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リネンや麻を織る日々をつづっています。

リネン日記

一番駄目なのが

2021年11月16日

仕事をしていて初めのひとほどいうことを聞いて仕事ができるのだけども、経験者ほど言われたことと違うことをやってしまうという問題があって、後でやるとかそういうのが多くなってくる。社会経験の少ない田舎の人の典型なのだけども、織物の問題などあっても、その場で対応せずに後でやるからといって、問題が自分で見えていないだけでなくそういうのにも対応できないタイプの人が現場には多かったりして、仕事としてはなかなか難しい人が多いのが田舎の実情だろうとは思う。

本来は分業の中でもしっかりと分業を成り立たせないといけないのだけども、そういう人たちが集まってしまうと、他の人に要求をするばかりになってどんどんと仕事がだらしなくなる。そして一番当たり前の正しく仕事をするも何十年の経験者が無理になったりして、その最たるものが先代だったりしたがだれもそれに気が付かづに大口をたたいているのでそういう人に頼ってしまう。その次が母親でそういう先代からお前はだまっていろといわれて仕事もせずに仕事を面倒がっての一生で、田舎にありがちの逆らい癖ばかりのおばちゃんの典型で、1日のアルバイトのようにも働けないような、まともなことが難しい田舎のおっちゃんおばちゃんの典型で、逆に指図ばかり。

あるイベントでトヨタで世界中を飛び回って現場を担ってた人が、5分ほどやっていることを見て、いろいろとできるひとがなぜ織物みたいなことをやっているのかが不思議だといわれるのも分かる話で、普通の話が通用せずに、だらしない話が多いのが田舎のおっちゃんおばちゃんの世界で、そういうのを立て直そうとすると普通の人の5人くらいの力がないと面倒も見ることは難しい。弟や妹は私があまりにあきれてそういう世界からは逃がしたけども、外の世界をしらない人たちというのは怖いくらいであったりして、地道にそういう人たちの準備や後片付けまで支えている人間にマウントしてくる人が多いのが壊滅的だろう。

織物なんて何十時間とか何百時間もかかって出来上がるものだけども、一つの仕事を面倒がる人が集まるとすべてが台無しになる。末端の仕事をなんで私がしないといけないのみたいな経験者をよく見かけるが、そうなったらその人は一番仕事が難しい人だと思う。先代も一番仕事ができない人になってしまっていて、結局そういう人が上に立つと仕事の本質、働くがみえなくなって、なにをやっても仕事を成り立たせるが難しいになってしまう。勘違いしてしまうと自分が働くのがおかしいみたいな、ワシがやるのか?みたいな世界があって、仕事で経験者なら年を取っていてもせめて仕事する気持ちくらいはもっていないと、そのあたりが一番成り立たない話になる。

偉そうそうに金をうごかしていたら働いているとおもってるからどうしようもない。ゼロやマイナスからでも成り立たせるようなまったく逆の発想がないと落ちた経営というものを逆に戻すのは無理な話で、戦争ですべて失ってそこから成り立たせた与一爺さんが、先代に厳しく行っていたのが、借金してまで仕事するなだけど、先代は6億の借金作ってどうしようもないのだが、借金自慢とかで、それを立て直すにはそういうのに甘えていた他の人たちを逃げさせて、立ち直らせるために働く覚悟と力が必要。けど、田舎商売の末路ってだいたいが驕った先代っぽい感じでというのを多く見ているだけに、大塚家具だと久美子さんっぽいのが先代だったりして、引き継いだものをどんどんと惰性でやって溶かして、わっはっはあで、大きな負債まで作ってしまうのが田舎商売にありがちな話。

私の手本となるのは真面目に働いて仕事を教えてくれた方々で、自分の親が一番仕事が駄目なタイプというのも厳しすぎる話で、そういう何億もの問題の話をを片付けて成り立たせてゆくのが私の仕事の一部で、普通に地道に仕事すればそれすらも無理ではない話だろうとは思う。大手企業が厳しいといっても、私も大手企業の製造現場で働いたこともあるけども、林与の先代経営も駄目でできなくて当たり前な仕事感覚でそれを穴埋めするのが大変なことばかりな状況。外の世界がみえないと、自分が作ったら売れると勘違いしてしまってたら怖い話で、ファッションの世界では、ブームでたまたま売れているものをいつまでも売れると思って、せっかくブームの終わりに使い切っても、もう一度、最後大量に材料を購入して抱えてしまうとか。

30年ほど昔のバブルの終わりかけのころに、三井物産の部長がこれからはインターネットが広がり土地や建物が必要なくなり始めると就職活動の学生相手に話。当時は私はインターネットもしらなかったが、土地バブルが崩壊し始めたときに、すべての価値観が変わってゆくというのを見極めることは必要で、今に浮かれるのではなくて、常に変化に敏感で順応してゆく能力をもっていないと、同じ仕事という土俵では、経験の長さなんて意味のないことで有ったりもする。根本的な価値観が変われないと難しい時があって、田舎というのはどうしても後追いでついていっているというような構造になりがちで、田舎でやるなら田舎の価値観をしっかりと持って地道にやればよいとおもうのだけども、私はそれが本当に大事だと思う。流行や流行りについていけないなら、地道に物事を成し遂げてゆくというようなぶれない精神が大事で、それも一つの大きな失敗をしない一つの手段だと思う。

地の利というものを享受しにくい田舎では人の地道な力というものが本当に大事だと思うのだけども、そういうのを失って世間になびいてしまうと、田舎で生きてゆくのは、政治や行政に頼る様な本来は成り立ちにくい構造を生みいびつな構造につながりやすい話だと思う。現状打破的にもっと地道にやっていこうみたいな外の世界では当たり前なことをいったりすると、それを嫌うのが変化したくない人たちで、経験の長い人たちがそんな難しいことをいうなよ、どうでもよいのよ、で成り立っている社会というもの外の世界の厳しさもなくどうしようもないのを感じる。次の世代に強いるよりも、自分たち世代がしっかりと覚悟も決めて一つ一つの問題を解決してゆかないと、問題の後送りとか我の世界の無理を押し付けてばかりでは次の世代は困る話。


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