。林与が麻織物の1から10まで知っているだけでなく、その作業全般ができ、その作業全般の機械の調整や修理などもできるというのは、今は業界でも本当に珍しいことだろうと思うが、昔は、一人親方的な織物工場だとそういう人はおられたりもしたと思う。

サンプルの縫製は生地のあがりが遅れたということで林与がサンプル分の縫製することに、色の合いそうなミシン糸を手配してタグも届いて、仕様書に従って縫い付けてみたものをデザイン事務所にお送りして、ファーストサンプルの確認が取れた。作業中に気が付いたこととして仕上がった反物の風合いがすごくソフトで良い感じ。今作った生地だけども、昔の生地にあるようなよい生地の風合いと光沢感をしている。
2023年09月23日
林与はコロナ禍においては、アパレル向けの生地生産をかなり減らした。コロナが明けてアパレル向けの生地生産ろうとしても、アパレル向けの生地生産に戻ることが難しい事情が、いろいろとあって、アパレル向けの生地生産は非常に限定的に留まっている。一つの要因として、林与の中での生産キャパ不足、リネン価格がかつてないほどの高騰で糸の入手すらもが不安定気味であることが一つ、また、染色工場さんが非常に仕事が詰まっておられ多色の急ぎの染色することが難しいこと、加工方法によっては加工の納期が見通しにくいこともあり、5年以上前まで海外対応もしていたようなアパレル向けの短納期対応が難しい状況で、展示会受注形式のアパレル生産への対応は、基本的に受けると協力工場さんにも負担が掛かるので半年以上の余裕がある場合や使用する色数が少なかったり納期の読める加工の場合を除いてはお受けできないような状況が続いている。

繊維関係の製造業の現場を抱えておられる工場さんというのは、かつてないような負担が強いられてしまっていて、例えばインボイス制度の導入なども、林与は、適格事業者の登録はすませているものの、個人レベルの方というのは免税業者扱いで消費税を取っておられても、工賃を支払う林与がその分の消費税に関しても負担しないといけない可能性がでてくるとか、国が自分で消費税の徴収をすることなく企業に消費税の徴収をさせていたような今までの状況だけでなく、インボイス制度の導入においてもさらに不透明な要因をつくっていい加減な形でのインボイス制度の導入。零細な事業者に事業者登録は強いませんよといいながら、登録しなければ登録していない事業者に支払った分の消費税は仕入れ控除できずにその分は仕入れた側の業者が消費税をもう一度払う形になる。それを避けるためには仕入れ先が登録していない場合には消費税を取るなとは言えないので、消費税分を値引きしてもらうようなへんな形しか解決方法がなかったりとか、あきらかに問題がややこしくなるような導入の方法。1回が、一つ1000円の作業工賃であってもその処理が付きまとうのでそれは事務処理的にも本当にややこしい話。国は企業に生産効率を上げろとかいろんなことをいうのだけども、このようにいい加減すぎる導入をやって、いままで以上に企業が対応を迫られるみたいなおかしな形。もっとシンプルな形の消費税でないと消費税処理一つが、自分じゃなく取引先が適格事業者がどうかで消費税の処理が変わってきてしまうとか、本当に複雑になりすぎ。

さらに消費税の一番の問題は、消費税というのは輸出消費税還付というのがあって、輸出大企業の場合には、みんなが払った消費税を輸出した企業が売り上げの輸出割合に応じて還付してもらえるような制度があって、そちらのほうが消費税が上がれば上がるほど、輸出企業が消費税を納めることなく、仕入れ消費税までも雑収入?として企業収益としてしまうような構造で、最終的に利益があがれば法人税は払うのだけども、そういうからくりで一般の人や企業が消費税負担が当り前なのに輸出大企業は消費税が上がれば仕入れ消費税分を自分のものにすることができる。経団連が消費税を一生懸命に上げようとしてるのもそういう意図で、自分たちの腹が痛くないどころか消費税還付で儲かるからで、そういうのって日本の財界人のどうしようもないところで、国民に負担しろで自分たちは消費税を国のように取ってしまう。せめて、黙っているか、一般の国民の方の負担分が増えたり、仕入れ企業の払った消費税分まで自分たちが還付を受けてもらえるから、消費税を上げたいんだと正直に言ってもらいたい。昔から日本は、経済1流、政治5流といわれることが多かったが、今は、経済人も国民のことや全体のことを考えることも無くなった気がする。
2023年09月21日
林与が麻生地をみるときに自分自身の価値観を持っている。良いなあと思える布は、作った人の感性の凄さが怖さみたいなもので伝わってきたりする。それが素敵にかわいく見える布だったとしても、単にかわいいだけじゃなく自分が届かない世界の人が作ったのではないかと思えるような、作られた方の仕事へのとことんな姿勢のみたいなものが感じられる。

自分自身の作った布だと林与の小さなダブルラインのミニハンカチみたいなものも、仕上がり36CM角ぐらいの他愛のない他にもありそうなハンカチだったりもするけども、あのハンカチというのはどこにもっていっても好評で、私も自分が作ったものながらもお気に入り。シャトル織機の特性を生かした着尺幅のリネン織物の上下を三巻で仕上げるビンテージテイストのハンカチ。それがほぼ正方形に収まるようにライン2本づつを上下と左右に配置する。

一般的には、ナチュラル仕上げで仕上げたものが素朴ながらもなんか懐かしいような昔の生地の世界を彷彿させる。お店ではあまり見かけないタイプのリネンハンカチ。1Mで3枚も作れてしまうから織物としてはそんなにも難しいものでもないけども、そんな織物が素敵なハンカチに仕上がるところが素敵で林与自身が良いなあと思うところ。このシリーズもたまにしかつくらないけども、今までに何千枚も作って多くの方に使ってもらったシリーズの一つ。ダブルラインの他にも、ヘアライン、ウィンドウペン、キッチンチェックを、赤、青、グリンの3色で展開。

作り始めた当時はそれ専用にリネン40番手の糸を何百キロか確保しておいた。良い年の作柄の糸で白度が高く、洗い上げた時に真っ白なハンカチに仕上がりやすい。シリーズなので、追加で作るときに、色柄ごとにベースの糸の白度のブレが以前のものとないように、ある程度の糸を確保していたというのが理由。ダブルラインのキッチンクロスなんかもそういうのを考慮してベースの生成りの色などがぶれないようなモノづくりでスタートする。

生地なんていつでもつくれると思われるカモしれないけども、良い糸が手に入って問題なく織れるときになるべくたくさん作っておくのが林与的にはベストのものづくり。同じものをつくろうとしても糸から手に入らないこともあるし、糸が手に入っても同じような仕上がりにならないこともある、掛ける織機が異なれば微妙に完成度というものが劣ることも多く、調子のよい時に織ったものというのは無理なく織れているので美しい。

ミニハンカチは、レピアで広幅で横に3枚取り出来たりもするんだけども、まあ、そういう効率を求めないのもこだわりのものづくりで、昔ながらのシャトル織機でがっちゃんがっちゃんとものづくり、林与の自社製品としてはそういう作り方もありだろうと思う。お客様の仕事とは別途に、織機が空いて、手に余裕が出来た時に、こういうものなら多くの方が欲しいと思ってくださるから作って積んでおこうみたいな、たくさん作ると売れてなくなるのに7年8年掛かることもある。新しい人が織る練習をするのにも、お客さんの仕事だと失敗やロスが許されないので、こういう自社製品向けの生地を織っている織機で最初の練習してもらうことが多い。
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