リネン日記
調整
2025年07月03日
和装用の小幅織物の案件で、他の機屋さんが織っておられて高齢になられて、細い麻糸は難しいということで、お話をいただくも、林与もキャパがないので、年内はもちろん。半年から1年くらいは絶対に取り掛かることができないという状況。新規のお仕事のお客さんは基本今はお受けできない状況。
仕事があっても仕事を成り立たせていくということの難しさみたいな部分があって、やってられた機屋さんとお話をさせていただいても、同じような話で、今まで続けていたことでも年々、糸は弱くなっていくし、価格も上がってゆくし、また、織りあがったものの問題などの対応も大変になって行くというあたりの話をされている。
小幅織機を専用にして織られていたものを林与の織機で織るにしても、糸番手や密度に応じて、開口の高さや広さや、打ち出すタイミングや打ち出す強さなどを最適化しないとならないし、小幅織物というのは、着物向けないので10m以上、無傷が基本。糸自体が汚れていたり節があったり、糸切れ一つで10mの反物がB品、C品となる可能性も高く、織だけでなく、糊付けや加工などでも問題が起こることがある。
産地でおられてきた麻織物なので、この産地で麻織物を織るということには特別の意味があると林与自身も感じてはいる。麻の産地の麻織物みたいなのに意味を感じてくださるお客様も多いし、バルク生産の麻織物の話をするときでも一定以上の水準からの話になり、麻織物であれば、どんな糸でもよいとか糊付けでもよいとか染色でもよいとか加工でもよいとかじゃない。裏付けされた経験と実績で産地の麻織物というだけでなく日本の麻織物の水準的なものを形成していると思う。
大阪とか東京にいくと、海外の麻生地が手ごろに普通に流れていてそれが商業的な普通の繊維業界のバルクで動く話。繊維の業界というのも昔から品質偽装と産地偽装というのが、一番くらいに行われてきた業界で、江戸時代に近江商人が行商で近江の麻生地を自分の足で全国津々浦々に運んで、それを売って得たお金で全国津々浦々の特産品を買って滋賀県に戻る前に京の都で現金化してまた次の麻織物をつくる人々を支える形となった。
今回のご縁にしても、地元のある方が後ろで動いてできなくなる話を続けようとされるのを、できるんじゃないのかと織て買い手作りても含む3社とかが、関わっていない林与に託してくださっての案件なので、何十年も地道に続けてやってこられたことを終わらせることなく引き継げたらなあと思う思いはある。
織ってやってこられた方が、お客さんに迷惑になるといけないのでまえまえから将来的にはできなくなるからということをお客さんにも伝えられてできる所までやってこられたというのがそれがほんとすごいことで、そういうのを担うというのは、当たり前に京都の和装業界で通用する一級品の麻布を担った時点から作らないといけないということで、林与も若いころから小幅織物もつくってきた経験はあるし、それでも厳しいなあと思いながら和装の業界は和装の方に任せておいた方が、そういう業界も守られて存続しやすいのではないかと考えて、自社で小幅織物を林与自身が販売するために織ることはあるけども、頼まれて5年ごとくらいごとに受けてやってきた程度。
ひと世代後の林与というのは産地でも若手の一人、55歳で若手なのだから、でも、一回の仕事の重荷というのは今の若い人だと背負うことは何十万円も失敗したら相手にご迷惑かけたり、自分が仕事して背負わないといけない話で、もう一回何十万も使って形にできるかどうかわからないとやらないのにやらないといけない。そういうの若い人ができるだろうか、林与は若い時からそういうのが当たり前であったからできたけども、他の人のために布をつくるために時間とお金を使ってリスクを背負えるような人って少ないだろうと思うし、そういうのを知識も経験も実績もなくても受けて、結果を出せるというのが、経験と実績を積み、知識も経験のなかから育まれてゆく、順番が違う、やり方を教えて教え方が分かりにくいとか、説明がどうとかからはじまる現場だと、高度なものづくりなんて無理で、自分がやってこられた方に敬意を払って教えてもらえるか確認して教えてもらえるなら感謝しないといけない。教えてもらえなければ自分が試行錯誤して最善を積み重ねて、お客さんの求めるものに近づけないといけないし、和装ものも最後は化粧して販売されるのが普通なので文庫に綺麗に収まって、実績を積まれて来たものと同等のものでないと、駄目だろうと思うし、そういうのが高品質を維持して産地のものづくりを続けていくということにもつながる。そういうのかんがえなければ我流で、これしかできませんみたいな、素人に近い、今までやってこられたものとはまったくちがう世界になってしまう。
匙加減、味加減というのはつくる林与ができたりはするけども、小幅織機で織ってこられたものを広幅織機で幅を狭く織るというのは林与的には実績もあるけども、小幅織機の3倍のスピードでシャトルが動かないといけないという問題が付きまとう。そういうのも分かる人にはわかる話だと思うし、林与も50年前の小幅織機を10台以上寝かせてはあるので、そういうのを立ち上げるも、できないことはないけども、なんせ、そういうのをできるのも林与が動けるかどうかの話につながる。そして結果が出せないとぜんぶ背負う話で、他の人に任せるというのも難しい話。
こういうの背負うというのが仕事をこなしていくという当たり前の話だろうけども、そういうの背負ってやっていける人というのがいるのかどうか、最初から本番の一級品をつくるのが当り前の今の日本の繊維業界のレベルの高さ。趣味とか好き嫌いとか、気分とかのもんだいじゃなくて、責任感持って業務をこなして結果を出せるかどうかという仕事の感覚。時間から時間の仕事感覚じゃなくて、結果が出せるかどうかで出せなければマイナスという仕事としての現実的な話というのは、今の時代の繊維業界に関わりたい人が受け入れることはまったく難しいと思うし、関わらないほうが良いだろうと思う。今までやってこられた方々の仕事意識の高さというのは、今の日本の仕事感覚ではまったく理解もできないだろうけども、そういうのが日本の繊維業界が世界でも一番すごいみたいなのとつながっていて、今はそういう日本の凄いのイメージを取りたい人は多くても、自分自身が働いて生み出して行かないとなると難しいだろうと思う。
仕事があっても仕事を成り立たせていくということの難しさみたいな部分があって、やってられた機屋さんとお話をさせていただいても、同じような話で、今まで続けていたことでも年々、糸は弱くなっていくし、価格も上がってゆくし、また、織りあがったものの問題などの対応も大変になって行くというあたりの話をされている。
小幅織機を専用にして織られていたものを林与の織機で織るにしても、糸番手や密度に応じて、開口の高さや広さや、打ち出すタイミングや打ち出す強さなどを最適化しないとならないし、小幅織物というのは、着物向けないので10m以上、無傷が基本。糸自体が汚れていたり節があったり、糸切れ一つで10mの反物がB品、C品となる可能性も高く、織だけでなく、糊付けや加工などでも問題が起こることがある。
産地でおられてきた麻織物なので、この産地で麻織物を織るということには特別の意味があると林与自身も感じてはいる。麻の産地の麻織物みたいなのに意味を感じてくださるお客様も多いし、バルク生産の麻織物の話をするときでも一定以上の水準からの話になり、麻織物であれば、どんな糸でもよいとか糊付けでもよいとか染色でもよいとか加工でもよいとかじゃない。裏付けされた経験と実績で産地の麻織物というだけでなく日本の麻織物の水準的なものを形成していると思う。
大阪とか東京にいくと、海外の麻生地が手ごろに普通に流れていてそれが商業的な普通の繊維業界のバルクで動く話。繊維の業界というのも昔から品質偽装と産地偽装というのが、一番くらいに行われてきた業界で、江戸時代に近江商人が行商で近江の麻生地を自分の足で全国津々浦々に運んで、それを売って得たお金で全国津々浦々の特産品を買って滋賀県に戻る前に京の都で現金化してまた次の麻織物をつくる人々を支える形となった。
今回のご縁にしても、地元のある方が後ろで動いてできなくなる話を続けようとされるのを、できるんじゃないのかと織て買い手作りても含む3社とかが、関わっていない林与に託してくださっての案件なので、何十年も地道に続けてやってこられたことを終わらせることなく引き継げたらなあと思う思いはある。
織ってやってこられた方が、お客さんに迷惑になるといけないのでまえまえから将来的にはできなくなるからということをお客さんにも伝えられてできる所までやってこられたというのがそれがほんとすごいことで、そういうのを担うというのは、当たり前に京都の和装業界で通用する一級品の麻布を担った時点から作らないといけないということで、林与も若いころから小幅織物もつくってきた経験はあるし、それでも厳しいなあと思いながら和装の業界は和装の方に任せておいた方が、そういう業界も守られて存続しやすいのではないかと考えて、自社で小幅織物を林与自身が販売するために織ることはあるけども、頼まれて5年ごとくらいごとに受けてやってきた程度。
ひと世代後の林与というのは産地でも若手の一人、55歳で若手なのだから、でも、一回の仕事の重荷というのは今の若い人だと背負うことは何十万円も失敗したら相手にご迷惑かけたり、自分が仕事して背負わないといけない話で、もう一回何十万も使って形にできるかどうかわからないとやらないのにやらないといけない。そういうの若い人ができるだろうか、林与は若い時からそういうのが当たり前であったからできたけども、他の人のために布をつくるために時間とお金を使ってリスクを背負えるような人って少ないだろうと思うし、そういうのを知識も経験も実績もなくても受けて、結果を出せるというのが、経験と実績を積み、知識も経験のなかから育まれてゆく、順番が違う、やり方を教えて教え方が分かりにくいとか、説明がどうとかからはじまる現場だと、高度なものづくりなんて無理で、自分がやってこられた方に敬意を払って教えてもらえるか確認して教えてもらえるなら感謝しないといけない。教えてもらえなければ自分が試行錯誤して最善を積み重ねて、お客さんの求めるものに近づけないといけないし、和装ものも最後は化粧して販売されるのが普通なので文庫に綺麗に収まって、実績を積まれて来たものと同等のものでないと、駄目だろうと思うし、そういうのが高品質を維持して産地のものづくりを続けていくということにもつながる。そういうのかんがえなければ我流で、これしかできませんみたいな、素人に近い、今までやってこられたものとはまったくちがう世界になってしまう。
匙加減、味加減というのはつくる林与ができたりはするけども、小幅織機で織ってこられたものを広幅織機で幅を狭く織るというのは林与的には実績もあるけども、小幅織機の3倍のスピードでシャトルが動かないといけないという問題が付きまとう。そういうのも分かる人にはわかる話だと思うし、林与も50年前の小幅織機を10台以上寝かせてはあるので、そういうのを立ち上げるも、できないことはないけども、なんせ、そういうのをできるのも林与が動けるかどうかの話につながる。そして結果が出せないとぜんぶ背負う話で、他の人に任せるというのも難しい話。
こういうの背負うというのが仕事をこなしていくという当たり前の話だろうけども、そういうの背負ってやっていける人というのがいるのかどうか、最初から本番の一級品をつくるのが当り前の今の日本の繊維業界のレベルの高さ。趣味とか好き嫌いとか、気分とかのもんだいじゃなくて、責任感持って業務をこなして結果を出せるかどうかという仕事の感覚。時間から時間の仕事感覚じゃなくて、結果が出せるかどうかで出せなければマイナスという仕事としての現実的な話というのは、今の時代の繊維業界に関わりたい人が受け入れることはまったく難しいと思うし、関わらないほうが良いだろうと思う。今までやってこられた方々の仕事意識の高さというのは、今の日本の仕事感覚ではまったく理解もできないだろうけども、そういうのが日本の繊維業界が世界でも一番すごいみたいなのとつながっていて、今はそういう日本の凄いのイメージを取りたい人は多くても、自分自身が働いて生み出して行かないとなると難しいだろうと思う。