for English speakers: Welcome to HayashiyoWelcome to Hayashiyo
リネンや麻を織る日々をつづっています。

リネン日記

繊維業界における三方善

2012年11月29日

もともと、繊維の商いというものが日本では花形産業だっただけに近江商人の取扱商品の代表的なものなのですが、その繊維業界で三方善を考えるときに、売り場の価格が下がって小ロット化で製造コストが上がってみたいな状況で、間に挟まれた作り手というものは三方善を守れるのかというところに行き着いてしまいます。

昔を考えてみても、近江地方だけが麻織物を生産していたというわけでは有りませんでした。特に近江産の商品というのは高品位なものであったので他との値段の違いはあったものと思いますが、近江商人が遠くまで運んで語りながら売ることでその価値というものは確りと保たれていたものだといえます。

また、近江商人がもてはやされたのは、産地物を正しく持ち運んだということです。産地偽装や品質偽装なんかが多かったのは、文献などを読んでいると昔も同じで、安く買って高く売るという大きな利ざやを稼ぐことが商人の哲学とされていた時代に、近江商人の場合には薄利で動いて、良いものを流せたということが近江商人の特色的なところで、それが三方善に繋がったといえます。

糸から績んで、手で織って、脚で運んだ時代というのは、布を扱った近江商人自身も、自分の脚で運ぶということを考えれば、安いものよりも高いものを選ぶのが自然のことではなかったかと思います。売れて代金を手にしたからといって喜んでいられる時代でもありませんでした。いたるところで戦があり、山賊などに常に狙われているもので、命すらのリスクを背負っての行商で、そういう究極に追い込まれた状況を積み重ねるなかで、三方善の精神がうまれてきたのではないかと思うのです。

昔というのは力が支配をしている時代で、戦で勝てば自分のものになる時代です。世の中すべてが、富をえれば命を狙われるような時代ですので、山賊なんかも当たり前ですが、山賊の被害にあっても自分自身が山賊に成り下がらないことが大事で、その部分などは郷土への思いや信仰の精神も一部寄与していたものと思います。

さて現代、今の時代の原発問題なんかみとると人生観そのものすらも浅いですね。せめて本社が原子力発電所内にあって保安院もそこに入っているとよいんじゃあないかと思うのです。温度差が三方善を損ない歪な構造を作り出します。国による放射能汚染の隠匿の背景のもと原子力発電推進派の政治家が自分の立場で動いて放射能汚染地域の食材が学校給食で推進されてしまったりと、事後の対応も重大なメルトダウンや放射能漏れの情報を東電や国が隠匿してしまったことで被害は広まりました。政治家という素人の浅はかな失敗と考えなければ、学校の生徒という弱者を使った放射能汚染が大丈夫かをみるやってはならない人体実験レベルの話です。

基準数値を20倍ゆるくして安全だとごまかすというのもいかがなものか?本当に安全なら20倍ゆるい数値が恒常化していないといけない。いざというときに本当にどうしようもない対応、このような安全管理では原発爆発する危険は高いでしょう。船長が一番最初に逃げ出しているような運営ではどうしようもないのです。原子力発電がエコだという欺瞞に踊っていた国家だけでなく、世界も含め、素人未満のちょうちん持ち専門家、なんとかしてほしいなあと思います。


ホーム | ショッピングカート 特定商取引法表示 | ご利用案内