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リネンや麻を織る日々をつづっています。

リネン日記

繊維の仕事も

2020年07月12日

繊維の仕事も、田舎の付き合いてきな仕事では成り立たせるのが難しくなったのが、繊維業界の衰退の原因でもあると思う。林与の先代的な昭和の時代の経営者が、大手SPAの若いモノづくりに飲み込まれてしまうのもよくわかるのである。新しいことに柔軟に対応できているかできていないかの違い。それも一つの能力で、新しいものを産み出してゆくときや、閉塞感を打開していくときには必要なこと。

先代なんかも、これは絶対にやったらあかんとか、いうようなこともよくあった。例えば、直接アパレルさんとやるとか、私からすると普通のことなんだけど、なかなか田舎のおっちゃんの商売感覚ではそれが難しいのである。私の仕事の考え方が気に入らない、先代が、お前も問屋さんに修行にいってこいみたいな話もあったけども、もうそういう時代ではないのが分かっていないと、田舎の織物工場が今の繊維業界でやっていくことすら難しいだろう。酒飲んで商売なんて今でも古い昔の話だけど、30年前でも古くさくって、次の世代が酒飲んで年寄りの説教聞かされてては逆に駄目を作っていくだけ。若い者の意見を聞く側に回らんと上手に次の世代を育んでいけるような人もいないことはないが少なかった。それは譲る覚悟もあって外の移り変わる世界を知っている人の感覚。

外の世界を知っているから分かることも多いが、狭い田舎社会ではそれが悪いことのように毛嫌いされたり、そんなしょうもない感覚に縛られているから駄目なんだけど、仕切りたい連中が本当に多く自分と他人の区別もつかない状態で、これやるな、あれやるなみたいな輩は多い。自分はすき放題やってるタイプ程、ほかのもののやってることを仕切ろうとする。そういうあたりから健全化してゆかないとダメなんだろうなあと思うところが、林与の家の中にもある。

地道に仕事するとかそういう基本がなくなっては、何十年の経験者にしても素直に働いるアルバイトの人のほうが人間的には上だなあと思う。よほど才能や美貌があってみんなからあこがれてもらえるような人ならそれ以外のところでも生きてゆけるだろうけど、田舎という場所で人の勤勉さ地道さみたいなものがなくなれば評価もされにくい、拝金主義とか成金趣味になったら終わりでつくるものも陳腐化する。極めたものをつくるには、人生観そのものが自分をどこまで極限に置くかみたいのが大事だろうと思う。アートのように、ものづくりも突き詰めてゆけば人生観や哲学にたどり着くんだろうと思う。

自分自身もエシカルとかサステイナブルとかのものづくりをしながらも、エシカルとかサステイナブルなものづくりというのはそれよりも浅いところにあったりするものだと思う。自分のために働くとかいうより、家族を幸せにしたいとかのために働くとか、自分の人生を投げ打つ感覚の人が多かった時代や生き方のほうが、人の温かさを感じる部分があって、一緒に働く仲間を支える気持ちにもつながるだろう。エシカルやサステイナブルな基準なんてものを強いて実践する側でないなら、それは単に児童労働させてる働かない親と同じレベル。人として見失ってしまった他の人を支えるとかの部分を取り戻すほうが先だろうと思う。


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