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リネンや麻を織る日々をつづっています。

リネン日記

職人と親方

2017年12月23日

職人というのは仕事しても食べていくのが難しい存在になってしまっていて、これは伝統工芸系の手織りでもそうだが動力織機でも同じこと。糸を巻いてくれるおじいさんは食べていけているのは職人というよりも親方だからだろ。生きるために仕事をする部分が強くその中で技術が磨かれていて、糸を巻くという単純な作業ながらも鉄板な感じ。

私も同じ作業を急いでいるときには林与の工場の中でやることもあるけども、おじいさんにやってもらうと生産性も品質も確実性も高い。頼れる存在なのである。割り切りももっておられて職人にありがちな驕りもなく、一生懸命にさせてもらいますという言葉を常にいわれる。外の世界をしっておられる親方だなあと思う。

中のものというのは仕事がいつもあるという錯覚があるので、仕事のありがたみなどもわからなくなることが多い。職人が食べていくのが難しいというのもそのあたりが関係していて、気を抜いてしまったら外にいる他の人に追い越されてしまっているのにも気がつかないことが多いものである。

経験をつんでも自分が他の人を養う親的な感覚になれず養われるのが当たり前の感覚だと外の世界も仕事も見えなくなるだろう。たとえでは、糸商さん、問屋さん、アパレルの会社におられた方が独立されるでも、独立したときに自分が会社にいたときと同じルールと感覚で仕事をされる方が多い。当たり前だがそうするとうまく行かないものである。何でその会社が小さくせざるおえなかったのかなども考えると自分ひとりで同じ感覚でやっても続くことは難しいだろう。

誰かが養ってくれるという職人的な錯覚が消えないと今の日本の繊維業界で残っていくのは難しいだろうなあと思う。私が知っている繊維業界の若い方々は、一人ですごく動かれている方が多いけども、自分ひとり食べていかれるのも精一杯なのだが、それをちゃんとやられていて若いときから親方感覚なのである。大変だろうなあと思うけど何でもできることはやってみるみたいなのがないと難しいだろう。みなさん自分の世界を作り上げて、すごく光っておられる。


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