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リネンや麻を織る日々をつづっています。

リネン日記

いろんな経験

2018年04月20日

私も50歳になろうとしているが、学生のときよりも新しいことに自分自身の手を使って挑戦をしやすい環境を考えている。珍しい部類に入る。たとえば、自動車消耗品の交換、タイヤやバッテリー、タイミングベルト、オイルの交換も自分でする人と他の人に頼む人がいると思う。私自身は、初めて車を持ったときから、そういう大したことない交換作業は自分で時間があればやろうとする。プロがやっても自分がやっても同じこと。きっかけとなったのは、アメリカでボルボの中古を買って、そのパワステホースが、買ってすぐに破裂して液漏れで、そのパワステホースの交換をホストファーザーが自分たちで交換できると助けてくれたこと。実際にはエアコンのホースを利用して圧に耐えられず失敗に終わってディーラーに持っていって修理したが、そういう経験に誘導してくれる環境に触れることができたことが大きい。

その後も、ジャガーXJSというスポーツカータイプの中古を買って、これがまた、所有していた半分以上の時間修理工場にあったとかも、今となってはよい経験。マドンナの歌にもあるが、早く走るファンシーな車は長持ちしないという典型で、ボルボは古くてボロボロでも日常の足になったが、V12のレーシングカーのエンジンを積んだというのは厄介そのもので、乗っていて感動はあるのだがメンテも大変すぎる。ボンネットを開けると美しいV12エンジンがメンテを邪魔する仕様、リッター数キロ、ほんと見て楽しむための車である。そういうところでファンシーなものには騙されない価値観が身についたのだろうか質実堅牢なものを好む。

コンピュータ関係でも若い頃に自作PCというのをパーツを買って安く作り上げたりした。これもメーカー製の出来上がりPCと比べると問題は多く、部品にも安いもの高いものがあって、安いものは安いなりに理由があって安いということ。このことは、麻糸を仕入れるときにも値段の安いものには飛びつかないという仕事のスタイルにつながっている。一方で、いろんな糸を試してみるということにもつながっていて、自分が麻糸の良し悪しを判断するという立場であり、一般の定評ではなく、自分の経験に基づいた勝ち判断が一番ということ。これは私に限ったことではなくて自分自身で価値判断をするということの大切さにつながっている。

大きなコンピュータ工場で働いたことも、世界最先端の製造工程を経験できたこと。その中でまったく逆のスタイルが大事だと思ったことがいっぱいあった。普通の人でも安定して量産ができるようにすべてレベルを落としてものづくりをしている気がした。高度なものづくりには思えなかったのである。コンピュータプログラミングの会社でも短い経験だったが、学歴や年齢なんか意味がなく、仕事では実力が大事で、当時29歳だったが自分の実力のなさを感じたりもした。一方で、プログラミングの知識は無意味で、それを応用して活用することが大事だと悟ったこと。

仕事をしていても、ものごとに対する判断が異なることが多い。それがあるからやっていける。ほかの人の判断と同じ判断しかできなくなったら、衰退する産業では続けることすら難しいだろう。手足となって動いてくれる人がいればすごく強い会社なのだが、なかなかその手足となって動いてくれる人を見つけることが難しいのである。実際、手足、体を動かすことを面倒がって、口や頭が達者な人の比率が今の繊維産業では多くなりすぎているように思える。ものづくりにおいて能力が高い人というのは実際にものを形にでき問題なく量産できる人。企画というのはまさに絵に描いた餅で、実際の餅を作って、それを売ってお金をもらって食べて行くのが餅屋の仕事みたいのが仕事の基本。


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