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リネンや麻を織る日々をつづっています。

リネン日記

指が腫れて

2024年03月15日

この1週間ほどシャトル織機を織りすぎて、頻繁にシャトルの管を交換したものだから、指に負荷が掛かりすぎて指先が腫れてしまってパンパンに。シャトルの先って尖っていて、その部分を指で押してシャトルを反対側に飛ばすことがあるので、それを一日に何百回もやると特に両手の人指し指の第一関節のお腹の辺りが痛み、それが他の指の先にまで広がっているような感じで、指先にテープでも撒いて作業をするべきか迷う。指で作業ができないほどになってしまったので、手を休める。

糸を巻いてくれるおじいさんが1年前の年末位にもう仕事を辞めると引退宣言をされていたのだけども、数週間前にすごく電話をくださって、仕事したいのだけど、仕事がないかと電話くださって、たまたま30kgほどの案件があったので、その糸を早速巻いてもらった。80半ばを過ぎられて体を動かす仕事というのはなかなか大変だろうと思うけども、ずーっと体を動かしてきておられた方なので、病院に通いながらでも、体を動かしている方が気が楽だといっておられた。すごく、元気でおられるのでうれしい。お爺さんが引退されるときには、林与がたぶんおじいさんの機械を片付けるのを手伝う話にはなっているけど、できる限り、林与の仕事でなくてもよいので、現役で続けてもらいたいと思う。でも、あまり負荷が掛かると駄目だろうから細い麻糸などは、林与が会社で巻こうと思う。

仕事って、単に作業というだけでなく、人と人とのつながりを生むきっかけになる。麻織物の仕事というのは、仕事としてはかなり負荷レベルは高いだろうと思う。一日中立ち仕事で動いて、出来る限りキズができないように織らないといけないので、動力で動く織機ながらも、経糸切れ、横糸切れで織機が止まったときに目合わせみたいな、ギアを戻して糸をきれいに片付けて再開する作業があるのだけども、それが一般的にはシャトル織機の難しいところだといわれるあたりで、シャトルを使いこなすには10年掛かるとか昔いわれたところ。

林与の場合は、シャトル織機は、1週間もあれば織れるようになるのが普通だと考えているので、最初の日から、シャトル織機を動かしてみるように教えたりすることが多い。そのときに、シャトルを一度も挟むことなく使いこなせるくらいだと、向いている。思い切った覚悟みたいなものが、シャトルの運転を再開する時には必要で、ハンドルを手で押し込む作業の思い切りと、押し込んだ後に手を放すタイミングというのが大事で、それを呑み込める人と、呑み込めない人との差は大きい。織機ごとにその加減というのは異なって、織機ごとの癖を知る必要もある。

今織っているキッチンクロスなどは普通に織ると失敗やキズでのロスが大きすぎるので林与的な工夫で織っているとかだけども、それは、織るというのが単純作業で亡くなるので、普通だと面倒だろう。今織っている生成の横糸なども、シュワイターで管に巻いて使うときに、巻いた管に白い帯などを見つけたら使わないようにして、少しでもキズのロスを減らしているが、そういう作業だけども糸の無駄もでる。何も考えないで織るだけなら簡単な仕事なのだけども、最後、結果がなるべく良いように織ろうとすると、結果を出せる人しか織物の仕事は向かないだろうと思う。

繊細な麻糸を織るときには、織るだけが大事ではなくて、整経の作業や、どこまで正確に繋ぐかなども大事で、経糸が何本か切れた時の糸のさばき方が上手ではないと、糸が交差してしまったり、斜めに走ってしまったりする。同じ織物でも織ることができる人とできない人の差というのがあって、織れば織るほど織機の調子が上がって行く人と、織れば織るほど問題が広がっていく人とあって、織れば織るほど調子が上がって行く人というのは、織機の調整だけではなくて、自分自身が作業する時に注意しないといけないことを守ってるということがすごく大事で、我流が入ってしまっている人というのは、高度な織物にたどり着くことは難しい。高度な織物といっても普通にみえる平の麻織物とかなので、それほど高度ともいえないだろうけども、普通の白い麻の平織が、色が黒になうだけで、織物を織ることは何倍も難しくなる。

頭を働かせるのが面倒なタイプの人だと、毎回毎回頭を働かせないといけないというか、適切な判断が必要で、適切な処理が必要な織物というのは苦痛だろうと思う。シャトル織機でのギンガムとかは、ドビーを戻す必要があって、ドビーを2本分戻すのか4本分戻すのか、基本の作業は教えられるけど、基本を理解した上で応用して、正しいギンガムを再現できる人でないと、いくら仕事を頑張っていますと言っても結果が正しくないと駄目みたいな厳しさがある。そういうのからしてOKな人と、論外の人あるだろう。

ドビー織機の機能をフルに使うと多色で綾織などの多彩なものに広がるけども、そういう構造まで現場の人がたどり着けるかどうかというのは、たどり着けない場合が多い。色が4色とかなったときに、どこにどの色を指してよいのか分からない人というのは多くて、何十年も織っている人たちでもそれが普通だったりする。林与は、昔のコンピュータというのは織機で、織りあがった織物が計算の答えみたいな感覚があって、そういうのは誰に教えてもらうこともなく、子供の時からのプログラミングしてたのが生きていて、どういう織物を織りあげるにはどういろいろなことをせっていすればよいのか、また作業すればよいのかというのは、誰に教えてもらう必要のなく、その場で答え普通にあるから織物の技術的な話とかは教えてもらう必要はほとんどなかった。仕事するには向いている素養はあったと思う。あと、子供のころから美術とか図工は得意だった、本当の才能じゃないけど、一般的にいい感じというものを生み出すのは得意で、それも、仕事するには自分を消して多様な相手と対応する向いていただろう。あと人生観みたいなものも、林与のもっている普通じゃない人生観みたいなものは、いろんな方と混じったときでも特別に思ってもらえ、それがものづくりにも生きてはいる。

仕事していて教えてもらことがあまりなく、他の人が作業しているのを見ているだけでなく一緒にやって次からは自分がやるみたいな感じで、自分がやるときにはいろんなやり方の中で一番良い方法でそれをできないかと考える。自分で何十年の経験者の人よりもすべてのことに通じていたりすると、それは良いことばかりでなく、何十年の人たちの仕事に駄目出ししないといけないので嫌われることも多いが、仕事なんだから低いレベルで止まっていても仕方ない。テキスタイルデザイナーの人の話をその場で理解して実際の織物にする側なので、机上の空論的な部分に気が付かないといけないし、規格の問題なども、事前に想定をできないといけない立場。テキスタイルデザイナーの方たちの仕事をサポートするような要素も仕事の一部で、そういうのは過去に実際自分が作業してきた経験と、織物を作り出してきた中で自分が体験した問題などの経験が生きてくる。

今も、指が腫れてみたいな経験をしているけども、今は指が腫れて困っているけども後で仕事の笑い話になる。昔、イタリアの展示会に行く前の日も、展示会のことよりも展示会に行く間に他の人がする仕事の準備が必要で、織機の調整などして織機の上から下に下りた時に右足を愚ねって、たぶん骨折した感。かまぼこ板を足の裏に当ててガムテープでぐるぐる巻きにして、イタリアに行った。他の人の仕事の準備をしてあげないと、自分で仕事の準備ができる人というのも稀なことで、そういうのは一つの仕事でもどこまで分かってやっているかの話につながるのだけども、自分でやっている仕事の全体にたどり着こうとする人とそうでない人との差は大きくて、林与は、仕事始めた最初の日から全部の工程のすべてを理解し、できるようになるつもりでやっていたので、そういう積み重ねというのは大事だろうと思う。

普通じゃないとことんな感覚みたいなものが大事だろうと思う。何人分もの作業を兼ねて一人でやるとかが普通になると、見えてくるものも多いし、できることもさらに増えてくるし、一番は、する仕事がないなんてことはなくなり、自分でいつでも仕事を生み出して行ける。基本は、お客さんの仕事を優先に仕事をして、余力ができたときに、時間の余裕ができたときに、自分のやりたかったようなことを試行錯誤してみるというような感じで、そういうのが新しいものを作るのにつながるし、お客さんの仕事一つ一つの中にも高度な作業が含まれているので、それを実際に量産するというのは、自分のやりたいことをうんぬんよりも、仕事レベルとしては高いレベルではないかと思う。試作するのは簡単でも本生産となるといろいろと問題がみえてくることは多く、そういうのを乗り越えるのが本当の力みたいなところで、リネンストールや、リネンキッチンクロス、リネンハンカチも特色のあるものが多く、林与なりの織物へのこだわりみたいなものがあったりもする。

林与自身が自分で、作業をするとかコツやノウハウを持つことで、他で出来ない生地が生まれてくるというのが、自分自身との戦いの問題であったりして、そういう自分自身との戦いの中で林与のモノづくりが生まれ、それが産地のものづくりにつながり、日本のものづくりの特色につながるみたいな、林与でなくても他の誰でも頑張ってやってられる人がいればそれはその方が日本の麻のパイオニアーであって良いと思う。林与はたまたまそういう家に生まれただけで、恵まれている部分もあると思われるだろうけども、楽をしているというよりは、すごいマイナスを背負ってても、とことんやれば成り立つんじゃないかと思って、偶然の奇跡的なことにも恵まれて今まで続けられてきたと思う。それなりに精一杯やって、それが続くなら続けていけるだろうし、それが無理ならば無理だろうし、お金の損得じゃなく、できることをできるだけ精一杯やっているということは大事だろうと思う。大きくぶれないためにも、また、いろんな可能性を見出す努力にもなる。他の人がやらないことをやれるきっかけにもなる。

スマートな生き方は、苦手で、好きじゃ無かったりする。人々の苦しみとかにも目を向けてそういうのをなくすというよりは評価したいと思う。苦労することを無くす考えだと結局働かず楽して儲けたいみたいな釋種思想につながってしまうから、頑張っている人が報われるようなのが林与なりの理想的な考え。成金とか権威主義的な考え方というのは好きじゃなく、高級素材を生み出しながらも、自分自身の地道な努力の積み重ねで価値のある布を作りたいなあと考えている。展示会などでも、人が詳細を語らなくても布自身がお客さんに語るような布を作りたいなあと思う。


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