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リネンや麻を織る日々をつづっています。

リネン日記

ブランドと経営者

2015年04月20日

学生だったときに大学に商社の人事部長が来られて、縁故採用に関して学生から質問があったときに、「仕事はご縁ですから」という答え。大きな会社ほど縁でものを動かすというのは当たり前だったりするものだ。相手に外れを引かさないという商売スタイルが一番効率的なのだ。ある行政の方はやはり殿様商売で商売は競争ですからということばを軽々しく発せられるが、10社あって9社が落ちるような話をする相手は相手にしないほうが商売のためだろう。林与は大きな商社でも行政でもないし、逆に自分のリスクでものごとを進められる。余裕があれば小さな規模のことでも協力したい気持ちではいるのだが、そういうときに持ち出してでも動く覚悟がある人が集まると話は簡単。特に新しいことは成り立たないことが多いのだから、本業を別の時間にしながら新しいことを仕事以外としてやってみる。

私自身、新しいお客さんが来られるときに、既存で麻のものをやっておられるのだったら、よほどの事情がないかぎり、既存の先さんと取り組まれてやられるのが全体としてはよいのではないかと思うのだ。農耕的ななく遊牧民的な商売スタイルというのは、ものづくりする人とは合わないこと多いだろう。

ブランドというのは看板だけのことなのかと思うのは、ヨーロッパのブランド、デザイナーが移り変わり、デザインに普遍性がないというか、流れる哲学に普遍性がないのだ。デザインというものは変わってもよいだろうが、流れる哲学が変われば、見た目は同じ商品を作っていても、どんどんとものづくりが普通になっていったりする。

経営者とデザイナーや企画者が一体でないと駄目じゃないかと思うのが、日々、商売の人と話をしていて感じるところ。デザイナーさんでも、自分はデザインだけと割り切っているタイプの会社というのは、デザイナーというのは社運を左右するポジションなのに、サラリーマンデザイナーでどうするのかと思える。経営者がデザインをほかに任せるというのも、デザイナーがやめたらそのブランドはどうするのという怖さを秘める。極端な話、華やかに

林与にはデザイナーはいない。モノづくりする中からテキスタイルが生まれていくような形もありかと思う。目の前に環境があって、材料があって、人がいて、そこで何をつくるかを考えてつくっていくほうが、ものづくりに一貫性が生まれるのだ。逆に、一貫性というのは、良し悪しなのはよくわかるのだ、新しいものをつくろうとするときに一貫性というものが邪魔をするのだ。

デザイナーさんがお客様目線の人というのは良いようで一番困ったりする。自分の好き嫌い的に、一つの理想の形しか見えずのコメントだと弱い。まずは、それを形にするのがあなたなのだみたいな話、一つの形もつくれずに議論の繰り返しも厳しい、自分がものづくりする人なら、いくつものパターンが想定して出来上がってこないと駄目なのだ。また、自分の置かれた環境の中でなにがどうできるのかということもないと。ものづくりを準備するときに、それを買うお客さんまでを想定する必要がある。物を売るにしても、売れる形に崩して売って行くのは簡単なのだが、崩さないで売って行くところがやはりセールスの人の力だろうと思える。


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