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リネンや麻を織る日々をつづっています。

リネン日記

一つのこと

2022年06月08日

一つのことが長続きすることもなく、30年経てばほとんどが終わっているような、また終わってしまったから目新しく思えるとか。ひと世代前からみるとオワコンなことが、次の世代にとって未知の新しいことだったりして、今の昭和の時代の中古車ブームなんていうのはまさに典型。昭和の時代の建築物なんてものも、今は解体しろとなっているけども、生き残らせられればそれが世界遺産、文化遺産になるだろう。その時に注目されてた芸術家や建築家の建てたものはその時に未来的で逆に後の時代からすると中途半端に時代遅れを感じるのが多く、後世では壊したいけど壊せないみたいな。

昭和の時代のスナックの飲み屋街なんてもの、富士吉田の一角は残せないものかと思う風物詩。あれがジオラマじゃなくそのままに昔のが残っているのがありえないくらいに希少。あと八日市のシャッター街になった商店街とか。そういうのって隣とが繋がっていたりしていろんな事情もあったりで、富士吉田の場合には富士山の景観問題があって3F以上が建てられないとか、個別にでも再開が難しいような特殊な事情で残っていたりとか。運命共同体的にアーケード街を形成制定るような案件は、シャッター街的に残っていることなども多い。

京都なんかも家屋の維持が難しく、どうせ建て替えるなら地主は高層マンションに立て替えたいのだけども、町屋として残ってきたのは法律的な埋蔵文化財などの保護の縛り。京都市にしても近代化して東京のような発展を目指すのか、昔ながらの京都らしさを残すのか。京都の線工場が工場に見えず外から見れば、普通の商業ビルとかまた家に見えたりする。カモフラージュして染色工場がたくさん残っていたりするのが京都。ちょっと観光客騙しっぽいんで賛否両論だが、びっくりしたことの一つ。京都なんかはなん百年の家が当り前だったりするので、発展しすぎないことも逆に観光客をひきつける要素。あと大阪の通天閣周辺、東京だったら月島のあたりとか。タイムスリップしたような感覚を味わえる。

法律というものはどんどんとファーストフードチェーン志向で、こじんまりとやっているものごとを続けられなくしてしまう。家族経営のレストランが次の世代に残れないのも、名義が変われば近代的なファーストフード店的なキッチン設備が必要とされるからで、お客さんも1日数人くらいの見込めないいなかの細々とした家族経営のお店が何百万、千万円の投資なんてものはあきらめるしかない。ゲストハウスやってる方にも食べ物や飲み物のやられたら収入アップでよいんじゃないですかとかいうと、それなりの調理設備を持っていないと食べ物は提供することは許されないとか。

心温まるような思いの人がやっていても、気軽に経営努力すらも法律の壁があってできない。ひと世代前の人たちが普通にやっていたような物事でも法律が厳しくなって同じサービスを今の世代の人が提供しようとしても、設備投資からしても本当に大きな話になってしまって、昭和の時代よりも今の時代のほうが自分でお店や工場を構えて商売やっているような家も100分の1くらいの数だろう。


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