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リネンや麻を織る日々をつづっています。

リネン日記

負荷

2019年02月17日

学校で手織りを経験した人がなかなか工業生産に向かないのは分かる気がする。工業生産というのは均一性や再現性が大事であったりして、1点物をつくるのとは違うからつまらなさと難しさがある。プラス、負荷はサンプルなどの小ロット生産場合、手織りよりも高い。手織りなら1日あれば十分サンプルが出来上がったりするけども。同じものを工業生産しようとすると本数も多いので、1工程が手織りくらい時間掛かるし、基本、工業生産の場合、それ専門の方に任せるというのが普通のやり方になる。

林与のやり方は、その工業生産の工程すべてを一人ができるようになるやり方。産地でも森善さんは社長業や整経を含む工場内のすべての作業を一人でやられていて林与とものづくりが似ているなあと思っていたりしたが、あまりそういう工場は少ない。ほかに藤居織物さんも整経機ももっておられるので自分で整経しておられるだろう。自分で糸から織り上げまで、ひととおりできる人というのは産地でも数人いるかだろうし、他の産地でも少ないだろうとは思うが、丹後の組合さんの高齢の機屋さんたちはたぶん工場のなかのこと一人で全部できる方たちだろう。出会って作業の話すると仕事の範囲と力量というものはすぐに分かる。

染工場や加工工場まで一貫して生産している織物工場もあって、そういう工場だと林与以上に自由度は高いだろう。西脇だと東播さんとか、うらやましい限りであって全部自分でやりたいと思うばかりである。まあ、林与もインクジェットがほしいとか、電子ジャガードがほしいとか、ないものねだりしても仕方ないので、自分の持っている環境のなかでできることを最大限に生かせるように、守備範囲を広く、また深くこなしてみるのが一番現実的。会社には人が少ないのにミシンも何台かあるし、裁断もしようと思えば自分でやったり、できることは今のままでも十分に多いと思う。

現場の熟練の人などでも問題が起こって解決しても何が原因だったのか尋ねても隠したりする人も多い。そういう人からは早く離れたほうがよいだろう。社会性がなく、そういう人は人から情報を吸収することも少ないので、優越感に浸っておられても出来ないが多かったりする。仕事のことで問題に直面して原因を隠すとかはそれが本当の原因だったかとか、それを解決したときに他のところを触ってしまってほかの問題が起こってしまっていたりとかがありうることが多い。また、そういう人は本当にややっこしいのである。自分がいないと仕事ができないぞみたいな優越感に浸って実質仕事をする上でのボトルネックになってしまうタイプの人とはあまり関わらないほうが、仕事でその人が足を引っ張ったり、ボトルネックになる可能性を秘めているのでよいだろう。繊維業界の古いタイプの方というのはそういうので生きておられる方も多い。

別の話だが、昔、大手商社の海外支社の社長もされた方の話で、仕事を教えると仕事を取られるから絶対に部下に仕事を教えないというポリシーを持っておられる方があったが、典型的な大企業のサラリーマン社長で、すごくしょぼく感じた。一方で、そういう上司をもつ新任の部下は、自分が自分で仕事を生み出すという力を育むチャンスだったりする。なんでも聞いたら教えてもらえるとは思わないで自分で経験して答えを導き出すというのも大事だとは思う。分かっていて確認を求めるのは悪いことではないが、3度4度説明したことでも、自分が修得しないでその都度聞いてばかりいるタイプの人というのも成長がなく、いわれないととか準備してあげないと目の前のことを自分で進めようとしないとかも駄目で、聞いてどんどん前に仕事が進んでいくうちはいいが、聞くばかりで仕事を前に進めようとしないのは教えても意味がない。教える人は教えられる人以上に覚えてもらおうと必死だったりするもので、それが伝わらない相手とはものごとは難しいだろう。


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