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リネンや麻を織る日々をつづっています。

リネン日記

次の人たち

2023年10月18日

今日、友人の娘さんが午前中仕事を手伝いにきてくれておめでたとのことで、林与なんかは去りゆくものでよいけども、次の世代の人がその次の世代を育めるということは日本ではだんだんと難しくなってきているだけになによりも素晴らしいことだろうと思う。今の若い人たちというのは共働きが多くて、そこに訳の分からないベビーシッター制度とかよりも、保育園に普通に入れるようにしてあげればよいだけのことなのに、それも行政が拒んでいるところが多い。子供たちが親にだけ育てられるよりも、保育園のような場所で他の子供たちと一緒に遊ぶみたいのが大事で、なぜ政府はそんなことも許さないのか不思議。

仕事のない母親は子供を自分で育てろみたいな話につながるのだけども、仕事を持つためには子供を保育園に入れないと仕事ももてない。無理とそういうの作って真面目な人たちを苦しめて居たりもして、普通に子供を持っていても働けるような環境を国が提供しないといけないのだけども、無職の母親が子供を保育園に入れることは難しく、働いている人しか子供を保育園に預かってもらえないような状況では、貧困層を増やして生まれてきた子供たちも階級社会の中では食べても行くのが難しく国家の奴隷要員。

無職で苦しんでいる人たちでも怒らないといけないのが、労働基準書の監督官に、あなたが一日中外でタバコ吸っていたら労働基準監督局を訴えますかとk架空の質問という想定で尋ねると「訴える」という答え、そういう人に無職の苦しみもわからないだろうし、働く人を受け入れて責任を受け入れて働かせる大変さも分からないだろう。国レベルでもう階級社会が形成されてしまっていて、働く人を受け入れたらそれだけで国のバラモン階級の役人たちに支配されて吸い尽くされてしまう。そういう国の役人がどれだけまともに働く人をつぶして働こうという人を受け入れた企業をつぶして自分の立場を無責任に偉そうに自分の利用して生きているんだろうか。

労働基準監督官でも1日中さぼってても給料をもらうのが当り前だと思っていて、そういう感覚で企業を指導しようとするから、これはまさに階級社会そのもので、日本もどうしようもないようなレベルに落ちてしまっている。それが日本の労働監督署の指導だというのも、日本社会が階級社会を目指し、奴隷社会につながるような状況で、1日中外でタバコ吸っててもそれが労働基準監督官みたいなのが当り前みたいな人が、日本の労働行政を指導していたりで、ボロボロな日本、末期なのも当たり前、そういう問題から解決してゆかないと支配階級意識で奴隷階級から吸い上げるだけの日本。

林与の親友と呼べる方たちにも県職員レベルの方は何人かいるし、滋賀県の県職員の方も多く知っているし、また他府県の職員の方も知っている。県職員の方たちというのは、実際に民間の人たちとの接点が多いので、親身な対応をしてくださってることが多い、国からの問題を解決するのが都道府県という立場だからだろうと思う。国と都道府県や市町村というのも階級社会の典型ではあり、日本の場合には社会主義国にみられるような構造があったりして、無駄な締め付け政策や利権との癒着構造など不透明な部分も大きくなりすぎている。次の世代やその次の次の世代をそういうものから解放してあげないと、ボタンの掛け違えのような悪法をつくってそれが正しいと信じ込ませての連鎖では、健全に育つとかいうことすらも難しいだろう。

親と子供が家庭の中で過ごせる時間というのも短くて、高校くらいまでだろう。高校くらいまでの親と子供は地域の行事よりも家庭に専念できるように、親も子供もレクレーション的な行事以外からは解放してあげるとかが大事ではないのかと思える。PTAなども不要論が出ていて存在していることが逆に問題を生んでしまう場合も多い。家庭の中で、親と子供が週末のひと時でも一緒に過ごせるような環境が大事だろうと思え、また成人したときには、親が子供から離れまた、子供が親から自立していくのが当り前のような、次の世代に力と自由を譲っていくようなことが大事だろうと思える。年配者がいつまでも社会を牛耳っているような構造では、次の世代、また次の次の世代が自分たちで考えて生きてゆくような当たり前のことも実現は不可能だろう。

宗教にまつわる不幸な問題なども日本ではあったりだが、本来は国がしっかりと意図的に見逃さずに対応をしていればと思うような、宗教的な階級社会とも政治が融合してしまって、それで何十年とかの日本の政治の裏側。普通の良心的な話すらも通じないような大人たちが国を牛耳っているようでは、優秀な自分たちの信者を育てるのが国の役割ではないのだから。

文化や伝統を重んじるというようなことが美しく謳われるけども、文化や伝統を守るためにも、その何倍もの新しいことは必要で、世界で活躍できるような次の世代や、世界にでなくとも自分の考えをしっかりと持った人たちが大事なんだろうと思う。日本の同調圧的なものに弱いのは、悪徳宗教などにも弱く、洗脳されやすいことを生み出すとか、風見鶏的な人を生み出す。日本のテレビ業界の華やかな裏では、子供たちが権力者になびかないと活躍の場もなく、芽もつぶされてしまうみたいな構造も明るみに出たが、次の世代の人たちには権力にすがらなくても普通に生きてゆけるような社会を残していくことのほうが大事だろう。

権力者構造に陥った組織や社会というのはそれを守ろうとしておかしなことを法律にして正当化してゆくもので、そういう体質を変えていくことは非常に難しいこと。大人というのは権力になびいてしまうものみたいなのが、村社会的な普通のことで、そこで生まれ育ったものでも逃げ出してしまうような状況で、新しい外の人を頼みもそれは本当に難しいことだろう。日本では国レベルが村社会的な状況で、日本の少子化と、若い外国人に来て日本社会を支えてもらわないと成り立たないような状況。次の世代を食いつぶして成り立つような構造を改めないと、若い人たちというのは働きながらも本当に質素でつつましくささやかでギリギリの生活の人が多い。


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