for English speakers: Welcome to HayashiyoWelcome to Hayashiyo
リネンや麻を織る日々をつづっています。

リネン日記

高級な絹の世界

2020年10月10日

高級織物の代表の一つである丹後の絹織物の世界を見せていただいて、製造工程における織機に関する違いなど感じることができた。あと織機だけじゃなく、働いている方々の人生観の違いのようなところも感じた。それぞれが独自の環境の中で人生観で織物に向かい合っておられるんだなあと感じたのである、私自身の織物の価値観の位置づけみたいなものがそれなりに個じゃないといけないなあと思ったあたり。

絹織機の後ろが長いのは絹を織るのには適しているだろうと思う。シルク織物というのはフシなどの問題が麻と比べれば少ない分、逆にフシなどがあれば、それを織っているときに後ろで間引いてあげる必要がある。そのために絹織機は後ろが長いと聞いたことがある。また、今回丹後の整経機などをみせていただいて、ドラムの直径が大きいことが同じく気になった。どの織機の整経も機草をいれてビームに巻いておられるのも違いに思う一つ。この3つの私にとって違いに見える要素というのは、すべて共通の問題を解決するためにあると思えたりもした。現場で作業しておられる方が感じられない違いみたいなものがそういう織機の違いにもあって、絹の産地の高品質な絹の世界が守られている。高品質な絹織物を生む工程にたどり着いて今はそういうことを考える必要が少なくなって、現場の人もなんでだろうと思わないまま、それが普通のことになってしまっているのだろう。

西陣では西陣織物の生産が難しく、京丹後が西陣織物の本場であることなども、広い作業場を必要とする伝統的な織物のものづくりに理由があるだろう。市内の中心地で捺染をしておられた業者さんにしても、市内で続けることが難しく郊外に移られるなど、繊維業界の問題というよりも世の中の流れに繊維業界があおりを受けて追い出されてしまうということもあるんだろうなあと。一宮の有名な加工工場さんにしても、固定資産税の計算式が変わるだけで成り立たなくなるとか、外の世界が自分が構えないスタイルにどんどんと移行することで、人も、場所も構えている繊維業界が廃業に追い込まれていく問題。繊維業界の中の競争というよりも、繊維業界以外とスタイルの違いによる競争。

日本では労働集約型の製造業は難しいだろうという結論もあることにはあるが、人の考え方が異なれば、織物にしても誰でもつくれるということはないだろうと思う。技術はなんやかんや真似できたとしても、美観的な要素は人生観が表れるので、真似できない個の世界がある。また、金儲けでやってる人というのは続かないことが多いけど、損してでも続けている人というのは仕事に対する考え方からして違うし、その世界を自分がマイナスからでも作りあげる覚悟みたいなものがあって、そういうすべてを組み合わせれば、海外にはない日本の繊維の価値観や日本人の人生観らしい独自の価値観をもったモノづくりができて、つくるものも独創的なものだったりするだろう。


ホーム | ショッピングカート 特定商取引法表示 | ご利用案内