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リネンや麻を織る日々をつづっています。

リネン日記

割り切り

2018年08月10日

私の中には割り切りみたいなものがあって、仕事とはどんな職業でも同じようなものだろうと。織物の仕事が日本に残るためには、しょうもない話だけどつくる人の価値観が変わらないと難しいと思う。儲からないからやめるとからなら早めにやめておいたほうがよいと思うし、自分がこれで成り立たせて行くという覚悟みたいなものがないと、成熟して下降期に入っている織物業界では機を動かして行くことは難しいだろう。最後正しい布をつくれて、売れてナンボの世界でしかなく、農家が自分で種を植えて育ててそれを売ってお金をもらうのと同じことというのが、織物の仕事の基本だと思う。

繊維の世界ではみんながやめて行くのは、国内の需要が海外でつくられた生地や繊維製品で補われてしまっているから。日本の需要の5%程度しか、国内の生地に対しての需要はない、かつては20社あったのが、1社になってしまうのが普通で、数社のこるとしたら、生産規模はそれぞれの会社が何分の1となるのが普通。需要がそれだけしかなくなってしまっているのだから。繊維の業界も何十年のプロばかりだろうけど、何十年の経験のあるものでも食べて行けない世界。同じ道を目指しても食べても無理で最低限同じ程度の力は備えてスタート地点に立って、新しいものづくりを考えて行くしかないのである。

伝統工芸士でも食べて行けないといわれるのも分かるし、食べて行けないといわれる職人ほどの力もなければ食べて行けない。先進国で繊維の世界にいるなら単能工的な職人を越えていないと食べて行くことも難しいだろうと思う。といっても、できる人の真似をしてできるようになるだけのことなのだが、それが先進国では職域みたいなものがあってなかなか難しい。インドなどではカースト制度のようなものがあって宗教的に職域が区切られているが、先進国でもなぜか似通ったところがあって職域にこだわる人が多い、行政の縦割りみたいな感覚だろうけど、そんなのは内だけの世界で外では通用しない。SPAのような別に考え方からすると特殊でもない形態が、日本国内の繊維業界のしがらみの壁を全部越え、新しい繊維業界を構築してしまう。

割り切って地道に目の前のことをやっていればそれほど悪くないのに、やっても無駄と何もしないでいては落ちて行くのも仕方が無いし救いようが無いのであると、自分に言い聞かせる。自分でいろいろやっていると他の人に見えないいろんなことが見えてくるし、情報なんかもいろいろと集まってくるものである。



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