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リネンや麻を織る日々をつづっています。

リネン日記

誕生日

2015年05月14日

例年は誕生日のこと気にしていられない状況が多いのだけど、今日は案外ゆったりとした気分で朝から、いろんな方からメッセージをいただいて返事もできた。

林与がなぜ普通の織物の会社と違って忙しいのかと考えると、仕事をご依頼いただくときに具体的な仕事が決まっているのではなく、林与の可能性を考えて仕事を依頼しようと思っていただくケースがあるからだろう。そういうのを断ると話は簡単なのだがそういうのをお受けすることが、ものづくりできる機屋の力ではないのかと思う。

が、できるできると思っていても、機から作って仕上げ加工まで施して、イメージと違ったりすることもある。そうすると振り出しに戻るということや、見本倒れしてしまうことを受け入れたり。でも、そうやってダメージというかリスクを受け入れるところに、ものづくりしている本質があろうかとも思える。

たとえば仕事なんかでも、働いている人にいうのが、人というのは完璧ではないし完璧を求めていては安全なことしかできないものだろう。新しいモノづくりに限らず、普通のものづくりでもリスクは伴う。私がやったら10回に9回はでき、1回は失敗することもあろうが、ほかの人がやったら10回に7回くらいの成功率だとすると、その差というのは大きい。

本生産なんかで、10回に1回の失敗なら、1回の失敗を挽回するのは3回、4回の正しい仕事を余分にすれば費用面なども挽回できることだろう。本生産で、10回に3回だとその失敗を挽回するのは難しい。分業の作業になって誰もが何をやっているのかわからなくなると、何が正しいのかさえわからずに仕事していることになる。そうなると失敗確立は非常に高くなるもので、途中でストップしてやり直すタイミングを逸してしまうことも多い。

現場の職人の目というか判断も大事で、自分が正しい仕事をしているからといって、最終に正しいものが出来なければ自分のやった仕事も失敗品を生み出しているだけで、仕事としては成り立たないということがわかっているとありがたいが、なかなか、その辺りすらもが通用しないのが今の日本で、そこまでのことになると複雑でありすぎるかのようなメカニズムにとられがち。これも、人の関係が希薄になっていることが原因であろうかとも思える。

日本のものづくりは和、すわなち、チームワークがあってこそ高品位なものが成り立ったのだろうと思える。設備依存の品質管理になったりしてくると原発じゃないけど問題が発生したときに、責任逃れに走り、正しいものをつくるというような基本的使命が失われることも多いものだ。機械が悪いということで結論付けてしまって、機械の悪いという予兆にも鈍感になり、同じように問題は頻発し続けるものだ。

機械をメンテするのは他人の仕事なのかといえば、機械をメンテして正しいものをつくるのが自分の仕事という風に捉えられる人というのは、仕事もステップアップしていけるが、その機械メンテや調整というのは実は人の面倒をみることであるなあと思えることも多い。

どこの機屋も大きくやろうとすれば同じ問題にぶつかっているだろうから、人の多い会社がうらやましいとは思えず、人の多い会社ほどできることが限られてくるだろう。人というのは機械と違って、本来、柔軟に対応できることで、機械の上に立てたり、上回れるとおもうのだが、柔軟に対応できないと人が原因で機械もうまく動かないというありがちな窮地に陥るものだろう。


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