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リネンや麻を織る日々をつづっています。

リネン日記

繊維を取り出す

2017年11月07日

植物から繊維を取り出すよい方法は、茎を蒸すこと。だから茎蒸(カラムシ)といわれるのだといわれるが、そうやって取り出された繊維というのは、苧(オ)という名前で表現され績(う)まれる。績む作業というのは、昔から年寄りのおばあさんの仕事とされていたが、私の大ばあさんも、もう紡績の時代の人だったけども、10cmの糸でも足して使ってたのは、糸というものは績む作業から始まることをしっていたからだろう。

今もリネン紡績の現場にいったりすると、麻糸というのは草の茎なんだなあと思えたりするものである。形は変われど自然の草を身につけているだけのこと。今日も工場の中で、リネンの100番手の切れやすい織物を織りながら、カラムシの繊維を取り出す作業をしていると、どっちも雰囲気は同じなんだなと思える。リネンの100番手を織るのも、手績みの糸をつくるのもほとんど同じ感覚。

簡単な作業なんてないと思えるのが、作業というのは自分のペースと関係しているので、どの作業も簡単で終わらない。今手元のことをやりながら、あんなことをやってみたいなあとか、少しづつ準備を始める。仕事を自分で生み出して行くことが出来る人というのは、繊維の業界ではほとんど稀である。仕事というものは与えられたことをするのが当たり前の感覚があったりするのだろうけど。自分で仕事を生み出してゆく、生み出すだけでなく、成り立たせてゆくというのが私にとっては仕事。

私が自分自身を職人だとも思っていないし、職人っぽくないといわれるのも、新しいものを生み出しているからだろう。一般的には職人というと与えられたことを慣れでするのが職人らしい仕事。私自身が作業をしていると慣れはほとんどなくって、厳しい感覚で常に注意をしていることがほとんど。慣れというものは今の慣れていない人が携わることの多い繊維業界では、自分がいくら正しくてもほかから生まれてくる問題すらも解決していかないと難しい。

作業が機械化されてしまうと機械が悪いとか言う人が出てきたりするけども、それは本末転倒。機械なんていうのは自分が単に作業をしやすいようにするための道具で自分が使いこなさなければならないものだろう。鋏が切れないという人がいるけども、鋏なんて使いようで、切れる使い方をできるかできないかの部分も大きい。だれもが切れないという鋏でも私の場合、コツ次第で問題なく切れることがほとんどだったりする。職人が何十年使う鋏というのは、普通の人がつかうと、切れるようで切れないことがほとんど。職人にとって使うとき意外に切れる鋏は危ないのだ。使うときだけ切れる鋏が危なくもなく一番よい。


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