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リネンや麻を織る日々をつづっています。

リネン日記

織機壊れる

2016年09月05日

昨日の夜、インターンの生地の織り初めで、一つ大きなトラブルがあった。ヒガエを使わない横糸が一色の織物だったのでインターンの生地を織るのには問題がなかったがダメージ大な出来事。

生地を織るときにシャトル織機の左後ろのほうで異音がした。シャトル織機がヒガエをした途端に、角材がなぜか機械の下にあって、ヒバコが下がるのを邪魔して、鋳物でできた部品が割れて壊れ、異音がしたのだ。何十年も使う織機の一台が大きなダメージ、使えなくなってしまったのである。溶接すればなんとか直るだろうが、調子のよかった織機に分解修理が必要となり、また大掛かりな修理の一つ仕事が増えてしまった。昨日の夜は相当へこむ。でも、その話を今朝すると、現場の女の子が昨日掃除をしたときに角材をシャトル織機のヒガエの機構の下のスペースに置いてしまったということをすぐに話して自分の失敗を認めてくれ、その自分の失敗を認める素直さが逆にうれしくて正しくて立派だと思い褒めた。

ダメージ大な出来事がよい思い出に変わった。ものづくりというのは人なんだわなと思うのもそういうところ、失敗や困難な出来事があっても本人が責任感を持って対応してくくれれば、それがうまく解決できないとしてもなんとか納得できることもあるものである。法律や規則というのは厳しいもので、私自身は社会を豊かにしていくためには、法律よりもモラルが優先されるべきだろうと思える。

たとえば、失敗したことを罰しない法律が存在するのかという問題。本人が、交通違反なんかをして認めないと罰せない。人間がモラルがあって正しく認めると罰する。たとえば、都知事たるものがが悪いと認めないことで、万引き少年すらも罪悪感を持って物を盗み罰せられるのを恐れるだろうが、地位のあるものは罪悪感も無く罰する法律も作らずに刑務所に入ることも無く、法の下の平等を謡うゆがんだ法治社会の典型なのだ。行政に携わるものが上のものが悪いと分かっていても自分の所属する組織が民主主義だとすれば許されない行為だと分かっていても正すことすらできない。結局、市民革命てきな要素が働くしかないのが、日本の法律が国民や市民を守るためでなく、為政者が傲慢に国民や市民を縛るだけになっているという行政の巨悪が正当化みたいな法治社会における未必の故意敵な法が適用されない無法国家を生み出す。法が力を持つものの犯罪を正当化してしまうというのも心が綺麗な素直な小学生が考えるとおかしなこと。でも、そういう素直さに便乗して、法を強いていくと、いつのまにかゆがんだ大人に教育されてしまっていくものである。政治や行政というのは力、そうなり易いものである。

ある大臣がオービスによる速度違反で処分されたニュースがあったが、法治国家が正しく機能しているのに驚いたくらい。主義主張は分からないが、十分に、もみ消せる立場で、もみ消す出なく罰せられるほうを選んだ素直でよい大臣であるような気がする。普通は立場を利用してもみ消して正しい人を装い上に立つというのが今の日本でも主流になりつつある。砂上の城、それでは素直に法に従って裁かれるものがかわいそうなくらいになってしまう。法律というものがどんどんと複雑化してすべてを罰する方向に、自転車の国道すらも車道走れなんかは、田舎だと人が死ぬ可能性が高いがそれも法律として正しいとされると、普通に法律を守って生活して人の命を法律が奪う可能性があるということに気がつかない人が法律をつくっているのだろうとしか思えない。この件では警察官ともぶっちゃけ話で話したが、警察官ももちろん危ない法律だと分かっていて、それをとがめることはしないというが、馬鹿な警察官やその上司がいたりすると人が死ぬ可能性のある法律を優先して、権威振りかざし取り締まるんだよなあ。

日本の政治利権にまみれたETCなんかでもETCの業務員すらもが轢かれて死んでいるけどそれがまさにシステムの問題なのだがそのプロの命を奪うシステムを裁く法律がなくだと、不幸な事故は決してなくならないよ。ゲートが降りているところにとまらずに車で飛び込むというのも暴走的だと思え、機械を信頼してのことだが、そういう死亡事故につながっているが利権優先かよと思える。日本では遮断機のある踏み切りですら遮断機が下りていないのに止まり、止まらなければ罰せられるのに、目の前にバーが閉じているところに突入というのも、理不尽で、法を支配するものの利権や保身が絡むとなんでもありでは法律がゆがみ困るのだ。国際基準地の80倍の放射能汚染度がばら撒かれるのも、法律のなす業。それをやるのが環境庁。

国民の健康を守るために動かないといけない省庁が、利権や保身が絡んで国民の健康を損ねることを正しいとして推進。法律つくって罪悪感のない殺人というのもそろそろやめないか。ずるい目的で法律が出来上がり始めると、そういうずるいに妥協できる感覚の人しかついてゆけなくなる。チェルノブイリ以下なのは、炉心誘拐で放射能がばら撒かれているのに国民に知らされず隠匿して6ヵ月後の放射能漏れ公表。日本が笑ったチェルノブイリよりも隠匿の度合いが高いのが日本の行政、人も死んでいても事故とは関係ないと否定して済ませている。国民は利権を搾取される側、公務員以上に我慢もしているし、行政の利権や保身優先の結果の失敗も被らなければならないのも耐えている。でも、軽い気持ちで人の命も絡む問題に対してもうそばっかりでは困るんだよね。

保身だらけで自分の失敗を認めるが少なくなった世の中で、失敗を素直に認めるのも大事じゃないのかと思える。家で働いている子にしても、この国の自称トップリーダーたちより人間としてまともなのだ。私が東電の社長なら、福島原発所長の甲状腺がん死は、福島原発事故の放射能漏れを伏せたが故の死亡事故として原発行政に生かすけどなあ。一番くらいに危険なものを安全と言い切って進めるのがすごいよね。原発行政も推進するにしても、安全じゃないけど経済的にで正直に進めるべきだよ。関電の値上げ告知の電話担当、値下げのために原発は安いというだけで、事故の起こったことや安全なんて何にも考えてない。いやなら契約破棄だとさ、性質すらも悪い。値上げしてもよいから原発止めてほしいと言ったが、それに答える言葉も用意できていない。ほんと腐りきっていて駄目なんだよなあ。選択肢に、他人の命が犠牲になろうが利益優先で原発を止めるがないのが原発運営、原発行政。国が絡んでいるとこうまでも無茶苦茶になるのかの典型。トップだけでなく末端の対応するものまでもが、放射能漏れなんてしったことじゃないという感覚。利益や保身が一番では、原発は今後も事後が続き爆発し開き直るの繰り返し。

国の組織なんて、生地の話じゃないけどズルズルな組織。それが国民に対しては、すべて完璧な組織であることを要求する。国のズルズルなしわ寄せも吸収させながらだから、いくら完璧に穴のもれていないバケツだとしても、一生懸命に水が漏れないように頑張っているのに、穴を開けられて穴を開ける人に水をもらすな指導を受けるようなマッチポンプ。穴を開けるスピードのほうが速く、経営努力というような水漏れの修復作業にも似たわずかな努力の積み重ねでは、日本経済という全体が成り立たなくなっている。


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