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リネンや麻を織る日々をつづっています。

リネン日記

仕事するかしないか

2017年10月11日

仕事があるのかないのかは自分が仕事するかしないかだけのことで、あったとしてもやらないと仕事をとることもできない状態になる。できない仕事よりもやらない仕事のほうが多いのが、日本の繊維の現場。旧の共産主義国の仕事しない現場のイメージに落ちながらも、日本だから高度なものづくりができないとという妄想から始まる勘違い。基本の仕事もできないというかやらないままに、意識高い系の先進国では旧来の産業というのはほかにあこがれ手も動かなくなり落ちてゆくことが多い。考え方次第では日本の繊維にもチャンスは多いのだけど、手も体も動かさないと目の前の簡単なことも進まず、食べてゆくことも難しいのが先進国というタイタニック。

日本人というのは目の前の損得にとらわれないみんなを幸せにするような深さがあって、それを実践して成功してきたのに、教育が普及すると逆に自分本位になって分かち合うという気持ちすらもなくなり、同じお金をもらうなら仕事すればそんみたいなタイプの人が多くなりすぎで、もうすでに仕事量を増やすでなく、仕事もない状況で、仕事しないで自分のペースで好きなことだけやって、難しいことは逃げながら養ってもらうタイプが増えすぎた。

今も選挙だけど、選挙の時にはよいことをならべて何でもやりますで、当選すると私利私欲にというか、選挙に出ること自体私利私欲で、仕事やらないタイプが増えすぎた。どの候補も働かずして選挙活動で大丈夫なのが不思議?その日暮らしのアルバイトの人のほうが選挙に出てる人たちよりも自分で働いているだけまともなのかもしれない。選挙にでている人も、就職活動みたいなもので学生と同じ。できますやりますで、何で解散なのという話。結局、選挙して選んで権限を与えてもやらないのだから何の意味もない。解散しても株式市場は好調で何の影響もないということは、存在そのものからして無意味で、選挙しても変わらないということ。法案なんて議論したところで運用しだいで180度方向は変わる。法律なんてあってもすべて力によるさじ加減で、力を持つものだけが排他てきに特権を享受し潤うような法治国家としても末期症状。

国難に陥るのも当たり前で、責任感のあるまともな人ほど抱え込むことが大きくなりすぎ、そろそろ歯止めが利かないと難しい。GDPの数値も2%だろうが5%だろうが、年金バブルに支えられた数値改善で、実質的な成長ではなくなってしまっている。何十兆も株式市場に資金を流しても2%程度の成長も難しいほどに、日本で物事を成り立たせるのは難しくなってきている。国会議員にならなくてもまじめに働いて生み出してしまった国難を身を入れ替えて支えてゆくことは簡単だろうが、国難は仕事もせずに身を入れ替えることもなく、だらしなく生み出されてゆき続けるのが問題。

自分が生み出さねば、朝三暮四か朝四暮三の選択しか、よくてもなかろう。


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