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リネンや麻を織る日々をつづっています。

リネン日記

SDGS

2021年12月12日

繊維の日のイベントであって3分ほどのプレゼンの後半で、自分のSDGSに対する考えみたいなものを述べた。サステイナブルとかいいながらも、昔ながらの日本の繊維業界というのは世界的に見ても本物志向で高いレベルの繊維製品が着物の世界で作られて来た。その価値がちゃんと評価されて多くの人々が繊維業界に携わっていた。特に、天然繊維100%のシルク、麻、綿の世界では、日本中にいろんな産地があって高品位な特色のあるものを作って来た。

それってSDGSの理想形そのものじゃないのかと思ったりする。でも、今の日本の繊維の現状では伝統的な流れをくむ繊維産業ほど食べていくのが難しいという状況があったりして、SDGSを叫びながらもSDGSの方向性というのは既存の理想的なものには目を向けずに、また新しいモノ探ししているだけのような気もする。

代々に渡って何十年も続いている繊維企業が多いのも日本で、まさにサステイナブルな状況があったりもしたのだけども、流行りのように飛びつきのSDGSではたぶん長続きもしないだろう。100%の天然繊維に再生ポリエステルを混ぜて、オーガニックなんて消費者騙しそのもので、オーガニックの概念どころか、繊維業界の価値感すらも台無しにしてしまう。複合的なものをやってこられた人たちが多いのも事実だけども、天然繊維とかにこだわっているところからすれば、そういうのはあってもよいけども、概念をごちゃまぜにするこだわりのなさは繊維のプロの世界でもない、売れれば良いみたいな気質のないものを感じたりする。既存の繊維業界にいるものからすれば、ほんとプラスチックな感覚のSDGSなんだわなあと思う。

ペットボトルをなくすために昔のコーラの瓶の世界にもどるみたいな覚悟のほうが、理想的ではないのかと思ったりもする。そこまで面倒な世界には戻りたくないというが、繊維に混ぜて服を作ってしまうと、それは捨てることも難しいややっこしい繊維製品になる。販売業者が衣服を捨てる場合も、天然繊維は一般廃棄物だけども、ナイロンやポリエステルは一般廃棄物ではなく産業廃棄物だったりする。ナイロンやポリエステルは処理が難しくなるややこしい側面をもっているので、そんなのは敢えて天然繊維に混ぜないほうがよいのである。SDGSで新たにつくった再生ポリエステルを混ぜた生地や服が、処理がややこしい生地や服なのである。あかんやんという話。混率によっては一般廃棄物扱いだったりもするけども根本的な処理がややこしくなる本質を持っている地球環境との兼ね合いの部分は避けられない。私自身は無理して混ぜてSDGSは、出来上がった繊維や服を考えると、SDGS意識で混ぜてしまうより、天然繊維100%のほうが地球環境に明らかに良いと思う。

本来SDGSの世界からすれば理想的であるはずの日本の繊維業界のモノづくりが日本国内で難しいという根本的な問題が、地道に長く続いているような日本の繊維産業が、SDGSの目から見向きもされないとかおかしな話だなあと思う。SDGSが世界的に脚光を浴びる中で、本当に理想的な繊維のものづくりには目は向かないのかなあと思う。地道にやっているものごとが儲からないから駄目だとか、新しいものに置き換えたいとかそういう願望ばかりに飛びついていて、地道に長く続いているものごとには目が向かずにサステイナブルはないだろうなあと。合成繊維にしても意図的に天然繊維を混ぜるよりも合成繊維100%が案外後の処分なども簡単でよいんじゃないですか?

オーガニックリネンでなくても、普通のリネンでも長く使えるようなものづくりがエコな精神でエコの実践だと思う。買い替えを促すようなのはエコの精神に反することも多いし、利権が絡んでいたりして気持ちの悪いエコとかサステイナブル。衣服というのは寒さから身を守るとか、誰もが高級なものを買えるわけでもないし、安い手の届く範囲の服が合成繊維であってもその人を寒さとかから守るならその人にとっては大切で必要なもの。たとえば、日本ではコロナの初期からみんながマスクをつけた。マスクが手に入らなければ親が手作りした。厚生労働省や学者たちはマスク有害論まで流しソーシャルディスタンス論で、当初マスクすら国民に用意する気もなかった。用意したと思ったら国民を欺いて税金を中抜くのが本業。自分が自分で価値観を持って対応してゆくことが本当に大事。サステイナブルの精神にもつながる。


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