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リネンや麻を織る日々をつづっています。

リネン日記

何もやらないでゼロより

2022年08月08日

何もやらないで0よりも、何かやって終わってマイナスの方が結局意味があったりもする、と思うことは多い。何かやって終わってマイナスでも他の部分でプラスを作って成り立たせてゆけばよいみたいな考え方でいつもやっている。普通に仕事をこなす部分でプラスをつくって余力を作って、普通の仕事で生まれたその余力の分を普通の仕事とは違う部分に使うというやり方が一番理想だと考えている。

何かやるにしても、基本的な部分でプラスのことを軸にしていないと、夢を見ているようなことばかりに時間を使って考えていてもなかなか到達もしないし現実的でもないけども、新事業みたいな計画とかはそういうところを評価するようなところがあるので、それならそれでそれを一本に早めに実現してみる形をとるというのが良いだろうと思う。結果が悪かったら軌道修正してとりあえず目標に向かうとか。

林与の普段のものづくりもそんな感じで、お客さんの生地の企画をするときにも綿密な織物の機の規格なんてものを一生懸命議論しても仕方ない、織ってみて生機見てその生機がどんな感じなのかで判断するとかしないと、あと加工したり簡易的な洗いのテストをしたりとどんどんと現実に近づけてゆく。一つのアプローチだけでなく、いろんなアプローチを知っていることが大事で、それぞれの違いやどういう組み合わせがベストなのかを見つけ出すことが他と違うものづくりにつながったりもする。


林与の場合、やわらかリネンストールなんかでも市場最初に自社企画で作ったものなんか今も手元に残っているけどもそれが一番くらいに良い感じだったりもする。それも自分自身が家のなかで薬剤などを研究し洗いを掛けただけもものなのだけども、自分的には素敵に見えたりする。そういう生機を加工工場さんにお願いして量産向けに似たような仕上がりになる加工をお願いすると、そっくりとは違ってもそれなりに量産に向いたいい感じのテイストで上がってくればそれは一つの方法。

林与自身が柔らかリネンストールに没頭して、それまではリネンストールというと硬かったのだけども、柔らかいリネンストールを細番手リネンを使って生み出したパイオニアではあって、それが展示会を通じて全世界に広まったというような経緯もあったりする。ストールブームのピーク時には、ほとんどのリネンストールが柔らかいリネンストールの流れになった。

リネンハニカムなども今は普通になったけども、林与がPRに取り組んだプロジェクトの一つで、4枚ドビーでのリネンハニカムに取り組んで、PTJでPRすると、すごく簡単にリネンハニカムブームが生まれた。最後サンプル用にに取っておいた2mも、私の友達が欲しいと言われて譲ったが、その時は次に1年もあれば量産できるだろうと思っていたけども、なかなか作る時間を作るのが難しく、もう10年くらい経ってしまっている。海外輸出もできたリネンハニカムで思い出は多い。

またリネンの藍染プロジェクトも、それまではリネンというのは色落ちも激しいので藍染は案外避けられていたりもして、くすんだ藍染などが多かったのだけども、紺久さんとの取り組みで、リネンの140番手アイリッシュリネン本藍染ストールをお披露目した。それというのは奇跡的な一品で今もう私の手元には1枚もない。これはサンプルだから売れないといったのだけど展示会で海外のデザイナーの方が自分用に売ってほしいと懇願くださって、この人に使ってもらうのが良いのかもと思ってお譲りした。まだ再現できる自身の有った頃で、今はそういう夢的なリネンプロジェクトにしても、それよりも今の林与のお客様の仕事を優先して地道に作業していくのが大事。

林与の中でとりわけリクエストの多い十文字絣にしても、設備はあっても私にしか織れないような織物で、それも糸も完璧ですべてが整っていないと、ああいう芸術的な麻織物の世界というのは作り出せない。最後に織った100mほどでも、キズが多かったので、キズの箇所を減らすために私が数百倍の顕微鏡画面を見ながら、縫って5か所6か所を1週間ほど掛けて修正したりもした。将来日本であのクラスの麻織物が作れるのかと言おうと難しいだろうなあと思う。

リネンデニムなんかも、海外への輸出実績も頂いて、中国の第一回目の国際テキスタイルコンテストで総合の第3位を受賞出来て、リネンデニムもそれまでは難しいと言われていたものを量産に成功したのが林与で、世界中に広めた。尖閣諸島の問題の有った2週間後ことで、受賞したタイミングとしてはあまりよくなかったのだけども、授賞式も楽しみに出席して中国的な壮大な国家事業的なテキスタイルの式典を経験できた。

昔の林与の近江上布柄をプリントで再現する、林与ジャパンプロジェクトみたいのもやってみた、最初20柄は凄くうまく行ったのだけども、そのあとデータ作成する人が変わったりプリント工場の社長が亡くなられたりと、次の20柄は最初の20柄とは雰囲気が変わってしまって断念、仕事というのは人というのが大事でやっぱりいろいろとあるなあと実感である。

アイリッシュリネンハンカチプロジェクトも壮大なプロジェクトではあった、謎だったアイリッシュリネン紡績が来たアイル乱でにまだ存在するのかという問題の答えを出したプロジェクトで、倉庫で見つけた1970年代に購入したアイリッシュリネンの糸を織ってみたプロジェクト。

そこそこ良い感じの個性のあるものを作っただけでは、不発に終わることも多いのだろうけども、応援くださる方もたくさんいてくださって、つくればメディアに取り上げていただいてそれが日本の麻業界のトレンドの一つとなったり話題になったりで、応援くださる方に恵まれていたなあと感じることも多い。最近は、自分自身よりも次の人に譲って同じような経験を若いうちにしてもらいたいという気持ちではいたりするが、世の中にないような麻織物の一つのジャンルを作ったりするとかは、日々の仕事以上に超えた力が必要だったりもするので、普段の仕事の作業に意味を感じてできる人でないと、新しいジャンルの世界をクリエーションしたとしてもそれは普段の仕事の作業以上に何倍も重い仕事で、それを普通の仕事としてするのが高度なレベルの仕事をやってるということだろう。

林与の今のリネン織物の場合、定番のソフト仕上げシリーズを除いては、どれもが普通よりも少し以上は高度な仕事。定番のソフト仕上げシリーズも生成となるとシャトルで織るので色ムラの問題をなるべく出さないために高度な仕事の要素もあったりしてそういうの普通にできないと定番のソフト仕上げシリーズですらも織れない。そういうのが林与の織る人によって同じ織物で答えが違ってくるようなあたりのモノづくり。


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