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リネンや麻を織る日々をつづっています。

リネン日記

危険と立場

2015年12月20日

シャトル織機を動かすときにシャトル織機の正面は安全だけど、斜め前とか真横とかは、シャトルが飛び出す危険がある。特に麻糸の場合には縦糸が切れやすいので、周辺の縦糸を開きにくくするとシャトルがそこから飛び出すことがある。

シャトル織機を持っている私でも、周囲を取り囲まれて動かすときには、みられている緊張よりも、シャトルが飛び出して誰かが怪我をする可能性がコンマ1%でもあるかもしれないということに対する緊張が走る。シャトル織機というのは織り手と同じ立ち位置かその後ろでみるか遠くから眺めるに越したことはない。何の間違いがなくても、縦糸が変に切れて絡んでシャトルが飛び出す窓口となる可能性がある。もし、見学している人を怪我させその人の生涯に残るような問題となれば、私は会社をたたんで、織物から身を引く覚悟くらいはあって織機を運転に入れる。危険というのはみておられる人の人生も掛かっているけど私の人生も掛かっているくらいの感覚がなければ、みておられる人を守ることはできないだろう。

林与が工場の中で基本携帯を持たないのも、ストラップや紐の類が命取りになるのを知っているから。織機というのは前後運動だけでなく回転運動を含むために回転運動にたとえばエプロンの裾や髪の毛、首周りの紐関係などは巻き込まれることに特に注意。チーズワインダーやシュワイターでも切れやすい麻糸だから逆に安心だが、ナイロンとかの強い糸だと糸が強いので巻き込まれると指を落とす危険性すらあることはある。動いているシャトル織機の周りを子供がうろうろするようなときには周囲が注意を張り巡らすべきである。

現場でも織機を二人で使おうとするけどそれほど危ないことはない。ほかのひとの安全まで気にして織機を動かせる人がいるのかというと、いくら理論で危険だから駄目と注意していても、大きな事故を経験しないと初めてわかることはないものだろう。

私が確か中学生のときにあった出来事で、スポーツの試合が終わった後、琵琶湖を眺めていた少年たちが自動車事故に逢ったケース。帰るときに琵琶湖で釣りをしている人を眺めにいった好奇心の強い少年たちが、指導者の呼ぶ声に反応して、急いで戻ろうとして自動車に引かれて死亡事故。悪意がなくても偶然が重なれば、犠牲になった少年たちや家族、引率した指導者、轢いてしまった運転手、全員にとって思いもよらない惨事となる。指導者の方は責任逃れはしない、このような自分に責任のない問題であっても自分が監督する立場で事故が起こったことを悔やまれて指導を断念された。

指導者が経営者的な立場とすれば、少年たちは労働者で勝手な行動で、自動車というのは織機みたいなものだろうか。たらればの問題なのかもしれないが、もしもが起こると代償は大きすぎるので、もしもを少しでもなくすためにも基本や規律というものは、無責任な自由より大事なのであろうと思う。

私も危険に対しての指導をすることがあるけど、それをうるさがる人というのはまったく駄目で、その人がほかの人を害してしまうことがありうるだろう。そんなことが起こってからでは遅いのだ。一方で形だけの安全意識というのもあって、決められているからやっているだけみたいな訓練とか。

たとえば、ここからは極論が入るので注意ですが、人の命の絡む、原発が爆発した後、放射能漏れが隠されて、報道された画面では自衛隊員はけったいなマスクして完全防御の身構えなのに、ボランティアの消防団は放射能漏れも知らされずに消防柔道着で活動、そういうのが国が一番駄目なのだ。国が、国民の善意や命をゴミ程度にしか捉えていないという姿勢がすごく強く伝わってくる。チェルノブイリでも放射能漏れがすぐに報道されたが、福島の場合には放射能漏れが隠された。それが日本の原発行政のいざというときの悲しい姿勢なのである。また、原発がなくなると電気料金が上がるよなんて、人の命と損得を天秤に掛ける電話料金値上げのアナウンスのおばちゃんも立派なテロリストかと思うけど。テロリストに、お前は人の命よりも自分の損得のほうがやっぱり大事だよなあといわれているみたいなので気持ち悪すぎて反対なのだ。電気を使うということがテロに屈しているという情けない気持ちになるが、電気使うの気持ち悪いから織物も辞めるかという話になる。

原発ももう少しまともな人が運営したらと思うが国や政治家が絡んで利権が絡むとどうしようもない。福島の所長はたぶん、危険承知で外に出て動いて吸っちゃって体内被曝のケースだろう。あの所長でもがんばったほうだといわれているが、あの状況でのやりとり、まだ事務的で駄目な所長だと思える。自分の命を犠牲にしても足りないくらい、駄目なものを支えて来すぎたと思える。あの状況で何十万人の命の危険を救うためなら、本社のどうしようもない馬鹿と交渉していないで、バッテリーの費用くらい自分か社員で募って急いで買えよ。多くても数十万円だろう本社の許可ないからできないって人の命すらもがまったく軽すぎる。勝手にやったらそれを責められることもあるのだろうがあの状況では例外でしかないのもわからないものが所長をやってたら駄目だ。一番大事なことが何なのかすらが全員から欠如している。

リスクはリスクで開示してとおもうが、いざというときの放射能漏れすらもが隠されてしまったのだから、安全なんて、関わっている人間の保身の大事さにくらべれば、まったくのたわごとでしかない。東京に原発があったら東京は今、オリンピックなんて騒いでいられないだろうし、絶対に、再稼動禁止だったろうと思う。原発の是非の判断基準は、結局のところ、そのリスクが他人事かどうかというところじゃないのかというあたり。

こういう弊害がなぜ起こるかというと、良い大学出て良い待遇されている人ばかりだから、福島原発が爆発しても他人事そのものなのだと思うが、違うだろうか。良い待遇ならそれなりに厳しい立場におかれないとならないと思う。こういうの書いているとまだまだ若いなあといわれると思うが、こんなもんでいいと思える。


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