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リネンや麻を織る日々をつづっています。

リネン日記

チェルノブイリと福島

2013年06月14日

私自身は福島原発事故は地震大国日本で原発というものの安全性をテストしているよいうなモノの結果だといえると考えています。原発が環境に良いというほどに、エコじゃなく、偽善の正当化の世界に人類が脚を踏み入れた途端の出来事でした。

チェルノブイリは石棺化が必要で放射能汚染が続く状況で苦しんでいますが、福島にしても紙一重で同じような状況に陥るところでした。実は福島原発の場合、設計上の大きなミスが、チェルノブイリ化の数分の1の放射能被害ですんでいるという、不幸中の幸いで、原発関係者がそのことに気がついていないの大丈夫かなあと思います。

それは、原発は事故が起きたときに、放射能を海に垂れ流す構造にしないと、石棺化が必須になってきます。厳しい話ですが、原子炉が壊れて地下水から放射能を垂れ流すことが、国土被害を最小限に抑える必須の方法で、今回の福島原発では設計上のミスで、原子炉に亀裂が入ったという最悪の事態ながら、それが地下水から漏れ出して海で無限拡散されたことが、原発事故を最小限に抑える方法でした。

愚かな日本の原発行政を、大きな原発行政の設計ミスが重なったことで結果、神が味方してくれたような状況、福島県がまだ人が住めるような状況で残り、チェルノブイリとは違う道をたどることが出来たのです。福島原発事故が世界規模の大きな環境破壊に繋がったのは事実ですが、日本への集中的な環境被害は抑えることができました。原発を推進する場合には、設計としてどちらを取るかの選択でしかないと思うのです。

起こりうる事故から逃げないで、人命を救うためには、原子炉は原発事故の際に、海に放射能性物質を垂れ流す構造がベストだろうとは思います。偽善に終わらないリスク正直なところだといえます。人為的に原発を攻撃するような戦争という自体も、人類というものの愚かさを考えれは、十分起こりうる国際紛争解決手段プロセスですので、原子力発電所の設計の際には、きれいごとでなく、人命重視なら放射能性物質を積極的に海に垂れ流すのが良い方法で、今回の福島の事故では国や原発行政推進で、人命すらもが大きく軽んじられた経緯が見受けられました。

きれいごとがいつまでも続くのではなく、今回もたまたま、人為的なミスが逆に幸いし、数万人の命が救われただけにすぎません、今回の原発事故を教訓にして、きれいごとできれいじゃないこと推進しないようにしないと。原発を推進するからには、チェルノブイリのようなことも常に起こりえます。正直で当たり前な話、国土を使い捨てるほどの覚悟ももって、原発行政にはあたっていくべきです。

もし、地下からもれだしていなかったら石棺化は必須で、第二のチェルノブイリ。地球環境を守ると謳われ推進されたものが地球環境を大きく破壊したものの、まだ、人類の浅はかさがあって、福島は救われました。次にまだ人間の愚かさで逆に救われるような偶然が起こるのかというと、今回の事故でもありましたが、2次被害を人為的に大きくしてしまうような放射能漏れの数値を隠匿したりごまかす以外にしか手段はないでしょう。そういう原発を運営する人の心理なども含めて原発推進を考えていくことが自然な日本の原発行政だと思うのです。そういう何万人の人の命よりも、電力会社や保安院の一人の保身のほうが大事であるという人間心理は想定を超えたところで当たり前に動きます。

自然破壊というのは雑草を嫌い、人工的な緑を自然と喜ぶところにもありえ、本来はどれだけ本質的な自然を残しているかが、最後人類の存続を長引かせる要因になるのだろうと思います。人というものは寝て一畳起きて半畳の世界で生きているうちには、それほど環境を破壊しないものです。強制的なリサイクルなども、結果、修理などして使うこともなくなり環境破壊を加速度的に推進する結果になります。人々の小さな地球環境保全の気持ちとは裏腹に、力をもった一人の人の欲というものがすべてを台無しにすることも良くあること。


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