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リネンや麻を織る日々をつづっています。

リネン日記

機屋体験最終日

2020年11月06日

今日は、機屋体験の最終日、お越しいただく前の機結びから始まって、機替、整経、縦繋ぎ、パンチカード、シャトルでの織、修理など一通りを経験してもらう機会。ご自身の企画や規格が、どのような工程を経て織物に織りあがるのかを短期間で理解し習得して頂く。

織というのは、織機で織っているイメージが強いかと思われるのだけど、動力織機で織る部分は、それほど負荷のかからない仕事の部分。機替えや縦繋ぎとか、また、織り始めても、耳まできれいに織らないといけない布などは、いろんな場所の調整調整で、理想のきれいな耳に近づけてゆく。何メートルも織りなおしながら、やっときれいに織れ始めて生産が始まる。綺麗に織れているつもりでも、検反で耳切りしているとやはり、修理が必要だったりして、織りあがった40mほどの修理でも何時間もかかる作業。

それぞれの仕事を一つ一つしていては成り立たない織物の世界で、時間の中で、これもできるあれもできるでどんどんとこなして行かないとやっても成り立たない仕事になってしまう。問題があって他の人の仕事に文句言っていてばかりでも仕方なく、それをどう解決してゆくかが一番大事なところ。私が人を助けるのが仕事みたいなところがあって、現場の人の代わりに一番ややこしい部分や思いっきり力の必要な問題を解決するのが私の仕事だったりする。

今日は、他の場所で似たような話を聞いて、場をつくる親方クラスと職人の違いみたいなものを感じるのである。職人というのは上手な人もいれば下手な人もいるのが当り前で、それをどう解決してゆくかが親方的な仕事。私も、織っている人に織を任せていると、織ることもできないできそこないみたいな目で見られたことがありがちだけども、そういう人たちを食べられるように助けるのが私の仕事だったりして、織る仕事というのは織物の仕事の中で仕事の一部でしかない。他の人の織ったものを夜中寝ないで一目一目縫って直したりするのも普通にやるのが超えた世界の仕事だとは思う。

織るよりも、縫って直すほうが、超えた世界だったりするのが分かる人が、職人の仕事を子供の仕事のように感じる親方的な存在。職人なんて言うものはそんなものである、数日の人も何十年の人も同じ土俵に立っているだけのことで、できないとか仕事に文句言っている人と、自分がやって仕事に文句言ってる人の問題を代わりにやって解決する人の違いは大きい。林与の先代にしても、私からすると仕事の気持ちすらも足りないレベルで、現場仕事を馬鹿にして、自分はアル中のタイプ、先祖代々のものを一代で失ったと嘆いていたけども、私は大物気取りで浮かれていないで真面目に1日でも働けばよいだけだよと厳しい目。酒を飲めるのが自慢話でまさに田舎のおっさんそのもの周りにも多くの勘違いな害を撒いて時代にすらついてゆけず集落の過疎化にも大きく貢献してしまったと思う。親父的な考えで成り立っていた京都の問屋さんが同じ運命で閉じたのも、当たり前といえば当たり前で、20年、30年前でも勘違いの事を勘違いとは気が付かず、偉そうにやって後の世代がその問題を片付けるのに、親の世代のために人生をを犠牲にしてマイナスから立て直す話。

そういう人が実際一人になったときに仕事できるのかというと、親父と親戚の別れのおっちゃんにしても、他の人を従えてやっていた人が指図はできても織物のどの一つの作業もまともにできない半人前、酒飲んで偉そうな二人が偉そうに最後まで私に頼ってくるのをみて社会常識すらもなく。1日のアルバイトの覚悟や気持ちもないのが、何十年の経験者だったりするのを、林与の家や親せきの中にみてきた。その辺りのどうしようもないところから日本の繊維産業というのはたて直して行かないと、悪い例が先生では次の世代には気の毒。

昭和のまだまだ繊維が良い時代を引っ張ってきた、その近い二人のおっさんに合わせて助けている人間すらも舐めた感覚が一番駄目だよと引導を渡し、引導を渡すだけの覚悟はあって今も織物を続けている。経験の浅い海外や大手SPAのものづくりとの違いもなく抜かれてゆくのも仕方ないと思える。仕事の厳しさに向き合えず、付き合い的な力関係で成り立っていた昭和の時代の繊維の弱さ。
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