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リネンや麻を織る日々をつづっています。

リネン日記

子供たちは達人

2023年10月13日

手織り体験で、初めての子供たちが1本織る度に上手になる。最初に織りたいと興味を示したときにやってみることが大事で、その1回目が失敗に終わらないように誘導することは大事だと思っている。あと手織り体験のような経験は手織りを体験するというだけでなく、初めてのことでもやってみるという体験の場でもあるから、そういう初めてのことでもチャレンジするような経験を積んで、次の他のことのチャレンジにもつながる可能性がある。

織物の仕事をしていて、仕事の説明というのは最初の1分とか2分程度で長くても5分以内のことがほとんど、やってられるのを実際に見て真似てするしかないし、その時に次からは自分ができるようになっておくのが非常に大事で、やった仕事はすべて吸収してというのが基本、次からは自分でやるのだからまれに失敗なんかもあってすごく時間かけて復旧することもあるけども、そういうのが当り前だと、調子よい時だけでなく問題の起こったときに立て直す力も備わる。

アンダーモーションとかも全部バラバラにして、ジャガードの装置なども全部バラバラにして掃除をしたり悪いところを直したりも、根気よくやれば出来ないこともないし、若いころに最初から本番で自分でやって1日とかで完全にマスター出来たりもする。次にやるときには慣れて素早くする方法も見についているからスピードも速く、アンダーモーション何台分も1日に分解掃除が出来たりする。もうそれでアンダーモーションメンテのプロになれる。

林与は考え方が特殊で、工場で働いていたおじさんが織機のトラブルを直すために狭い織機の下に体をくねらせて潜ってアンダーモーションが外れたのを直すのを見て引くのではなく、昔から知っているおじさんでもやってるんだから織機の問題があったら自分が一番最初に直そうとしようと決めて、織機トラブルの時には率先して織機の下にも潜るようにしていた。

そういうのはどこで身についたのかというと、アメリカにいた時に自動車を自分でいろいろとメンテしていたことが練習にはなっていたと思う。自動車の構造も織機の構造もタイヤがついているかいないかの違いで機械的な動きは似ているところがある。また、20代のころに自作PCブームというのがあったので、PCをばらしては組み立て、今もレッツノートを何台も持っているが、部品が壊れれば、液晶でもキーボードでも自分で交換してみようとなる。それで普通に直るから、ノートパソコンなんかは修理に出すとハードディスクも初期化されてしまうというのが普通だったので、データを失わないためには自分で修理し、復旧するしかなかったというのがきっかけではあるが、最初の1回目を乗り切れば次のときにはやればできるの分かっているので。新しいノートパソコンよりもそういう古い分解でき修理が自分でできるノートパソコンのほうが良いと思っている。

10万円以上もするものを失敗したら終わりという覚悟で、いろいろと情報を調べるだけ調べてから、慎重には作業を進める。ほとんどの場合にはうまく行くが、10回に1回くらいは初めてやったときには失敗することもある。そういう失敗には授業料を払ったと思えば、他の10回に9回の成功で授業料も帰って来る。仕事も同じ考え方で、10回に1回くらいの失敗は他の9回の成功で取り戻せると思っているが、それ以外に、問題のあるときには自分の時間をフルに使って解決できるまでとことんやってみるというのが、自分が頭で考えた解決方法をすべて試してみるのにつながっていて、経験が長くなれば問題のほとんどと物事の限界みたいなことも普通以上に深いレベルで見えてきたりする。

手織り織機のラチェットギアを真鍮で自作した経験にしても、長年、手織り織機の構造は簡単だけども、ラチェットギアだけは自分では無理だろうとおもってたのを克服できた。一生のうちにそれができたことは部品や材料のほか、切断工具など10万円以上は使っているけども、会社の整経機を使って手織りの織機用の自作ビームに巻き取り、さおり式や東京手織織機に関してはビーム交換式が実現したことは、こんなことができたらよいのにと思うのを自分自身で解決ができて手織り織機の価値が増す。グリモクラのビームも交換は難しいのだが、同様に新たなビームを取り付けられるやり方を使えば機草を使わずに50mでも100mでも交換式で整経が取り付けられるだろう。

自分で手織り織機をつくることだけでなく、そのための金属加工までを考えるようになって、シャトル織機の部品なども最悪は自作する目途もたっては来たというのがもう一つの利点で、林与は今54歳だけども若いころにもっとこういうことを出来る環境があれば面白かっただろうなあと思う。先代は織る以外は外の専門の人に頼んでやってもらうのが主体で、私はまったく反対の考えだから今もやっていけているんだろうと思うが、この考え方というのは近江上布絣の数々の技法を生み出したヨジヨモン爺さんと与一爺さんの精神。モノが手に入りにくい時代に、近江上布絣柄というものを数千も生み出した。それは単なる技法と品質にはとどまらず、デザイン性においてもヨーロッパの高級ブランドに通じるようなモダンで絵画を身にまとうようなオシャレ。

笑える話だけども、20代の若いころに20枚ほどの近江上布のハギレがたまたま、家のどこかに置いてあって、私がそれをみて、すごすぎるこんな印象派の絵画のような布をどこの誰が作ったんだろう、日本の生地ってすごい世界があるんだなあと思ったのだが、あとで知ったがそれが門外不出的なものが家のなかで20枚ほど箱から出されて出てしまってた。その20枚にしても今の時代にはありえない世界だが、先代は、できないものは見せるなのタイプだったので私も封印しておいた。

それをプリントとしてデザイン面で再現しようとしたのが、林与の近江上布柄プリントプロジェクト、それはイタリアや中国の展示会で注目されるけども、布の世界の目の肥えている世界の高級ブランドの方々というのはオリジナルのアーカイブの絣のものほうが欲しいと言われるケースが多く、それを広幅で再現しようとしたのが広幅絣プロジェクト。近江上布の技法をさらに発展させ、一人ですべての工程を行い、アパレル用の広幅で再現するというプロジェクト。技法は確立できたものの、林与は常に目の前の現場の仕事に追われているので、世界最高峰的なものづくりとういうのは時間のできたときに趣味的に行えればと思う。

シャトル織機で一本一本何千本もミスなく柄を合わせながら織るのは肩が抜けるほど疲れるから、やっぱり広幅絣も手織りにしようかと思ってて、手織り体験にもつながったし広幅の手織り織機を自分でつくるところとかまで広がってしまっている。すべてが連動して相乗効果的なものを生んで、それは何十もの普通を超えたマジックの組み合わせ。布そのものがマジックのように人を惹き付ければよいと思うし、やぼな種明かしは必要ないだろうと思う。林与の思う力のある布とか力を感じる布の世界。布をみたときにそれを作った人の強さみたいなものが伝わってくるとか、人生観の儚さや無常さみたいなものが伝わって来るとか、そういうのに人々が共感するみたいなのが布が人々に語り掛ける世界なのだろうと思う。


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