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リネンや麻を織る日々をつづっています。

リネン日記

慣れ

2019年10月05日

農業や織物というのは慣れの世界だろうと思う。それほど大したことをやっている訳ではないけども、正確さが要求される力の入れ方一つにしても慣れている人というのはほんのわずかな力で済むし、慣れでほとんどの作業を考えもせずにやっているだけの部分がある。完璧にこなすことが大事で、完璧に100点でできずにやり直しとかだと、最初からやり直すとか、ほかの人がより難しいやり直し作業や片付け作業をこなす人が必要なことになる。

経営なんかもその感覚でやっていると、経験が長くなればなるほど力を抜いて経営することになって、うまくできているようにおもうけども、実際は軌道修正も難しくなって成り立たなくなった時には、経験は長いのに、ゼロからスタートみたいなことも難しい体質になってしまっている。

日本の繊維業界も中国などの織物を品質が低いと笑っていたことが多かったけど、日本が自分でものづくりしなくなって中国のお客さんとなってからは、新しいものも中国から出てくるし、日本の一流メーカーの工業製品が中国製が大半になってしまった。日本の一流メーカーもなくなっても実質はもう中国メーカーだったというあたり。最終製品自体は組み立て作業で、ようは、そのパーツの部分をどれだけ作れているかというところが大事なあたり。

最終製品を自分の名前でつくるばかりにあこがれてややこしい部分をほかの人に頼んでいるといつのまにか、その人はいなくてもほかの誰でもよい話で、メインはややこしい部分をやっている人なのである。タイタニック号も、石炭を24時間炊く仕事の人はちゃんと炊いていたのに、一番花形の航海士がミス。航海士も石炭を炊く仕事をローテでやってたら、そんなぬるさはなかったろうにと思う。石炭投入のおっさんのほうが重労働で大変な仕事。

今日は午後から明日の運動会のテント立て、20人ほど人が集まるので1時間ほどの作業でそれほど大変な作業でもない。人が多かったころの神社の祭りと同じく、田舎の農業の作業や織物の作業に近いだろう。こういうのが成り立つのもあと10年あるかないかだろう。

慣れで作業している人というのは、テレビを見ながらのながら作業みたいなもので、仕事だけど仕事に思えない程度の作業の繰り返し、そこで成長が止まって年を取るごとにスピードも遅くなってできなくなるが多い。慣れで行う作業で余力を生み出して機械化するとか高度なことに移っていかないと仕事としては成り立ちにくいのも当たり前の話である。機械化すると作業をもっとしなくなるので、機械化したときにより余力を高度なことに向けられるとよいのだろうがと思うが、それは、ほかの作業を並行してするとかでも十分だろうと思う。

機械化してしまうとどうしても気が抜けてしまうもので、そうなると通用しなくなった時にはもう人材面がどうしようもない状態であることも多い。経験者が、ゼロからの人にも負けてしまうのはそういうあたり。


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