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リネンや麻を織る日々をつづっています。

リネン日記

機屋の廃業

2018年04月29日

昔、ある機屋さんが廃業されて、その廃業された機屋さんの織機を持ち出した職人さんが、自分がやっていこうとされたのだがうまく行かなかったケース。その機屋さんも立派で職人が自分でやってゆけるように織機と、糸なども欲しいものは全部あげた。織機を2台移設された、でも、職人さんは使い慣れた織機や糸があっても、ものを作ることは自分の意思では難しい。何十年も経験があって、職場がなくなったときに、織機を持ち出して動くようにはしても、自分で織ってものをつくっていくことは難しいことをあらわす例えの一つ。

織機があったからといってよい布が作れるわけでもなく、布をつくろうとする人がいなければ駄目で、思うだけでなく毎回行動をする人でないと仕事として食べて行くことは難しいだろうと思う。きつい話だけど、職人さんのその後の流れをみていると、その職人さんが織物の世界で食べて行くのはそもそも難しいんじゃないのかと思える。成り立つ成り立たないに関わらず移設までしてほとんど動かしておられないから。移設して毎日動かして成り立たないなら分かる話なのだが…。体が悪いとか他の事情があれば別だろうが。その機屋さんが廃業される要因のひとつもその辺りもあっただろう。

林与も、出機さんに最後頼んだ一番簡単な大きく巻いた平の白い織物が4回立て続けに通し違いや極端な油汚れ。織り賃は早く払ってほしいと要求をされ、支払いはするが、受けた注文が駄目になりお客様に迷惑を掛けるだけでなく、全部、糸から作業した分とか加工代金まで、没になる話。仕事もして一番簡単な仕事で4回立て続け。4回目には、油汚れの問題を心配し確認しに行くと、シャトルの出口に油の大きな黒い塊があるので、私が拭くからと拭こうとすると自分が拭いてから織るといって、結局、ふき取りもせずにそのまま織って油汚れ。普通だと4回の損失で実費200万円の損質、出機さんに支払い義務が生じる話だが、情けは持って問題の解決も手伝い、織り賃も支払うが、その体質は直らない。それを最後に仕事は頼まないことになった。大きな失敗もへっちゃらだと、何十年の経験者でも、初心者とまったく変わらないほどに通用しないのだ。

一番簡単な仕事もできなくなって、機場というのは成り立たなくなって行く。地場産業の傾く理由っていうのはそんな難しいことでもない。目の前に仕事があって仕事があることのありがたみもわからない状況に陥る。平の無地の白という一番簡単な仕事も難しいのだから、複雑なデザイン性のものを、傾く地場産業に求めれば地獄というだけのこと。これは日本社会の全般的な流れで、できないのが普通になってきている。社会の流れのもうひとつが、日本のものづくりに対しての小ロット多品種ニッチェ化。過去を支えるも難しいことで、正しく仕事できる人が正しく仕事して前に進んで行くしかないのである。


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