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リネンや麻を織る日々をつづっています。

リネン日記

時計

2021年01月08日

時計というのは必需品なのかどうかというところ。パソコンにしても同じくらいに、スマートフォンが、タイマーも、アラームも備えて、認証においても常に必要なアイテムとなった今、時計の将来はアナログカメラのような道をたどってゆくのであろうと思う。

逆にマニアにとってはアナログカメラはあこがれのアイテムにしても安く手に入って良いんではないだろうか、シャトル織機なんかも同じで、織機自体を手に入れることは無料に近いけどもそれを維持していくとなるとジャンクのコピー機をメーカーも対応できないのを自分で中古の部品を取って修理して正しく動かしていくのと同じような話。

構えてのものづくりがなかなか難しいのは、地元で縫製して販売されている方が織物を自分で織りたいといわれて中古の織機の出物の話を頼まれて、実際にその話が半年にあっても応じることは難しいという話。織機があっても整経ができなければ駄目で、整経するためにはチーズワインダーなどの設備も必要。

織物というのは場所も人も必要な構える話で、たとえば新し人が設備を譲ってもらってスタートしたとしてもひとつの織物を自分で織ることもなかなか大変な話だったりする。織物の価値観に対する意識改革も必要で何が織物の価値を生み出すのかというあたり、デザインしてもそれを形にする部分の大変さをデザインしている人が経験すれば、頭の中では何千ものデザインができても、一つの織物を形にするのはそれよりも大変だという当たり前のことが分かると見えてくる世界もあったりする。

一生の感覚の違いを埋めて共有するということは難しいことも多いけども、昔、大学生の時に、良い先輩の導きで京都の有名なお寺に週末お世話になったことがあって、そのお寺の住職様は昔浮浪者を経験されていたというのがあって、まさに人生修行というのはそこで普通だと逃げたいような境遇になぜ自分から突き進んでいかれたのかというあたりが、人として超えた世界。そういう方ほど、まさに人じゃない仏の道に近いのであって、大学生だったちゃらんぽらんな自分からするとまったく理解できない超えられない世界に思えた。

宗教とかそういう話じゃなくって、自分が人としてを捨ててどこまで他の人の人としてを守れるのかの話で、それが超えた世界でよく、エシカルな話で林与もみていただくことがあるけども、エシカルなことを本当に考えて共有してほしいと思うのはそこ。エシカルなことを謳う人ほど浅いというのも実際だったりしてエシカルが商売の道具になってしまっているのがオーガニックの世界でなんで児童労働レベルの覚悟もないオーガニックのプロばかりなんだろうかと思う。仕事も正しくできない人の面倒を代わりにちゃんとみてあげるのが本当のエシカルな世界だけど、一つのちょっとした自分がリカバーする力持てば簡単に解決できる問題でも責任問題になるのが普通の商売の世界。そういう価値観を共有できない世界とは、相手と同様の対応に留め距離を保っておくべきだろうと思う。


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