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リネンや麻を織る日々をつづっています。

リネン日記

デジタルディバイド

2020年02月20日

昔、アメリカにいるときに、デジタルディバイドという言葉が新しい言葉として出てきた。これはインターネット環境にいるひととその環境にない人では、情報の量や速さというものが違って、特に、これからの子供たちが、そのどちらの環境にあるかで有利不利が生まれるという問題。これは、実際は、子供たちの問題だけでななく、その25年後の今も日本で、大人の世界でもその差は大きい。ノートパソコンや携帯電話を使える人と、テレビだけが情報源の人とでは、どうしてもテレビや新聞というのは偏りがあって、オブラートに包まれたような話しか出てこない。どこのチャンネルでも新聞でも同じような内容、公的な発表だけがニュースとして流れる。

インターネットの世界というのは一つのニュースにしても何倍もの情報量で、もちろんテレビや新聞的な情報もあるけども、ふるいに掛けられる前の情報も手に入る。記者というものがすべてにおいて意味ができているのかというと、分析能力に劣る記者も多く、記事が不透明な部分が多くなんでそこをしっかりと書かないのかと思うのが大手の新聞社のニュース。憶測的なものを入れると問題があるのだろうが、憶測的なものがあってそこに答えがあったりするものなのである。特に未知のウィルスなんかに関しては、確定的でないけども断片的に出てくる情報が、今後の流れを予測するのに役立つのである。

専門家にしても厚生労働省の役人にしても、役職が高すぎて冒険を犯すことはできないのでどうしても、安全か危険かも言えない。まあ、昔、子供の頃に注射器の使いまわしで予防接種してて、5歳か6歳だったけど大丈夫と思ってたけど、専門家や国というのは、大丈夫でやってしまうものなのだ。結局、大丈夫じゃなく日本中に肝炎の問題を引き起こしたりしている。看護婦の息子さんは、予防接種は受けないと例外だった。あれは、看護婦だった親がその危険性を十分に知っていたからと思う。危険だと分かっていても専門家や行政は安全としてやってしまうことは当たり前にあるのである。もちろん、注射器の使いまわしなんてものは当たり前に危険なのだが、国が決めてしまえば専門家も行政も同調するしかなく、また、テレビでも新聞でもその危険性は語られない。

今は素人のほうが、インターネットで興味をもって調べれば真実的なことにたどり着ける。テレビや新聞ではメルトダウンしていない水蒸気爆発だというのも、なぜ、放射能性濃度の高い地域があふれているのにと分析すれば、メルトダウンしているというのはすぐにばれる嘘。半年後に放射能レーダーも感知していてそれを政府が隠していたというだけ。そんな大きな問題でも隠匿してしまうのが専門家たちや行政なのであるから、一般の人々というのは正しい情報をもって行動することが大事なのである。

オーガニックの問題でも、ある会社さんは原発の近くでやっておられたが、すぐに違う地域に移動されて生産をされた。ある意味、安全性を謳うものづくりを重視された形で正しいと思う。また、原発の近くで被害にあわれてもそれを乗り越えて応援を受けてものづくりを続けておられる方もある、それも正しい方法なのである。一つの目でみると、相反する行動に見えるが私は両方正しいと思う、それは情報を隠匿しない人たちだから。ところが行政が絡んでくるとやっかいで、安全基準を20倍ゆるくして安全と謳ったりするから、一般の者からすると安全という言葉が信用もできなくなるのである。基準値を守っているといっても、20倍ゆるくなった基準値だとすれば本当に安全なのか、そしてその後また、基準値が20倍厳しく戻される。数値なんてあってもないようなもので、その場しのぎの人体実験は駄目だと思う。得られた数値に合わせて基準値をゆるめているだけのこと。

問題は、安全の定義から変わってしまって、正しい情報が与えられていないということ。一律に基準値を守ったといわずに、何ベクレルの水ですよ、と正しい情報を表記すればよいのにと思う。買う人は買うだろうし買わない人は買わない。オーガニックを議論する会議でもオーガニックのパーセンテージを表記したくない業者の意見があったりするけど、それって普通の生地の世界の混率表記すらもあまり大事に思っていない人たちなんだろうなあと思う。売って買ってもうけることだけを気にして、消費者が何を求めて買うのかとかいうあたり、実際の情報を隠して騙すみたいなラベル商売はオーガニックの本質すら失う。

GOTSが合成繊維混をオーガニックと謳いたい背景には、GOTSの運営自体を持たせるという別の理由も垣間見えて、初心に戻るべきじゃないのかと思ったりもする。従来のコットンを否定して、オーガニックコットンだけにして、自分たちがすべて管理し、支配するみたいな欲望の塊が、結局、ラベルはついていても、どんどんとオーガニックの本質の低下につながっていき、合成繊維混のオーガニックコットンより、普通のコットンのほうが上じゃないのかの世界に入ってしまう。その場しのぎにやってると、オーガニックコットンがマイクロファイバー問題を拾ってしまったり、つぎはぎつぎはぎで、地道な作業から生まれる本来のオーガニックコットンの世界よりも、基準をどうすり抜けるかとか、基準をどう緩めてオーガニックと謳えるようにするかの世界になってしまう。

現実は現実で受け止めて、偽装を含まず、正直に消費者に伝えることが大事で、カルガモ農法でやってる農家が農協の合成肥料を使ってるのを正直に現実を言うそれが一番良い。正直にプライド持って自分の限界で仕事しているものは正直に話すから。これいっておくと、化学肥料や農薬を使わないという規定があるが、各国の基準は例外を認めていて、インドなどは、努力目標的な部分もあるから、それをオーガニックとして認定してしまっているオブラートも消費者は理解が必要であろう。ばれなきゃ大丈夫なオーガニックじゃだめだろうと思う。そのあたりもインターネットで情報をしらべるといろいろとオーガニックの本質が見えてくる。

国内のオーガニックの定義と各国のオーガニックの定義は異なるから、日本のオーガニックの定義の謳われて、海外基準で作られたオーガニック製品についていたとしたら、からくりの一つなんだけど、調べるといろいろとそういうからくりで、国や管理者が責任逃れしたりしているのが見えてくるものである。数年前、日本で一番大きなオーガニックコットンの協会の理事長と電話で話しているときに、オーガニックじゃないものでもオーガニック認定されていますよねえと聞くと、それは企業の問題で私は関係ないといわれるレベル、まったく責任感感じずにオーガニックの権威を振りかざしておられる爺さんもいたから、気を付けてね。


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