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リネンや麻を織る日々をつづっています。

リネン日記

親類

2015年08月12日

親戚の方で印刷業界の方が久しぶりに会社に来てくださりお話。新聞に折込で、一ヶ月に一回、滋賀圏内の伝統産業系の企業紹介をしていて、林与も9月1日の企画でどうだろうかというお話。集落から引っ越されて久しぶりにお会いしたので懐かしい気分。先代かおばあさんの葬儀でお会いした以来くらいで、その方も私がどうしているのかというのもあまりご存知かなろうかと思えるし、私自身もその方がどうしておられるのかという辺りから。

その方もいっておられたが先代というのは、お客さんがお越し下さるとビールを出すというのがありがちな話。それで仕事も人付き合いも大体がうまくいっていた時代というのが過ぎてしまうと、商売としては通用しなくなるものだ。大手SPAのような動きが起こるのも当たり前で、すべてを越されていく、そういうのに早く気が付かないと傾く一方なのだが、悲しい話、先代がなくなるまでは変わることは少ない。

お前は信用がないから商売は無理だみたいなことばかり口走って、地場産業系にありがちな、誰もが見捨てていくだろう驕りだけが残る世界。朝からでもビールを差し出す度合いなども、アル中の典型ではあるが、そういうのをたしなめる人が回りにいなかったことも、先代の不幸だった。無くなる半年ほど前にある金融機関の新年の場で、地元の繊維関係の顔でもあった方に、お前は昔からどうしようもないアル中だったと、その人の本音をはじめて聞いて悔しそうにしていたのが思い出される。

そういう武器が通用しなくなった時代には、先代の力というのは消え果た感があり、何十年仕事していようが仕事一つがまともに出来ないジジくさいだけの世界。勢いのあるうちはよいが、落ちたときにはただのアル中。周りがそういう先代をよいしょしてきた一方で、戦い続けてきた自分であるから先代が亡くなった後でも仕事から逃げ出さない。先代が亡くなって初めて自分の場所がもてるというのも皮肉な話だが、自分の経験からすると地場産業や田舎商売というものに共通しがちな要素であろうと思えたりするのだ。

私自身が織機を動かすことを大事にするのも、そういう経験から。仕事の本質を失っては商売は語れないだろう。仕事の本質が何かというと、ほかの人がするのを嫌がることをするのが仕事で、だからお金がもらえる仕事になるというところ。その前に、お金を貰わなくても、ほかの人の嫌がることを進んでできる人というのは本当に強く、そういう人が仕事の素質があるのを感じ、仕事を生み出す、すなわち、お金を生み出す能力を持っているのだと思う。自分は才能があるとか特別な意識など持たないほうが目の前のものごとを正しく捕らえ形に出来ると思うのだ。国際的な競争も見えてくる。


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