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リネンや麻を織る日々をつづっています。

リネン日記

昭和の経営

2022年06月23日

日本の繊維業界が世界の花形産業だった自動車産業の前の昭和の30年代40年代の時代というのは、繊維業界に9割以上の労働者が努めていると言われた。製造したものは国内だけでなく海外にも輸出され世界の脅威となったのである。1ドルが360円での固定相場の時代で、作れば世界中に日本の糸から織物、洋服などの繊維製品が飛ぶように売れていった。この20年の中国のように。

日本製品が最高級品だったかというと、安くて高品質というイメージで、ボリュームゾーンをしっかりと押さえていて、織物工場でも数千メートルの注文というのが普通に動いていて、そういうボリュームゾーンの生産というのは効率化が可能で、単純かつ大きなお金を動かしやすかった。

日本のバブル期というのは、ヨーロッパやアメリカが不景気で、日本が良い材料などを独り占めのように使い始めて高級志向が加速した。林与に眠っている1970年代初めころに手に入れた3種類のアイリッシュリネンも当時一番良い糸と呼ばれていたリネン糸で、1ドル360円時代であっても世界一よい材料を買って使おうとするような意気込みとそれが可能な背景があった。

着物世界からするとリネン糸というのはまだ安いという感覚があって、手織りの糸などは紡績のラミー糸でもバルクで買って、1kgが3万円とかいう糸を使っていたから、60年前で1kgの白い糸が3万円というような超高級な世界が日本にあった。昔の織物のほうが今の織物よりも糸などもきれいなのは当たり前といえば当たり前。

1ドルが360円で、加工貿易的に貯まったお金がどこに流れていったかというと土地や株やゴフル会員権、絵画、接待や飲み会。それらにお金を使うと、さらにお金が増えるという構造で、バブルは加速し、1989年12月29日の株価最高を記録したあと山一やサンヨー証券の破綻で崩壊を迎えた。そこから20年はデフレ不況で安いものしか売れない時代に突入、正社員雇用で年功序列型賃金制で高齢化し給料の高かった地場産業系の繊維業は苦戦し、国内も新興の大手のSPAが若い人たちを非正規雇用で需要に応じて柔軟に調整できる形で伸びていった。

バブル期というのは土地をもっている田舎の時代だったともいえ、繊維産業というのは製造業で田舎をベースとしているので、ものづくりで財を成した部分以上に、土地を担保にお金を借りればお金が増えるような土地神話のような国策と連動していたともいえる。昭和の時代の経営者の才覚というものはそういう国策に支えられていたようなところがあって、厳しい時代になって国策の方向性が変わったときにはまったく通用がしないものだったりもして、今まで普通にできてきたからそのままでもいつかうまくいくだろうという考えで経営者も労働者も変われないまま、周りはどんどんと変わって積極的に仕事を生み出して厳しい状況を乗り越えているのに、仕事はあって人がいてもできる人がないみたいな外の現実がみえないような閉じた世界があったりもする。外の世界がというのが、日本国内というよりも他の国との国際競争があることが見えていないと。


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