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リネンや麻を織る日々をつづっています。

リネン日記

判定

2014年05月13日

今日は午後大阪、プリント終わった生地をとりに行き持ち帰る。作業を詰めてもらって、なんとか夜の段取りに間に合う。PTJを目標にアイテムつくりをしているので、PTJにお越し下さる方にはご覧いただける予定です。

今は日本ブームだといわれています。悲しいことではありますが日本を襲った東日本大震災が世界が日本に再び関心を寄せるきっかけになりました。そのこともあって日本のオリンピックも開催が決まり、より関心が高まるものと思います。

私は小さな頃から剣道をしていました。実際の練習なども相手に合わせて譲ることも大事というスポーツです。もともとは大陸から渡ってきたテコンドウから来ていると考えるのが正しいようですが、目の前のものは敵で手段を選ばず負かすべき相手という形から、日本人の文化や歴史とともに変わり、精神育成のための礼儀を重んじるスポーツとしての剣道という形に至っています。

私の地元でも、剣道の愛好家が練習を始めたところから始まって、大人が子供にスポーツを教える精神というのもお金のためではないので、どんなに厳しくてもそこは意味のあるところだろうと思うのです。私も商売として仕事をしていますが、普通以上に全力で何事にも取り組めるのはそういう剣道を学んだことから来ている気もします。

私は、オリンピックに剣道をとは思いません。オリンピックは商業的すぎて、今はオリンピックというのは金儲けの道具でしかないのかなあと思います。メダル、メダルで、勝つことだけに意義を感じるというのも、本当に日本らしいのかと思うところ。

一例で、オリンピックの柔道で審判が間違えて日本選手の有効を相手選手の有効とつけてしまいました。日本ならそんな審判のミスは少ないと思いますが、それが国際的なオリンピックの水準だろうと思います。審判だって選手とどうように緊張しているもので、ミスはあって当然で、ミスジャッジも受け入れる覚悟で試合に臨まなければと思います。

日本チームが審判の判定に抗議したところまでは、問題のない行為だと思いますが、審判も意図的でなく勘違いをしたのです。その場で終わらずにグダグダと審判の判定ミスだというのを引っ張るのは逆に失格だと思ったりします。判定ミスも意図的でなければ、180度反対の結果になってしまうものの、仕方のないことだと思えるような清さも大事だろうと思うのです。

オリンピックのような場所よりも、少年スポーツの場でその清さを学ばせることが大事で、大人がオリンピックのような子供たちも見ている場所で少年たちにその醜態を見せてはなりません。スポーツだとミスジャッジはよくあることで、意図的なミスジャッジでなければ、それを審判に説明しても覆らないときにはどうしようもないので潔さが基本です。

子供のころ、剣道の団体戦で、相手チームの選手がこちらのチームの一本に拍手を送っていて、初めての経験で奇妙に思ったことがあったのですが、剣道を通じて敵か味方でしか判断できないというのが育っては駄目だろうということを考えると、相手の一本でも素直に上手だなあと思えれば拍手を送るのは自然なことだろうと思います。自分が相手に一本取られて審判が一本と認めないのを期待するより、一本とられたときに自分から参りましたくらいでよいじゃないですか。やっている人たちには外からみる以上に勝ち負け分かるものです。仕事なんかは審判がいないので、それの分かる人同士が仕事をしていないとドロドロの勝負になります。


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