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リネンや麻を織る日々をつづっています。

リネン日記

アップサイジング、ダウンサイジング

2015年04月15日

中国の何千人の従業員を抱える企業を訪問したときに、謙遜とお世辞も入っているとは思うが、なぜ長く続いている理由は何なのかと尋ねられ、「我慢」ですとお答えした。私が経験から、外資系の長優良企業であるコンピュータ製造工場などは理想の究極であったが、そのコンピュータ工場で働いていてこの工場は長続きするはずがないと感じたのが正直なところ。

理想的なサクセスモデルほど追い求めているものが理想なので方向転換しようがなく、結局、その程度のことは日本でやらなくても、安定したインフラ、すなわち、安定した電気供給、綺麗な水、物流などがある国なら、日本でなくてもできるのだ。アップサイジング基調では商いと言うのは無理なく広がる。スケールが大きくなるので仕事の内容もより簡単になる。ダウンサイジング基調では、スケールが小さくなるので同じ仕事内容を維持しようとすると、人も減らさないとならないので難しくなる。日本でも大きく成長していった企業が最後に破綻するケースは多い。結局、自分自身の中で競争を生み出してしまうほどに大きくなりすぎ、ほかを潰した勢いがこんどは自分に降りかかってくるという感じだろう。

コンビになんかでも、同じ店舗同士が近すぎて競争になってしまってて、それはまずいだろうと言うことにすら経営サイドが気が付かなくなっている。売れている店舗があって、もう一店近くにできれば、トータルの売り上げが伸びるだろうと経営が考えるのだろうが、1店舗がうまく成り立つのと、2店舗が両方厳しい状態の経営で存在する違いというのが見えないのだ。これを大手メーカーや百貨店規模でもやってしまうから、数百人が働く、百貨店や工場ですらもが消耗品のように閉じられていく。急成長した大手のアメリカン子供服メーカーが破綻したのも規模が大きくなって飽和すると、1店舗でうまくいっていたものが、2店舗にして2店舗とも悪いということになりかねない。

なぜなのだろうか、広がる局面を経済紙などは成功のように書き立てるが、行き着く先というのが破綻であるという風船が大きくなっていつしか破裂するかの状態でしかないのに気がつかないものというか、気がついていてもじっと我慢するというのがなかなかできないものなのだ。

日本の資本で動いていると国が潰してしまうので、国が手の出ない外資に身売りして存続するケースも増えている。それがよいことなのか?普通よりも努力して自立している会社や商店街でもたくさんつぶれて行ったのをみるに、国ももうちょっと我慢してものごとの現実をみないと、多様性が消え、日本文化が行政チックというかサラリーマンチックになりすぎて魅力あるものではない。チェーンの居酒屋なんていたるところに増えたけど看板が違うだけで、どこも同じに思えて仕方ないが、個人経営の居酒屋ってお店一つにしても味がある。


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