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リネンや麻を織る日々をつづっています。

リネン日記

徐福に関する考察

2013年02月14日

私自身は、紀元前220年過ぎに日本に来た徐福が、弥生文化を持ち込んだというよりも弥生人で考えておるところです。

織物にしても親切に教えに来たのかというと、弥生人は言葉や技術を縄文人には教えなかったと考えるべきだと想像します。五穀百工の世界を日本で独占し続けながら、日本中を隈なく渡り歩き、国を拠点を作り上げ支配していったというのが、その拠点というのが神社だったのではなかろうかと思います。

同じ場所に大きな経済格差があると、生きていくことすらも難しくなるのは、たとえば、水利ひとつにしても裕福なものが自分のために作り上げ支配したときに貧しいものに分け与えられるのかというところです。国と呼ばれるものが形成始めると貨幣や納税義務が生じ、そこには法による身分制度が存在するものです。

徐福は、富士山に行き着いて、富士さんも古来は、福地山(福の子孫たちの住む場所)とか福慈山と表記されていました。3000人くらいで来たと伝説にはありますが、それを思うに邪馬台国を想像させます。志賀島では金印が見つかりましたが、倭奴国王ということで、徐福の子孫が王として君臨していた国ではなかったろうかと思われます。

なまはげ伝説なども徐福の一団であろうと思われるのも頷けるところで、また、神武天皇に関しても徐福像と被るところは多く、弥生時代を築き上げたのが弥生人としての徐福の一団であり日本人の祖となっている可能性は高いであろうと考えられます。技術なども伝来したというよりも異民族による支配が広がったというのが正しいところではないのかと思うのです。

人類がサルと枝分かれして進化したという進化論は宗教界から干され、天動説にしても宗教界から干されがちの歴史を持っておりますが、日本人の期限にしても徐福一団自身が新地である日本国内では隠そうとしても中国の文献に残り、始皇帝自身が実在したとなれば、徐福も実在であり、徐阜村も発見されましたが、徐福の一団が由来すらも隠し通さねばならない理由があり、広原広沢を得、王となり帰らなかったとされるのも、使者を中国に送りながらも場所を明かさず伝えたからだといえると思えます。

徐福は方士だったといわれ、技術に長けていたとされています。一方で、治世のためには、自身が国を作ったとするような神がかった過去を作り上げる必要を感じていたのではなかろうかと思います。また、武勇的な神話が残る必要があるのも、内部のつわものと戦うだけでなく、外部とのつわものと戦う危機と常に直面しており、神がその国を作り上げ守っているようなイメージで他国からの侵略をも防いだのではなかろうかと思うのです。それは強国の拡大欲におぼれた為政者の一番恐れるのは死することであり、神に刃向い呪いが掛かることを恐れるのとにています。日本でも悪いことをすると死後地獄に落ちるというような表現も同じような意味合いをもって人の欲というものに一定の節度を与える力をもっているものと思います。

インドに行ったときに感じたのは、国を作るためには人々の考え方を固定させることで、そのためには宗教というのは非常に大きな役割を果たすものと思いました。宗教が単に思想で終わらず、それに刃向うものは罰する要素まで持つことで、宗教がいつのまにか国を支える法となり強制力を持ち不可侵な身分社会の形成には、その宗教を信じる信じないは別にしても法にまでしてしまうと役立つのです。

インドでガンジーが崇拝されるのも、分かる気がします。多くの宗教家が俗化してしまうなかで、自分の命を捧げる覚悟で理想的な宗教像を追い求め、俗的な宗教家や為政者の真似のできない世界なのです。禁欲ならぬ金欲こそが宗教となってしまった現代宗教は手の付け所がなく、人の殺し合いにつながる大きな戦争までに発展します。

金欲に己惚れる現代的な宗教の原型が古代の宗教にあったのも事実で、宗教が人を救うというよりも多くの人に強いる性格を持つものであるのは、宗教が本来理想とすべき加味の存在を否定するもので、神の名にすがり、人々を苦しめ楽するところの世界で、国を制するものが権力に己惚れ、手に技術すらないものであればどうしようもないところなのです。

政治を目指すなら、法を整備するよりも、政治するべき神と思われるほどの能力の必要性がなければならないのです。


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