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リネンや麻を織る日々をつづっています。

リネン日記

新しいビーム

2021年10月18日

新しいインディゴ染めのビームが巻き上がってそれを今日は下に下した。だいぶ体力なんかもなくなってきて、いつまでこういう作業ができるのかは心配だったりするけども、普通の人だと無理な作業をまだまだやっているのでやれているうちにやっておかないとと思う。

年を取るごとに仕事というのはできなくなってくるもので、そういうケースを多く見てきたが、中には仕事を真面目にやっている人もいてそういう人というのは年を取っても器用でさぼることもないし若い人には劣らない。そういう人が私の手本だったりして、社会というのはそういう人が支えているんだと思う。私に仕事を教えてくれた方もそういう人だったし、小幅の仕事をやっておられた地元の社長もそういう人だった。自分の親ではない人に、働いて成り立たせるまともな生き方を教えてもらった気がする。

林与の先代夫婦というのはどうしても地道な仕事が嫌いで他の人にやってもらうタイプだったので、そういうのの軌道修正というのは、自分の親に真面目に働く気持ちを持つべきだとか、指図ばっかりしていないで自分がやっていくそれが仕事だとか、自分の親に対して本当に厳しい話である。そういう基本的な仕事観の問題から消して行かないと、地道な繊維の仕事を続けてゆくことは本当に難しい話。指揮しているものがずぼらだと危機感すらもなくどんどんと傾くのも当たり前。いつでも、ゼロとかマイナスからでもやって成り立たせてゆく意志と行動力、そして答えとなるものを生み出して成り立たせてゆく、それ以外のフロック的なことで成功をしたとしても、毎年そんなうまく行くことはないのである。前の世代が次の世代を立てているような家や産地は機屋も世代交代もスムーズでうまく行っているように思う。

織機の問題一つをとっても、ちゃんと正しい原因を見つけて解決してゆかないとならないのだけども、それを短時間で辿り着けるかどうかで来まる。いくら時間があっても原因が分からず解決できないなら次からその仕事は受けることが出来なくなるし、その織機もその時点で問題が残ったまま、織物のプロとしては仕事する力がないという結論になる。織物をつくるときにはいくつものチェックポイントを自分は儲けて誰に言われなくても確認してやってるから成り立っているけど、普通はそういうのを心掛けている人というのはおらず、やった仕事にしても再現すら難しいのが普通。

糸のコンディションの違いを感じたり、その感じた違いに応じてテンションを適切に調整したりすると解決につながるけども、大体の人というのは同じ問題で何度も引っかかって織れないから抜け出せないことが多い。真面目に8時間働くとかそういうのがそもそも難しいとなってくると、そもそもそういう問題の解決すらも無理で織機が新しい時はとりあえず怪しい部品を交換してなんとかなったりするけども、交換する部品なども限られてくると部品のわずかな問題や違いに応じて調整を掛けるとかが大事になってくる。、

織物は企画したらすごいみたいな感覚だともう無理で、最後量産が安定してできる所まで、技術だけでなく織機を扱う人の仕事に対する姿勢までも正しく持って行かないと、他を超えたようなものはできにくく、自分自身が落とし穴があるのに気が付いて落とし穴に落ちないように組み立ててゆかないといけない。頭で理解している技術よりも、地道に計算したり地道に作業したりの部分が大事で仕事に取り組む素直さみたいなものが一番大事だろうと思う。機械というのは正直だったりするもので、問題があるときに機械よりも作業している人の問題であることが多かったりする。

そういうのを指摘したときに素直に対応してよりよい方法を採用できると仕事の問題も減って仕事としても成り立ちやすいのだけど、中だけの世界で生きている人というのは指摘されて素直に改めるではなく、逆に気分悪く邪魔してつぶしにくることが多いから、仕事の本質を分かっている人でないと仕事を正しくこなしてゆくのは難しいだろうなあと思う。外の世界で、いろんな環境の中で新しいことをいろいろと毎回正しくこなして行く経験を持っておくことは大事だろうと思う。


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