for English speakers: Welcome to HayashiyoWelcome to Hayashiyo
リネンや麻を織る日々をつづっています。

リネン日記

母親も

2023年07月07日

先代を持ち上げていた母親もようやく今まで自分がやってこなかったという状況が分かり始めたようで、80過ぎて気の毒だけども、実際に初めて位に仕事をしてみて仕事の普通の厳しさみたいのを知る話。仕事というのは外の世界とのつながりなのだけども、内輪のなかで偉そうにしていてもそれはまったく成り立たない世間知らずで本当に無意味な話。

母親には寝る時間やテレビを見る時間、自由に動き回れる時間をあげたけども、それが普通になってしまって自分が自分で食べていくというのが理解できずに、なんで私が働かないといけないのよ、若いころに働かされたわよ、というような、今の若い人の働く覚悟もない、自分のメンツが勝ってしまって、自分がすべきことをやらずに、自分が下と思っているものに当たり前にそれがあなたの仕事でしょうというような、いわば、日本の階級社会の末期状態。

自分が働く覚悟もない人というのは本当に厄介で他の人を仕切ろうとするからややこしくなる、それが林与の先代夫婦。6億もの借金を自分が信用あると自慢して、お前には無理だとか言っていても、でも、実際に返すのは次の世代。くしくも先代は先々代から借金してまで仕事するなと言われていたのがあって、私が3歳くらいで亡くなっているので記憶はあまりないが、おじいさんというのはしっかりとした人だったなあと思える。過疎化や少子化なんて当たり前で、年寄り連中が好き放題に。実は林与というのは、親に育ててもらったというよりは、本当に正しいことは旧の愛知川町の剣道の先生方に教え育ててもらって、先代なんかは、一番に小学生からやり直さないと駄目のも当たり前。日本の繊維業界の落ちるに落ちるを見る話で、それで成り立っているのが今なお令和の日本経済だったりもする。

何も残していらないから借金を片付けて綺麗にしておいてほしいというのに、驕りすぎてお前は将来ワシに感謝すると田舎の旦那さんというのが、私が高校生17歳の時の真面目な話の結論。そういう先代に頼ってしまっていては結局何倍もの問題を解決するのが私が働き始めた時からの仕事。でも、先代夫婦というのは今時の感覚で、こかしてなんぼの世界、そして先代と懇意にしていた金融機関もそれが理想だと思っているから、何億円もの問題が次の世代にのしかかってくる。

カネや数字に浮かれた人たちが、人々が守ろうとする物事の大切さや気持ちも見失って、綺麗ごとで利用して責任感もなく食い物にするのは解せないところ。先代はあまりにも人が良すぎて、田舎の世間知らずの旦那さんそのもの。その世間知らずの旦那が、人間関係に奢って、他の人に頼り始めた時に、それは相手の苦しみも理解せずにやったら駄目だと警告を鳴らすのが私で、人々が働くをあまりにいい加減に考えすぎているのが覚悟すらもないというか、覚悟すらもない人が集まりすぎて覚悟している人を食いつぶすようなのが当り前な今のながれ。誰が面倒を見るんですかという話で、自分が面倒も見ようともしない人たちが偉そうに面倒見ろとか、それは野麦脳外の世界に通じる話で、日本の階級社会の闇そのもの。生きてゆくのも難しい困った貧農を救うのが国からすると一番駄目なようなように持って行く、3年で家が建てられるとかのチャンスが日本苧行政的な階級社会では一番駄目なことになる。

江戸時代の身分制顔がそのままなのが今の日本の法の下の平等で、法律で江戸時代の身分制度や階級社会を守っているだけのことで、それが、本当に残念、そのもの。自分が支える覚悟のあるものが日本の繊維業界を支えてゆかないと思うだけで、その気持ちを増やして行かないと、日本の繊維業界もどんどんと楽にうすっぺらく、ラベル商売が横行して、逆に実際に作業する気持ちすらも食いつぶして行く、それがこの15年くらいの流れ。

専門家の人が林与にアウトソーシングしなさいとか、損得じゃない日本の産業としての問題で、それは、日本の大手企業すらもが海外のお客さんになるだけの話で、自分たちが働くことすらも面倒になって、そういう考えに陥ると成り立たないようになるだけのこと。大きな企業に憧れが無くて、一般的には特に大きな企業の中の人には魅力をあまり感じない。大きな会社の中でも、私と同じように仕事している人がいたりもして、そういう人はなんでも自分でやっていて解決方法も持っていたりする。実質的な仕事のところがあって本当の仕事力みたいなものを持っておられ、その会社では一番年配の開発者の方らしいのだけども大企業を支えられているなあと思えた。

補助金の審査会でも審査委員のいわれることがずごく浅すぎてそれが一番駄目だったりとかも多く、わたしは、現実も分かっておられずに「そうですか」というだけ。別の審査会では審査員の方が事業計画でなぜ販売をしないのですかという質問をされたりもして、補助金の事業期間中は販売してはならないルールがあることが私の返答だったりとか。自分が開発した商品などにしてもなぜか販売は他の人に任せなさい見たいなことを言われたりするけども、それももちろん今までの仕事で経験はもっているけども、繊維業界全般で販売が難しくなっているから、作っているもの自身が販売を手掛けていくという必要性が出てきているのである。

一流企業で働いてとか公務員になるも難しい人たちが田舎の繊維企業に集まったときに、そういう人たちの生活をどうやって支えてゆくのか。できなくても精一杯やってみるというところから始めないと。何億問題を当たり前に背負いながら、まだ、働いている人を先代のように大事にしなさいよみたいな感覚では、今の時代の普通に働くも難しい話で、そこまで要求されるのが駄目な田舎社会。持ち出してその人々の人生が支えられているのがわからないと年配者や経験者がどこまでも覚悟すらもなく支えている喪に要求では難しい。みんなが頼っていた先代や、ちゃんとしているという母親に、1日のアルバイトの覚悟もなく、次の世代に面倒見てもらうのを求めてしまっている日本社会と被って、残念に思うところ。

田舎の商売感覚ではどうしようもないところがあって、外の人たちというのはピュアな気持ちで応援もしてくださる方が多く、普通に一生懸命にやっていれば評価してもらえるというまともさがあって、そういうのは一般の最終消費者のお客さんが評価される気持ちみたいなところからきている部分もあるのだろう。一般の消費者というのはSDGs的なものごとやエシカル、エコを大事に思ってくださる方が多く温かいなあと思う。そういう気持ちに応えられるような感覚で仕事はしたいし、意味のあることを続けていることがやっぱり大事じゃないのかなあと思える。儲けるとか儲かるとかに支配されてしまうと、大事な物事を見失ってしまって、毎回毎回の判断が誤りの積み重ねになってしまうだろう。それだけは避けないと一生懸命にやっている意味すらもなくなってしまう。


ホーム | ショッピングカート 特定商取引法表示 | ご利用案内