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リネンや麻を織る日々をつづっています。

リネン日記

入道雲

2023年09月16日

昨日、久しぶりに立派な入道雲が鈴鹿山脈から湧き上がっているのが見えた。ほんと9月なのに。9月といえば子供のころはそれには至るところに赤とんぼ、今は、一匹も飛んでいない。水中の虫なども全部死んじゃったんだろうなあと思える。昆虫系に良く効く農薬が多用されていてアウトなんだろうなあ。

蒸し暑くても、雨が降らないから、蒸し暑いまま。9月の半ばの夜なのに30度近いとか、今年も暖冬予想で、もしかすると今までで一番の暖冬ということになる可能性も高い。工場でもまだ夜でも暑いくらいで、細い切れやすい麻を織るためには雪に閉ざされたような環境がベストなのに、暖冬化は、湖東産地でも麻を織ることが難しくなってきた理由の一つだろう。

もう一つの問題は原料の問題で、リネンの原料のフラックスはヨーロッパの涼しい気候が必要と言われているのだけども、温暖化で原料の発育環境すらもが昔とは異なって来ていて、ナチュラル感はあっても、昔の糸に感じられるような均一性的な良質感を求めることは難しくなってきた。ラミーの世界がまだ、糸の均一性が保たれているが、昔はリネンもラミーに近いような糸の均一性があった。

地元の染工場さんが忙しくされていてコロナが明けて景気回復で忙しくされている部分もあるだろうが、他の産地の染工場が廃業されたそうで、その仕事が回って来て忙しいのだと言われてて、業界全体としてはコロナが明けて逆に廃業という流れもあるよう。また、別の工場さんがいっておられたことに、昔のようには、同じ量の仕事があっても昔のようには回せないというようなことをいってられた。一人で二人分三人分も仕事を回せるような人が少なくなったということだろう。

飲食関係だと、盛り付けなんかでもすべてがまったく同じ必要もなく、目玉焼きにしても、目玉の位置が完全に真ん中である必要もないし、コーヒーの量が多少多くても少なくても問題ないが、繊維業界というのはそれ以上に厳しい基準で指摘が入ったりする。高い品質というのは外に求めるのではなく自分の中で生み出していくような努力も必要だろうなあと思うし、そういう努力があると他では使えないような特別な素材が活用出来たりもする。

今、SDGsの流れでアパレルロスがいわれるけども、アパレルというのは、1反50mに5か所以上のキズでB反として使えないとかいうのが普通でやってきた。そういう業界が使える部分をうまく使ってのものづくりに変われるのかどうかが、SDGs的にみても使えるものをうまく使う力がないという問題。今、SDGsがブームになって、残反を使うとかが良いことのような風潮になり始めるとアパレルも動き始めたけども、アパレルの人自体が布に価値を感じていなかったりして、キズのある布でも使えると使ってくれるのは腕のあるアトリエを運営されているような方とか、自分で裁断してが当り前みたいな方だとそういうのそんなに大きな問題でもない。



林与のアイリッシュリネンハンカチにしても正真正銘の50年以上前の昔の糸を使っていて、前回の整経には、半年以上の時間を使った。その意味は、1台の整経機は半年間、アイリッシュリネンの整経以外には使わなかったということ。そうでもしないと、そんな特別な糸を中途半端にノーチェックで整経してしまったら、糸のフシなどを取り除けなくもったいない話になるから。私が時間のあるときに整経しながら出来る限り節を取り除いて整経した。

出来上がった生地にしても、良い部分はアパレル用に、ハンカチとして糸フシなど気にしながら使える部分はハンカチサイズに裁断。残った生地も大事に残しておいて、少し小さめのハンカチに再度検品しながら裁断して林与の友人の娘さんの結婚式の引き出物に使っていただいた。アイリッシュリネンの歴史的は有名だけどもその歴史の語り部のような糸が今も林与には1トンくらいは残っていたりする。2000年くらいにはもう幻といわれたアイリッシュリネンが、林与にはまだ使える糸の状態で残っていたりして、それを形にする力も残っている。

あと、昭和の中頃に時代にもう手に入らないと言われた苧麻の手績みの糸も、1トンくらいは使える状態で残っていたりして、戦前に績まれた糸で、対戦中に麻が禁止になったときに林与が糸商からまとめて引き受けて、それを昭和27年に糊付けしたものだろうと思っている。きぬあさと呼ばれる近江上布の世界を当時の与一爺さんが残そうとして買ったんだろう。当時でももう途絶えかけていた手績みの糸の世界、今はまた、組合さんなどで手績みの糸を績んで着尺をおることが復活してる。商業や工業的に残していくというのは手間の掛かりすぎる世界なので難しい話なのかもしれない。

戦後の近江上布の世界も林与は一番くらいにやってたのだが、琵琶湖をもつ滋賀県ということで、昭和40年代に粉せっけん運動が盛んになり、今の染色工場の染料の使用と比べても染料の使用は何千分の1とか本当に小規模だったのに捺染が規制されて、そこで捺染をやめたすなわち林与が近江上布の生産をやめたということがある。林与も豊国村の2代目の村長だった家なので、近江上布の生産が主産業だった豊国村という村として残っていたら話はべつだっただろう。寝装関係の麻産業が主体だった愛知川町に吸収合併する方向に同意したのもヨジヨモン爺さんだったけども、合併後は町の行政の指導で、国内でも超一級とされた林与の近江上布ですらも単なる工業生産品として扱われ規制され断念せざるおえなかったといういきさつがある。行政の家だったので行政に後ろめたいことはするなというヨジヨモン爺さんがそういう自分で自決するような覚悟が林与の家訓的な部分としてはあったりもして、行政をつかさどるなら物事を分かってやってもらわないと、いい加減に偉そうにするだけだと、やっているものごとの価値の深さもわからずに日本や世界に誇るべき大事なものを失うだけのこと。

琵琶湖の水を守るというが、それは京都や大阪の飲み水のため。一方で京都で染が盛んで今も染工業が普通に営めるのもあるいみ都会的な普通に気にせず処理もせずに垂れ流しが可能だからというだけの理由。都会の下水環境との兼ね合いで、京都だといくらでも可能なことが、京都を守るために滋賀県が配慮して規制され、地場産業も難しいというパラドックスがあったりもする。

今の原発問題と同じで、いくら薄めたとしても、環境というレベルになると全体的な染料や薬剤の使用量が結局はポイントで、それは薄くて基準をクリアしても着実に環境に影響を与えてゆく。薄めて処理すればだいじょうぶとういう感覚をなくさないと駄目なのだけども、薄めて基準クリアで何が悪いんだという世界が蔓延ってるから地球環境が当たり前に破壊されてしまう。トンボが消えるのもそのあたりだけどそういう積み重ねがトンボを消して行く。

大量生産大量消費に傾倒して、自然環境だけでなく、地球環境、階級社会的な奴隷制度の助長は、すごく日本の政治にみられるような特徴で、産業界がそれに従ってしまうと、今まで日本人が守ってきた人間の価値観が失われる。自己犠牲を強いながら、自分たちは自己犠牲を食い物にするような日本社会にありがちな階級的な考え方。本当の平等意識もなく、法の下の平等とかいう人たち、奴隷制度も法なら平等で江戸時代の武士気取りが多いのが日本の政治の特徴だとは思う。江戸時代的な正論の身分社会、階級社会が当り前の悪質な現代政治では駄目だろう。宗教と政治が一番くらいに金儲け主義的で人々の生きてゆく苦しみも分からずやぱいというのも日本の特徴。もちろん、本来の政治や宗教の気持ちを持っておられる方もいて話するとすぐに本物か偽物か分かるけども、偽者を排除することが本当に難しいのが法律。

なんちゃらコットン協会の理事長を10年やってられた方と電話で話したときにもうほんと、この人が諸悪の根源みたいな人で、地道に仕事している人間からしたらアウトそのもの。エシカルなことが面倒だとか、国際会議でなまった英語効いてると眠いんですよとか、理事長やめたくても他に人がいないからやってるだけなんですとか、それが日本で一番大きかったオーガニックを謳う世界の裏側。自分が責任もって成り立たせる覚悟もなく、無責任にやってだけの話には疲れる。そこまでいい加減なことばかり言ってるなら、いわないほうがましだし、いないほうがマシだよというのが林与。セミナーをありがたく聞いてるばかりじゃなく、本気なら他にそういうの感じて、当たり前のこという人いてほしいと思う。でも、この人はある意味正直だともおもう、聞いてびっくりするような、自分たちが謳ってることすべてが面倒みたいな話を正直に私に言われるから。そういひとが日本のエシカルのトップだったというのもすごく日本の繊維業界が問題だと思える話で、オーガニックの世界がブラックボックスで本当か嘘なのかも分からないのを作り上げる原因になってしまっている。ほんと普通の天然繊維業界のまともな感覚もない人が素人の業者さんたちを集めてみたいな広がり方。他にだれもやってくれる人がいないからやってるだけなんですよ、とかいわれて気持ち悪すぎた。それならやめといたら似非的な害も広がらないやん。


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