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リネンや麻を織る日々をつづっています。

リネン日記

極限

2022年09月01日

目の前の作業をどんどんとこなしていくということに疲れて嫌でという人というのは多いと思う。林与の仕事もそういう仕事で、織機が止まったら動かさないといけない、一台10秒から15秒で横糸切れや糸がなくなったりに対応して、経糸切れも30秒ほどで解決して、4台5台を動かしながら、空いた時間に新しい織機の立ち上げで、経糸を結んだり、横糸の準備をしたり、追われて追われての仕事のペースを自分で作れる人でないと難しい。大きな工場でつぎからつぎへとものが流れてくるラインで働いているのと変わらない忙しさがある。動く分体力も使うし行動力が必要となって来る。

多くの人が学生時代に繊維やデザインのことを勉強してその憧れをもったまま、別の仕事に居て憧れの世界で仕事をしたいなあと思うかもしれないけども、その憧れている世界のほうが他の産業界の仕事よりもより仕事量が多くて器用でないとできない複雑な仕事だったりもする。繊維関係の会社の人にいうのが、現場の仕事が自分ができないと会社経営というのは難しいんじゃないかと思うあたり、それは私自身が若いころに年配者の人たちの中で、年配者の人たちの仕事感覚や仕事が通用しなくなっているのを感じながらも、手立てがないような状況。それを乗り越えるのは経験者たち以上の力で、小さな世界にとらわれずに国際的な競争なども見据えながら何ができるのか考えて実行してゆくしかないのである。

たとえば、先日も母親に、赤の管、青の管、黄色の管、赤の管の順番で機械にセットして横糸を管に巻いて、その順番で何回もやっていってほしいとたのんだけども、管の色を無視しながら巻いて順番通りだとはねのけてくる。なにが悪いのよとやってくる。言われたとおりにしていないのが悪くて、作業手順を正しく説明も受けているのに面倒だから守らないでやってしまって、説明したものを攻撃してくる。こういう人というのは、複雑なことが絶対に無理で、その順番に管を機械に立てて自動的に巻いていけば、その機械から目を話しても大丈夫だということで、管の色を見れば作業結果も確実で、他のことも出来たりする。母親の場合にはその一番簡単な仕事も張り付いていないとできなかったり、それでいて人一倍仕事している感覚。私がいろんな作業をしながら隙間にやっている作業一つにしても頼んでも頼まれたとおりにはやらないから口論になる。そんなのが田舎の年配者の驕った感覚では高度な仕事はなかなか難しい、そういう能力の低さがあふれていて、若いものに反抗してくる正しいことが難しい年配者であふれていたりする。

言われたことの意味を分かってやれば言われたとおりに問題がないのに、言われたとおりにやるのを嫌がって、管の順番は違うけども正しいから問題がないで口論になる。そういう人というのはその仕事で精一杯になってしまっていて、他のより高度な仕事も難しい。順番通りに機械にセットしておけば、自動的に巻いてくれて、正しく順番に並べることができるのに、見ていたから大丈夫では、そんな簡単な仕事で一人の時間を使ってしまうしまた後で正しいかどうかの検証もできない。あいまいさみたいなものが生まれる仕事の手順で、それがその一つの作業だけでなく、すべての作業に置いておなじような時間の無駄と確証のある仕事に結びつかない。

簡単な仕事でいわれたとおりにやればよいのに言われたとおりにやらないで正しいと突っぱねたりしてくる。その人にはその一つの仕事しか仕事として見えていないけども、その一つの仕事が正しくできなければ他の仕事はもっと複雑でより高度だから難しいのである。田舎の年配者にはそういう人が多いのは事実で、失敗しても仕事、正しくできなくても仕事みたいな人では駄目なのである。母親みたいな人がいると会社なんてものは絶対に無理。そういう人というのはもうやったけないわよ、みたいな世界で、仕事ってそんなのとは違う厳しさがあって、一つの失敗ですべてが駄目になってしまうから。やればできるのに言われたとおりにやろうとしない人というのはやっかいで、言われたとおりに言われたことを正しくできる人というんは仕事が出来る人なのだけども、そういう人というのは本当に少ないから繊維の仕事というのは難しいのだろうとは思う。すごく基本のことなのだけども、それができる人というのは本当に少なくて、自分のやり方と違うやり方にいわれて対応できる器用さみたいなものや素直さみたいなものが大事で、それがあるといろんな経験を積むことができて、作業に慣れることで2倍3倍のスピードで仕事ができるようになる。


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