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リネンや麻を織る日々をつづっています。

リネン日記

彦根

2018年05月24日

今日は午前中に近くの繊維の会社の方が海外展示会に興味があるということでお越しになられた。日本だとどういう方々がそういうプロジェクトをやっておられ支えておられるのかとか、どういうルートがあるのかとか、どういうものを提案してゆくべきなのだろうかとか、私自身が試行錯誤しているあたり参考に聞いてもらった。たぶん、社長の奥さまのキャラクターの強さが、きっと海外展開含め新規の市場開拓には生きてくるのではないかと思える。

林与と違うのは、林与の場合は、お客さまが生地という素材を求めてくださるところ。その会社の場合には最終商品を卸す卸先を求めておられるところ。その会社の商品はすでに最終消費者向けにパッケージ化されているのである。オリジナルの自社製品として、卸す形で、それを販売してくれる店舗を探しておられるというところ。出展される展示会の性質もだいぶ異なるだろう。

私も海外展開で自分の力というよりも、自分が前向きに動いているのを支えてくださっている日本の繊維業界をPRされている方がいてくださる。その方々がすごいのは林与のような家族経営規模の会社でも日本の企業の一角として一押しくださることで、生地とかものづくりとか、大事に守りたいものを守ろうとしてくださるところ、その方々の余力を林与がいただいていることには感謝して、普通になっては駄目で、その期待にこたえるべくハチャメチャかもしれないがトコトンな日本の繊維の世界を貫きたい。

この10年ほど林与は本麻を守りつつも、本麻でのものづくりが難しくなってきたのを感じ、了承得て無理のない流れに合わせる形で、日本でも一番くらいに強かった本麻のアパレル素材を前のお客様の成り行きに任せる状況に。小千谷縮がこの10年でかなり業界での評価が上がり、がんばられたのをすごく感じ、産地は別としてもやる気のある人たちを応援する気持ちが一杯なのが私だったりする。

小千谷が衰退したのも、近江の産地がアパレル対応するため広幅に転進し成功を収めたことがあったと思う。それを先導する結果になったのが林与の先代で昭和50年代初めに広幅のレピア織機を産地で一番に導入し成功、それを産地の他の業者さんが続く形で、1970年代の日本の空前の麻ブームとなった。田舎の機屋が何億円もの投資で麻が織れるか織れないかやってみないとわからない賭け、失敗すれば後戻りは出来ない賭けだった。そういう賭けをしていなければ近江湖東産地も小千谷と同じ世界が続いていたかもしれない。


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