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リネンや麻を織る日々をつづっています。

リネン日記

細番手

2012年07月24日

林与のリネン100番手ストールをお買い上げいただいた方には、リネン66番手と100番手との違いを感じていただけるものと思います。糸番手にすると、この1.5倍の差こそが麻業界でもなかなか超えることのできない世界だったのです。

細番手の糸というのは、手に入れるのが難しいだけでなく、当たり外れが大きく、織れない糸に当たると、それが仕事として進まないだけではなく、すべての時間がその仕事のために取られてしまいますので、ある程度努力して無理なら一からやり直すことになります。そしてそれをやり直したからといって同じことにならない保証すらないのです。

2000年くらいからリネンの糸を探しても良い糸が手に入らなくなりました。先染というのは、柄によっては糸一本がはっきりと見えてきますので、毛羽など糸の形状の問題などベストな糸を手に入れてもクレームなどが多く、糸商さんもその問題を把握されていなかったりで改善するすべもない。そんな中、林与のアイリッシュリネンの糸を探すプロジェクトは始まっています。

紡績関連の方の話を聞いていても、また、北アイルランドの語り部プロジェクトのいきさつからしても、1970年代くらいでアイリッシュリネン紡績というのは終焉を迎えてしまっていたということのようです。オイルショック後に糸がまったく売れなくなった時代に、日本が好景気でそういう名残の糸を買って使い尽くした感すらあります。

アイリッシュリネンの糸が売れなくなった背景には、ポンドショックや合成繊維の台頭のほかに、レピア織機の隆盛があったと思います。高速回転のレピア織機が導入され、織物の精度が高まり、生産性が追及されるようになって、細い糸というのは、織るのも難しいものとなってしまって消えていく運命になったと思うのです。ウォーターレッティングからデゥーレッティングへの移行もアイリッシュリネンがアイリッシュリネンとしてのゴールドな色味を保てなくなってしまい、北アイルランドの紡績工場が紡績を断念せざる終えなくなった大きな理由のひとつではなかったかと思います。

日本でも昭和の中ごろは働く9割の人が繊維産業に携わっているといわれた時代がありましたが、どんどんとその割合は小さくなり、今では繊維製品の9割以上が海外から輸入されその流れは変わらないと思います。多品種小ロット、ニッチェなものづくりが日本企業の生き残る道だといわれますが、それはいうのは簡単で理想ではありますが現実の商売がそれで長持ちするのかというと産業全体としては疲弊して残るところはどんどんと少なくなっていきます。


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