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リネンや麻を織る日々をつづっています。

リネン日記

初雪

2016年01月19日

夜12時に工場に入って作業、産地でも機屋が壊滅状態といわれるのもよくわかるのだ。移設した織機も、なぜかシャトルがなかったり、いくつかは後でシャトルが出てきたが、何百本とたくさんあったはずのシャトルの管がほとんどなかったり、普通は考えられないことが起こる。間に業者さんが入ったので間接的になってそういうことがうまく行かないのはしかたのないことなのかもしれないが想定外の致命的なことがいくつも重なる。

まあ、そんなものだろう。わざわざ、シュワイターをもう一台別途に運び入れたのも確実に正解だった、今のシュワイターでは細巻き調整が難しく、それまで使っておられたシュワイターで糸を巻くという方法が正解中の正解。上手な人が調整してもぴったり使用と思うと一錘何時間もかかるものでなかなか難しい。

中古のシャトル織機は、移設しても動かそうとするといろんなものを準備が必要で、移設費用だけでなくそれに再稼動するためにいろんなものが必要となってくる。一般的には鉄くずの価値しかなく、処分するにも出すのに費用が掛かるので普通は無料で回収くらいがよいところになってしまう。

移設した状態はマイナスの状態で、それを動くように立ち上げていく、ないものは、会社にあるもので代用を考えたり、マイナスを消していくのも仕事のうち。何十年続けていた人がやっていても、難しい仕事を、別の場所でほかの人が引き継いだり、新たに立ち上げて同じような仕事をしても普通成り立つはずがないのもよくわかるのだ。

産地の麻織りが壊滅状態であるのだけど、次の世代が育つのかというと何十年やっている人でも織るだけのところが難しいのだから。色柄をデザインしたり、味を布に持たせたりと言う、家業的な機元が本来もっていなければならない特色を残しておかなければ、というか、職業プロが趣味の人に負けてしまうのもそのあたり。

よくあるのが、機屋にデザイナーを入れてみたいな話があるけども、機を織る人自身が、モノづくりに創意工夫がないとヤバイのだ。デザイナーが機を織る覚悟をすれば別かもしれないが、そのあたりの乖離がものづくりがアンバランスであり続ける理由だろう。

現場にものづくりに興味がない人が集まっても、いつの間にかそんな職人たちは素人にも追い抜かれていってしまうものだ。逆にデザインの世界は、10秒でアイデアは変わるが、それを実現しようとすると1週間2週間の変更作業を伴うとか。そういうのがあるから、デザイナーの感性というのは大事で、一発勝負でも覚悟決めて出来る人でないとデザイナーは無理だろうと思うが、大体が、見本を見せてほしいから始まってセレクターでしかなくなっている。

今のブランドなんかもデザイナーが入れ替わるようなことで、刷新しようとする流れがあるけどもそれが軽く見えすぎてならない。新しいものをもとめ、結局は、積み重ねた深さのあるものづくりが消えてゆくというあたりにつながってしまっている。日本のものづくりって厳しさの中から生まれてきた要素が大きいが、それを今、クリエイティブなとかありがち過ぎるようなところのモノづくりに落ち始めて、海外向けの展示会でも、日本のテキスタイルの評価は、新興国に追い抜かれ始めているのも分かる。

働かなくなっても、幸せを求めれば、アメリカンチックな思想で日本のモノづくりを語ったり。海外の膨大な人が働いて国内で人が働かなくなったときに、だんだんと競争力が落ちてきて成り立たなくなるときに、力でリセットする必要がいつか出てくる。戦争なんだわなあと思える。利権のための戦争なんて泥棒より悪いことなんだが、窮地に立たされると国単位でもそれに大儀をつけて正当化。文化的な生活の果てというものは原始的な殺傷と略奪の世界に陥るものだろう。だから、蔓延っているけど楽して幸せみたいな思想は利己的過ぎて好きじゃない。

深夜、外に出ると雪がちらつく、初雪か。生まれてこの場所では、初めて雪のない年なのかとおもいきや、少しだけでも雪がちらついて安心すら思う。雪に閉ざされた世界から生み出されてくる麻織りには雪の厳しさは必要なのだ。


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