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リネンや麻を織る日々をつづっています。

リネン日記

クロネコにて

2013年06月27日

毎日ほど出荷がありますが、先日、地元のクロネコで時間間際に慌てていくと、百貨店向けにたくさんの出荷を出しておられるお店の方、順番待ちしていると、声が掛かる、地元の老舗のお菓子屋さんの同級生の娘さん。商店街のお店が閉められて行く流れの中で、販路の開拓にしても、なかなか難しそうにみえることを形にされて動いておられる。

いつもは、クロネコでお店の若大将である弟さんが出荷されているのを見かけ、商売は違っても、どのものづくりの商売も同じだなあと実感。よく考えてみると同級生などにも商売の家の息子さんたちが多いというのも、昔ながらの宿場町愛知川の特色。

そういう商店街の老舗のお菓子屋さんが続いている続いていないということも、社会のイメージにとってはすごく大事なことだろうと思える。下手すると八方塞りなもので続けていくことが難しいから、続けているところというのはそれ自体が大きな魅力だったりもする。

普通、人間というのは少しでも良い仕事を探したりするもの、私も世界的にも認められたコンピュータ製造工場の中で働いたけど、そういうよい環境のところで働くと他で働くことが出来なくなる。そしてそういうところというのは競争力がなくなっても、後戻りできず、消えていくものだったりで、大きな企業の歩むことの多い末路。会社の名前だけが自分のプライドみたいな、中でやっていることはほんと誰でもできる分担されたマニュアル化された単純作業。

最先端の分野であろうが、職人の技を養うようなことをすれば日本でも工場の存続が可能だったろうに、職人気質が消えた職場でノルマはあっても働いている人が素人になると職人気質は邪魔で、マニュアル化に進むもの。

現場では適切な判断できるかどうかが一番大事。原発事故もマニュアルの見直しではなく爆発する危険性も覚悟し、福島の事故でもチェルノブイリと同じ放射能汚染に悩む可能性もあったリスクを認識しているプロが今後は対応する必要。たまたま、地下から大量に漏れ出し無限希薄されただけで一つの県が救われた。絶対に壊れないといわれた炉心容器が壊れて地下から流れて人のすることの不完全さに救われた奇跡で、人の作業が完璧で、格納容器が壊れなかったらチェルノブイリと同じく石棺化。

地球環境には良くないが、原発事故に対して人の力というものは無力なら、もしもの時には海に沈めるようなことも選択としては必要だろう。今回の事故も大事に至らなかったのは結局はそういうこと。ほとんど垂れ流してから汚染を防いで、汚染された土壌が埋め立てに使われるというような形だけの環境保護。今回の事故はチェルノブイリと違うといって推進するなら、現実的には、そういう事態や選択も覚悟して推進する必要があろうかと思うし、原発が基本的に地球環境を破壊するという当たり前のリスクを受け入れてこその原発推進には意味があろうかと思う。最近の偽善的なすり替え、欲にまみれた大人は騙せても、純粋な子供は騙せない、裸の原発。メルトダウンして裸というのがわかっても裸じゃないと言い切ろうとして、何十万人もの命なんてどうでもよいというのが、日本の原子力行政40年積み重ねた本質であり賜物じゃあないでしょうか。


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