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リネンや麻を織る日々をつづっています。

リネン日記

自動運転とか空飛ぶタクシーとか

2018年08月28日

交通事情というのはアメリカと日本では違うだろうし、事故に関する感覚も違う。自動運転で人が死んでもノープロブレムで、エアバックが破裂して人が死んだら大きな賠償問題というのもなあ。基準が、アメリカの自動車メーカーと日本の自動車メーカーでは立場が違うということ。軍事問題と似ている。

自動車運転免許の更新で、厳しくいろんなことを言っているのに、自動運転みたいなものが認められるとかは、矛盾した話である。米軍の駐在兵たちが、日本で交通事故や犯罪を起こしてもつかまらないのが当たり前みたいな感覚。愛媛丸の事故も、潜水艦でショーボートして、まだ、ぶつかったは仕方ないとしても救助もしなかったとか。

自動運転のビジネスの問題は、投資というより投機的な部分。儲かるという話で、お金を集めて破綻することすらありうるビジネスモデル。不老長寿の薬が無理なのと同じで交通事故を起こさない自動車というのは無理な話で、原発のように絶対に安全だからといっていても事故は起こるし、起きると分かったときに、保身が働き、人が死んでもやっぱり自動運転はやめておこうとは裁判で判決がでないかぎり出来ないだろう。

高齢者の安全運転の問題があるので自動運転がそれを解決するのかというと、自動運転は無防備で無責任な一番危ない状態を作り上げてしまう。自動運転がうまく働かないときに自分が問題を把握し運転できるのかというと普通の車より運転が難しいのである。人が運転するようにつくられた車と自動に運転する車では、問題が起こったときに、問題解決するのは自動運転車のほうが難しいのである。

携帯電話はペースメーカーに影響があるとか、飛行機の機器に影響があるとか、厳しく言っているのに、自動運転車の中では携帯電話のスイッチを切らなくてもよいとかも矛盾だらけ。無線で障害物を把握したりして飛びまくっているのに、利益の前には安全意識も働かない。自動ブレーキにしても試乗で販売員がぶつかりそうになってもブレーキを踏まないでといって、実際にぶつかって衝突事故とか。運転車の運転意識そのものを狂わせてしまう。

ETCにしてもノンストップがゆえに人が死んでいる。しかも、ありえないと思われるが仕事で業務に携わっているものが轢かれて死んでしまっているのだ。自動化すると人間の安全意識は確実に落ちる。失敗しても自分は悪くない機械が悪いという感覚まで起こる。人間の安全確認が無駄なことになってしまってどうするんだろう。飛び出す猫、人間の能力を超えて、それに急ブレーキを自動運転車が掛けて止まれても、追走している車があったら後ろからぶつかられることになる。猫を轢くことと後ろの車にぶつかられることとの判断のどちらを選ぶかの状況もあるだろう。人なら後ろに車が付いているの分かっていたなら猫なら急ブレーキをかけるより仕方なく猫を轢いてしまう判断となるだろうけど。考えすぎだといわれるかもしれないけど、こういうの当たり前にあることで、原発が爆発しても誰の手にも負えないのと同じこと。想定していなかったではお粗末過ぎる。


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