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リネンや麻を織る日々をつづっています。

リネン日記

違い

2013年12月14日

機械でも手でもできる作業というものがあるのですが、それを機械でやっても手でやっても結果としてのものには極端に大きな違いはないのです。たとえば、経糸繋ぎの作業。私の場合は本数が多ければ機械でやろうと思うでしょうし、本数が少なければ手ですることを考えます。その両方ができるのは、自分自身が両方の能力をもっているからで、機械でやると機械を使う能力が必要ですし、手で繋ぐと手で繋ぐ能力が必要です。

一般的に、手で繋ぐ作業というのは誰がやっても出来るようになるものなのですが、タイイングマシンで繋ぐ作業というのは、作業のやり方を知っているだけでは駄目でより作業の正確さを求められるもので、機械でやるほうが技術が必要というケースです。

シャトルで織る、レピアで織る、という選択にしても、風合いや用途に応じて微妙な違いはあるものの、その両方の作業ができるのとできないのとでは選択の幅というものに違いがあります。何十年も昔の人が使ってきた織機を現代人が使えないというのも面白いところで、誰でも使える織機の出現によって技術が落ちるという典型だろうと思います。

糸なんかにしても、糸商さん経由で買うのと自分で買うのとでは、作業が異なるもので、糸商さんから買うと便利ですが、情報などが曖昧だと逆に問題も多いときもあります。自分で買う分には問題が起きても自分での責任で自分で解決に動けますが、糸商さん経由だと問題が起きたときは、糸商さんが糸の問題に対しての責任を取れる能力というものが必要です。

モノを売るのも同じこと、自分で売るか誰かに売ってもらうのか。同じものが売れとして結果は同じでも途中は大きく違うものです。両方の選択ができるように能力をもっていることが大事だろうと思うのです。モノを買うときにも売るときにも、自分が一番か買いたいものを簡単に買える力が一番大事、一番売りたいものを簡単に売る力が一番大事。一生懸命モノづくりしてオンリーワンなものを作ったとしても流れていかないものだろうというの感じます。

地場産業ですでに確立された世界というのは、どんどんと似たものが増えてきて、成り立たなくなるのを承知で、そこの部分は顔として守っていくためにも新しいことができないと難しいなあと思うのです。新しいことをするためには、手に抱えている仕事以外の部分で仕事して生み出していくという気持ちが現場にもないと難しいだろうなあと思えます。伝統産業の流れを汲む繊維のような業界においては普通以上に仕事するというのが出来ているところだけが結局は残っていける職人の道なのだろうと思えます。


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