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リネンや麻を織る日々をつづっています。

リネン日記

いろんなこと

2024年04月21日

物事を深く経験しておくことは仕事では大事だなあと思う。広幅絣プロジェクトをやったときに、東京に行って二宮先生に3時間ほど型紙捺染の基本と材料などの具体的な購入場所や商品名などを教えていただいた。そこからはすぐに自分で実践で、自分で広幅絣用の機材を作ったりして、時間のできた年末から正月に掛けて本格的に捺染に入った。

染料の特性なども失敗するうちにいろいろと分かり始め、林与の昭和の27年から38年頃までの近江上布アーカイブの10点ほどを再現した。型紙を自分で掘るところから始めてみて見えてきたこともあったり。横糸の種を作ることも試行錯誤。横糸をシャトルの管に巻き返すのも一苦労。織るのもシャトル織機を使ったので1回のミスも許されない。シャトル織機で1本1本織るというのは本当に難しいなあと実感して、これなら広幅で手織りしたほうが楽だと悟った。

シャトル織機を使う利点は、精密なギアで経糸を送ることができることで、ストールなどガーゼのものはピッチが狂うことなく織ることができる。着物の織物というのは基本、和織機で力強く打ち込むことが大事で、目が詰まっている織物が昔の良い織物の定義の一つで、ち密なものを織ろうとすると細い糸が必要で、ゆえに細番手の織物ほど高価であるという公式があった。

絣の着物というのは一生ものなので、昭和の林与の近江上布の捺染も今の染以上にしっかりとしていて、アーカイブは、去年作ったものかと思うくらいに70年ほどまえのものでも、色も生地もしっかりとしている。麻布の一張羅そのものの感じで、林与の近江上布のアーカイブは海外の展示会でも目からうろこのようにデザイナーの方たちが驚かれる。再現できればなあとおもって、再現してみたのが林与の広幅絣プロジェクト。

林与自身繊維業界にいるのもそういう星の下に生まれたからというだけで、損得ではない感覚が強すぎて、でもそれが世界中の方とのつながりが生まれたりするきっかけになっている。今の林与の力じゃないけども、与一爺さんのころのものづくりの力が世界ではありえないようなものとして注目され期待されているのがわかる。

東円堂という村は林与の親戚の塊みたいなもので、他の田舎の農村の集落も同じようなものだっただろう。それぞれの集落で母屋があって、明治の四民制度の崩壊で、農家が織物産業を日本の最先端の産業として働くということで最高の物をつくり、田舎でも中学校卒業でも大卒以上の工賃を手にすることができ、日本でもそれなりに一番くらいに恵まれていたような村だけど、そういう意味が分かっていないと仕事もおろそかになりがちで、先代がいつ口にしていたのは食べさせてたる、そういう先代の驕りが働く人の驕りにつながってそういうのを背負うのは誰もいなくて次の世代が解決で、林与が林与を背負う覚悟。

できない分からないしらないとかは仕事するには厳しすぎるのだけども、他のそういう人たちが頼っている先代でもおなじようなところがあって、戦争に行った勘一じいさんは伝統工芸士でも生きてゆくありがたさとかを分かっておられ、組織というものも分かっておられ、清水のお婆さんも同じで、先代の甘さをわかっておられ、与一爺さんの世界最高に迫るような麻織物の世界、それがあるから、地場のモノづくりの意味もあるのではないかと思う。世界最高の物を作る気持ちもなく打算的だと、先進国での最高級が難しい。

林与が中国の世界インターナショナルテキスタイルコンテストで世界の何千社が集まるテキスタイル点で海外企業としては一番の第三位を得たのを分かってもらいたい。世界が求めているのもそういうもづくりで、日本国内も打算が勝ちすぎて謳いだけが多くてその裏も知ってる林与だからいえることで、勝美社騙しビジネスというのは一番駄目なラベルビジネス。ラベルじゃなくて実際にやってる人を支えましょうよ。何も繊維のことを知らないラベルの人たちが実際にやってる人を下に見てラベルだけで定義づけて上から目線で奴隷みたいな感覚は、日本の今の繊維業界の日本の背負う覚悟もなく、仕切って食いつぶして金儲けしたいという気持ちの悪さ。ほんとやめてほしいわ、一番駄目、日本のありがちなラベルビジネス社会。


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