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リネンや麻を織る日々をつづっています。

リネン日記

これからの人たち

2016年06月09日

今日は、ある繊維の会社の新人の女性の方とお話した。その会社でのネットプロジェクトをまかされているとのことで、そういう方には本当にがんばってもらいたいものである。がんばってもらいたいといいながらも、自分の給料は自分で稼げるようにいつかなるというのではなくて、すぐにそうなるように動いてもらいたいのである。できることをいくつもやってみられることが大事だろうと思う。私の自身も、10やってみて、そのうち2つとか3つが、数年後に実際の商売に繋がってくる程度なんで、私自身のやり方がまずいのかもしれないが仕事の本質ってそんなものじゃないのかと思える。

ものづくりって職人的なサラリーマンとは違うような要素を崇めながらもそれを扱う人々がサラリーマン的な考えでそのものを扱ってしまうと全体の職人思想そのものが成り立ちにくくなるものである。私自身からすると職人の概念にしても限られた仕事をしていて食べていけるならそれは幸せすぎる仕事だろうと思える。生き残っているものづくりの現場というのは日々切磋琢磨されていて、技術の向上というものがあってほかと差がついて生き残っておられるだけで決して楽ではないだろう。

私自身も若いとはいえない世代になって、これからの人たちには新しい形があってもよいのではなかろうかと思える。まずは、年功序列的な発想は弊害が多すぎて、新しいことをしようとしても駄目だ駄目だ、既存のやり方から抜け出せないと、駄目になってしまうところも多く、何十年も前に現役だった人が同じやり方で10年20年後には、商いがまったく成り立たないというのがほとんど。なぜ、大手SPAのような経験の少ないとも思える人たちに繊維業界のシェアが奪われてしまったのかという辺りも、ものづくりだけでなく、流通も含めて考えていく必要があろう。ジャストインタイム思想のマイナスの部分に普通に目が向かなかった部分がやはり一番の弱体化の要因で、経験の浅いはずの新興国のテキスタイルメーカーのほうが20年ほどで日本のシェアを奪ってしまった。頭でっかちな殿様ばっかりになってしまって自分がリスクして仕事する人というのがいなくなったのが主因だろう。

だから、若い世代の人たちには自分でリスクを背負って、自給自足的な精神からもって仕事に向かってほしいと思える。業界に先生なんかはいないのだから、自分で自分が生きていく方法を見つけていくしかないのだと思うのだ。あまり形にとらわれず、同じような志をもっている人が集まってプロジェクトを立ち上げるとかは強いだろうと思える。形にとらわれて無責任に文句いって何もしないとかは、何もしてないのと同じだろう。経験を積むのは後のためには非常に大事だと思うのは、最初の1回が踏み出せないと次のチャンスのときにも同じ踏み出さない判断をしてしまうだろう。


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