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リネンや麻を織る日々をつづっています。

リネン日記

空き家

2016年10月15日

田舎の過疎化の深刻化を感じる。近所の方が家を持ってほしいと頼まれる、名義を変更して所有権を移すだけのこと。売買ではない。土地や家がマイナスの資産となってしまう状態に早く手を打たれるのだろう。住んでいないとするなら固定資産税を払い続けることや取り壊すだけでもかなりの費用が掛かるので、双方の思いが合えばよい話なのだが、住める家を無料でもというのはこれからは当たり前になっていくだろう。田舎の土地というのは更地にしても売買となると、司法書士の先生に払う手数料や境界を決めるための測量費用なども掛かり、売る相手がどんな方であるかも大事だったりするので、売買が簡単ではないことも多い。

ある工場が、廃業されるときに事務所と工場と土地を含めて買う話があったが、築50年を超える建物というのは10年とか先に取り壊すことを考えると一般的には実質一千万円コースのマイナスの伴う資産なのである。土地の評価があっても上に古い建物があると余計に評価が下がるみたいなところもあって、固定資産税の評価額でも私が買ってくれる人を見つけようとすると苦戦するだろう。不動産会社が入って3ヶ月以内にすぐに売れる金額というのを私に提示した、工業団地に10倍もの面積のきれいな更地で土地が手に入る金額。断る話になったが、その金額で3ヶ月以内に不動産会社もちゃんと土地と建物を買い上げて、工場の片付けをちゃんと見てあげてほしいと思うところ。

東京の土地だと人が多いので場所さえ良ければビジネスチャンスあるけど、滋賀県は主要な駅前の平和堂などでも3階、4階、5階には店舗が入っていないような状態になりつつある。土地というのは国有そのものだなあと思うのは固定資産税のシステム。土地をもつだけで国に地代を納めることになる。なぜ、駅前のショッピングセンターからお客さんが消えたのか、郊外店に流れたということもあろうが、インターネットが商売の立地としては最高な場所のひとつになったからとういことだろう。これを書いているうちに、平和堂の近江八幡店が閉店するというニュースがネットで目に入った。

何百人がやっている商売でも立地も良くても成り立たないという状況。日本は田舎はますますと厳しいのである。画一化的に行く流ればかりではなく、ここで思うのが無理だといわれるものの特色を強く出していくという方向性も大事じゃないのかと思う。繊維産業というのは基本厳しくて無理だといわれるけど、日本のすごい分野のひとつであるのも事実。東円堂の林与のような小さな家の中から近江上布の絣織物が生まれ、半世紀以上前のその色柄に世界のデザイナーが注目するとか。

そういうものを生み出した気概といものは、もはや集落にはないけども、新しい形でそれを復活したいなあと考えている。村が明治以降に産業としていた織物を復活できるのも私しか居ないのも事実で、17歳で與次右衛門爺さんは、機元のひとつをたちあげた、今、もう47のおっさんが、それをやるのが難しいなあとかいっていても当時の人からすれば笑い話にしか思えないだろう。あのころは厳しいことが正しい時代ですべてが成り立ち、集落としても豊かな集落となった。今は、成功のための厳しさすらも禁じるばかりで、政治的には愚民ほど扱いやすいものはないのかもしれないが、田舎ほど自由に活動できるのが本来の田舎の強みであるはず。いつの間にか、隣と密集している都会のほうが自由に活動できるようになって、田舎の人のスケールが小さくなってしまっている。

芋粥の話でなければならないのだ、田舎というのは都会以上に大きなことをやってないと本来成り立たないのである。


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