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リネンや麻を織る日々をつづっています。

リネン日記

単能工、多能工、万能工

2013年07月28日

インドに行ったときに、現場の洋服縫製のラインが15人ほどの生産ラインで、一人一人が、一つのミシン工程に携わる年配を含む男性の縫製工たちがいます。この現場というのは、量産型の基本で、インドも中国も同じで、インドなので男の人がメインなのかと思ったのです。

でも、大きな勘違いは、一人ひとりが一着の洋服を仕上げることができる人たちが単能工に変換させられたこと。本来は洋服の一着くらい仕上げられなければ一人前として食べていけないのですが、インドでも量産型の海外の生産を引き受けたときに、単能工化してしまったのです。インドの服飾文化が消え始めるのを感じます。

単能工化した人たちが元の世界に戻れるかというと、単純作業に慣れてしまった人が、複雑な仕事に戻るということは精神的に無理な話。ほんともったいない。普通だと一着自分で縫製できる技術を学ぶのが職人として大事なことなのにと思う。インドに頑固者がいて、洋服を作り続けたとしてもひと世代のことで、その次の世代というのは、インドは世界中の縫製の拠点となるものの、自分ひとりで洋服を作り上げることができるものはほとんどいない世代となります。

インドの服飾文化そのものが、ひと世代のうちに消え去っていくだろうか。ありうることです。日本でも戦後の世代というのは単能工がほとんど、何十年もの職人の人が仕事がないというのも、単能工であり、他の人が準備をしないと、自分では仕事を進めることが出来ないのです。戦後、産地が繁栄した形が量産型で、今の衰退した産地が、歯車が歯抜け状態のものづくり。単能工を捜したところで成り立つはずもなく、多能工というよりも、何でもできる万能工でなければ、織物なんて続けていくことは難しいのです。

誰かが教えてくれるを期待していても駄目で、目の前にできる仕事があることそれがすべてのチャンスだろうといえます。そういうチャンスを逃げたりすると、次にチャンスをもらえるほど甘くはないもの。これは仕事を頼むときも同じでやろうと思ったときに思い切って前に進めないと、次に思い切って進められるかというと、進められないタイプで仕事人生を終わるということ。


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