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リネンや麻を織る日々をつづっています。

リネン日記

江州と遠州

2022年06月07日

江州というのは琵琶湖を指し遠州というのは浜名湖を指し、それぞれ「ちかつあわうみ」「とおつあわうみ」で、滋賀県は近江国と浜松周辺は遠江国と呼ばれた。都、すなわち京都から近い湖か遠い湖かというのがネーミングになっていて由来のあるネーミング。

子供のころ、江州(ゴウシュウ)と大人たちが話しているのを聞いて、オーストラリアの豪州(ゴウシュウ)とこんがらがって、自分の地域の人というのはオーストラリアに移民してたのかという不安に似たような不透明なものが渦巻いた時があったけども、今は、林与のある場所は麻織物の産地となっているけども、昔はまあ全国が麻織物の産地だったみたいなもので、戦後に手織りから、シャトル織機に移行して、さらにレピア織機への移行が上手にできたことが、他の産地とは違ったところだったんだろうと思う。

繊維関係は関西では滋賀県にゆかりのある繊維関係の生地商社がいまも活躍している。田舎だから地道な仕事をする人手が多かったということだろう。昔だから、近江商人は近江で作られたものを京都や大阪のお店で売るみたいなのが企業理念のようなところがあって、今は県境なんてものは、意味すらもなく、そういうのもなくなってはいるけども、江戸時代においては、滋賀県のものを京都や大阪に持っていくだけで商いができた流れがある。

まあ、日本と中国の貿易のようなもので、大きな価格差みたいなものがあっただろうと思う。コメなんかと同じで布にしても販売すらもが管理されていたものだったし、業としては自由につくることが許されてはいなかったということがある。東円堂という村では林与の家とその親戚の家が一軒織元となって出機さんに織ってもらっていた。機屋同士は、他の村の機屋にとついだりして親戚同士になることが多かったりもした。同業者同士が親戚つながりで合併しているようなところもあって連帯意識も高かったから無理もしあえたんだろうと思う。


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