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リネンや麻を織る日々をつづっています。

リネン日記

耐える局面

2020年03月05日

普通にある日常というのはそれが普通に見えるように作り上げられたものだったりする。トイレットペーパーなんかでも、普通にだれにでもいきわたるような企業の苦労みたいなものがあってどこでも買えるものだったというのに気が付くのである。トイレットペーパーなんかにしても、どの家も1年分くらい備蓄していれば焦ることもないんだろうけども、常にほしい時に買えるものだと思っているので使う分しか買わないものなのである。ある時には買わずに無いと欲しいという単純なことだけど、それを自分が用意するでなく誰かがそれを用意してくれているようなあたりに気が付いたりもする。

子供の頃に、寒かった冬を思いだす。窓の外は雪景色で、出居のなかで、暖といえば火鉢のぬくもり。時間が長く長く思えたのを思い出す。それが小学生のころにコタツになってありがたいなあと思ったものである。今はストーブやエアコン、コタツも家では使うことも少なくなった。人々の生活の向上とともに、電気消費やエネルギー消費は増えてしまい、今の地球温暖化問題的なことになってくる。火鉢のぬくもりが唯一の救いを経験したものだとそれも最悪ありかなあとおもったりもするけど、最初からエアコンが当たり前になっているとそういう想定というのはありえないものだったりするだろう。それでも、子供たちというのは冬の雪の道でも朝早くに歩いて登校して小学校1年の子供のほうが大人よりも過酷な毎日を送っていたりもする。

いろんなイベントが中止となり、人々の活動がなくなると物を販売する商売だと、お客さんの数が減れば生活を脅かす問題ではあるだろう。落ち着けば戻ってくるので目先にとらわれずにいることが大事じゃないのかとも思う。落ち着くまでは日常を捨てて我慢する局面ではないのかと思う。林与は工場の中にこもって仕事をするのであまり影響がないということ、その分、日ごろから日常がない厳しさにも直面している感はある。他の人の普通の生活を守ろうとすると誰かが普通を犠牲にして動いていないといけない部分もあるだろうとは思う。


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